――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(11)
内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)
ものはついで、である。内藤を離れ、もう少し中国人と領土という問題について考えてみたい。
1840年のアヘン戦争敗北を機に、富強こそが中国を救う唯一の道だと思い到る。辛亥革命によって満州族の清朝を追い払い漢族の中華民国を建国したのも、毛沢東が北京に共産党政権を立ち上げたのも、さらには大躍進も文化大革命も、よくよく考えて見ると富強を求めての試みだといえよう。「外国からバカにされてなるものか」の一心に突き動かされた彼らではあったが、富強に向けた“壮大な実験”は失敗の連続でしかなく悲劇を重ねただけ。依然として外国から侮られるままだった。
だが70年代末の�小平登場によって、事態は一変する。彼が決断した対外開放によって、アヘン戦争敗北から1世紀半ほどの時を越え、初めて、やっと富強への道を歩き始めたのである。
たしかに国内に格差、独裁権力の横暴、汚職、環境破壊、水不足、道徳的退廃、社会秩序の崩壊など大難問が山積してはいるが、やや大袈裟に表現するなら、そんなことは長い中華帝国の歴史においては日常茶飯事といったところ。アヘン戦争を起点とする混乱・頽廃・苦悩に較べたら大騒ぎするほどのこともなかろう。いまや習近平政権という超強権政権が掲げる「中華文化の偉大な復興」「中国の夢」の旗印の下、世界を足下に睥睨した栄光の中華帝国への道を邁進しているのだ。
1958年の大躍進において毛沢東が持ち出した「超英?美」――世界第2位の経済大国のイギリスを追い越し、アメリアに追い付け――の宿願は果たされつつある。アメリカを凌駕する超大国を目指せ。アヘン戦争以来の屈辱を晴らせ。我らを侮ったヤツラに復讐せよ。栄光の中華帝国の再興だ。かつての中華帝国が占めていた最大限の版図こそ、「ずっと昔から我われのもの」であり、本来の持ち主が所有を主張しただけ・・・経済力という白日夢に、彼らは酔い痴れるばかり。
だから、彼らが持つ古代の数々の史書が指し示す広大無辺な版図は古代の人々の妄想の産物でしかなく、近代国際社会では受け入れられないことを断固として知らしめるしかない。だが、残念なことに異常なまでに熱くのぼせ上がってしまった彼らのアタマを冷やす効果的な方法は見つかりそうにない。
かつて毛沢東は、「99回説得しても判らなかったら、100回目には叩きのめせ」と言ったというが、いまや世界は「99回説得」することすらできそうにない状況なわけだから、「100回目」など不可能に近い。“頼みの綱”のアメリカにしたところで北朝鮮に手古摺っている始末なわけだから、多くを望むことはムリだろう。ならば他力本願だが、ニュートンの古典力学に頼るしかない。つまり上ったモノは必ず下がる、である。
一帯一路にしたところで、習近平政権が掲げる構想がすべて実現したとしたら、世界の物流は確実に北京にコントロールされ、世界の秩序を差配する力は北京の掌中に納まってしまいかねない。そうなったら最後、最悪の事態を想定するなら、自由も民主も人権も吹き飛んでしまう。そこで最近なって日・米・豪・印の4カ国で反一帯一路構想が急浮上しているようだが、ここで考えるべきは、中国人の行動パターンである。彼らはクチでは勇猛果敢でハデに100をブチ上げるが、ハラの中では50から30で手を打つ傾向があるようだ。いわば彼らは高飛車に出て交渉相手に「満額回答」を突き付けるが、実際は「条件闘争」に持ち込むことを狙う。おそらく習近平自身、一帯一路の完全達成など考えていないはず。現に掲げる構想の3割達成であっても、シメシメ。オンの字というところだ。《QED》