――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(14)
内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)
結局のところ「袁の腰がさだまらないために」、諸外国の銀行団も借款の出しようがない。
いわば「支那の統一」は袁世凱の覚悟次第ということになりそうだが、「つまるところ金を以て統一するか、金無しに人物の出るのを待ちて統一するか、列国はその統一に達する道行きを見物するのにどこまで辛抱が出来るのであろうか、これが今日支那の将来について注意すべき事柄である」とする。
ところで内藤は統一問題を超えて中国の将来の可能性について、次のように説く。
「一体、支那みたような国は、自ら自分の位地を真正に知悉したならば、政治も経済も世界各国に開放する方が、却って自分の独立を確保する所以であるので、些々たる体面論などを喧しく言うのは、全く日本などのやりかたにかぶれた最も愚な政策である」
「日本などのやりかたにかぶれた最も愚な政策である」との指摘についてはともかくも、「自ら自分の位地を真正に知悉し」て「政治も経済も世界各国に開放する」ことによってこそ「自分の独立を確保する」ことができるとの指摘は、やはり傾聴に値するだろう。
いまから30年前の1978年末、�小平は、建国から30年余りに亘って対外閉鎖を続けていた毛沢東路線を捨て「世界各国に開放する」方向に大きく舵を切った。だが、経済のみでしかなく、政治は共産党独裁のままだった。それはそうだろう。�小平の開放は共産党独裁堅持が大前提にあったからだ。いわば政治不自由・経済自由――いわば共産党を批判しない限り、経済活動の自由を許す――というものだからである。
強力な中央集権独裁政権によって社会を安定させ外資の呼び込みを狙う。社会の長期的安定が確保されているからこそ、日本やら欧米などの外国企業は安価な労働力を求めて資本と先進技術を持ち込む。かくして中国は世界の工場に大変身し、やがて世界の大消費市場に転換し、経済大国へと大変身した。これを経済発展の中国モデルとするなら、現在の東南アジアを振り返った時、中国モデルの“優等生”がカンボジアになろうか。
フン・セン首相は総選挙という“民主的手段”によって30年余りに亘ってカンボジアに君臨している。司法は政権の走狗となり果てたようだ。野党の解散処分は飽くまでも“合法的”に行われ、批判がましい政治家は次々に事実上の国外追放の憂き目に遭わせる。かくて社会が“安定”すればこそ中国を筆頭とする外資が次々に導入され、経済成長が続く。
カンボジアの隣国であるタイにしても、2005年から10年余に亘って続いた国王支持を掲げる反タクシン派対タクシン支持派――これを言い換えるなら既得権擁護派対新興勢力、国王のシンボルカラーである黄シャツ派対タクシン支持派の赤シャツ――の対立でエンドレス状況の国内混乱を2014年に国軍がクーデターに決起することで鎮静化させ、黄シャツ派の指導者を刑務所に送り込み、赤シャツ派のシンボルであるタクシン実妹のインラック元首相を国外に送り出し、プラユット暫定政権は「右と左を切り捨て」たうえで国内不満を押さえ込んでいる。総選挙の実施時期は次々に先送りされ、2018年6月予定が11月に。先月の国会では2019年初めの実施となった。
プラユット暫定政権の一連の振る舞いは、どう考えても民主的とは言い難い。だが、クーデター前の10年に較べ抜群の安定状況にあることは確かだ。それが2月19日に発表された2017年暦年の実質GDPは4%超。タイのGDPが2年連続で4%超は10年振り――という結果に現れているといえる。
最近10年程のASEAN諸国の経済成長率をみても、最高値を示すヴェトナムを筆頭に各国が軒並みに好調を維持しているようだ。独裁権力による政権の長期安定化が経済成長を呼ぶという中国モデルがASEAN諸国に感染することを防ぐ手立てはないものか。《QED》