――「支那の國ほど近付いてあらの見ゆる國は無し」――關(10)關和知『西隣游記』(非売品 日清印刷 大正七年)

【知道中国 1826回】                      一八・十二・仲二

――「支那の國ほど近付いてあらの見ゆる國は無し」――關(10)

關和知『西隣游記』(非売品 日清印刷 大正七年)

 

最前線に立って外交を担うべき「公使館有力者」が「日本の外交は今實に危機に瀕せり」。加えるに大学同窓人脈を動かすべき立場の人間が「我が對支外交は全く消極的なり、無能力なり」とは。やはり、この方々には当事者意識と責任感という当たり前の感覚が欠如している。「公使館公使館有力者」は日本外交に対して飽くまでも“お役所仕事”といった感覚であり、關ら早稲田同窓生のご一行は徹底して“他人事”でしかなさそうだ。NHKテレビで目下話題の「5歳の女の子」の決めセリフではないが、「お前ら、ボ~ッて生きてんじゃね~よッ」と言いたくもなる。

外交の次は兵士・兵制について。

「支那の新式軍隊」は日清戦争敗北の反省から、「其の編制、體裁悉く日本軍隊と同一なり」。だが国民皆兵ではなく「募兵を以て成立するが故に、自ら一種の雇傭的關係を有し、給金の如何によりて何時にても軍隊を離れることを得るの風あり」。だから「忠實勇武の良兵を得んことを到底望む」ことはできない。じつは「劍を佩び銃を荷ひ肩を聳かして威風を誇る支那兵が、その一朝有事の日に際せば、銃を天に擬して彈丸を濫發し、其の盡くるに及びて逃去するを常とするが如き偶然に非ず」。だから「支那の兵權の統一、兵制の改革、即ち國民皆兵主義の實行は、支那の國家統一上最大急務なるは言を須ひず、然も前清朝以來之が計畫一再にして止ま」らない。戸籍法が完全ではないゆえに、「到底望みて實行ひ得べきじ非ず」というものだ。

北京の農事試験場は新式の公園とでもいうべき体裁だが、日本が提供した日本式三階建て家屋は「田舎の農家に見る養蠶所」にも及ばないほどのチャチナなもの。その無様な意匠は日本側関係者の無自覚さを表している。そこで關は、これを「日本人の非文明的不道德の紀念」とし、「由來日本人の支那に對する心術態度の誠意を缺き、友誼を缺くこと、必ずしも此建築物に於けるのみならず、政治上、經濟上、甚しきは敎育上に於てすら往々にして詐僞的、財利的の嫌ひあるを免れざるは、吾人の慨嘆措く能はざる所」だ。「今此の醜陋愚劣なる建築物」の傍らに立って「支那の公人紳士に接す」ると、「慚赧の極、羞辱の限り、冷汗背に溢るゝを覺ゆ」と。穴があったら入りたい、といったところであろう。

美術工芸に関しては、「仔細に觀察する時は、壮大なれども森嚴の氣無く、華麗なれども風韻を缺き、纎巧なれども生氣乏しく、精美なれども雅趣を認めず其規模、題材一體に保守的氣分に充滿し、新機軸、新趣味の如きは容易に發見すべからず、蓋し其天然の感化、國民性の然らしむる所ならん」。ということは、彼らの美術工芸には見るべきものナシということだろう。

次は女性。「支那の婦人は無能にして而も、權力あること世界に無類なり」。「女子驕りて男子を壓する」。かくて「嬶天下を現出するに至る」とのこと。「之を近づければ即ち不遜、之を遠きにすれば即ち恨む」と、孔子ですら持て余したわけだから、「今日支那國民の因循懦弱卑屈不活潑にして毫も勇壮、快豁剛毅、進取の意氣無きもの、畢竟其の内的生活に於ける女性化結果」だということになる。

まあ無能が天下を握ってロクなことはないことは判るが、關は最後に「小艾より以て老年に至る、子孫繁殖以外全く一事の能無きなり」と締め括るに至っては、些か気の毒にも思える。

次いで彼らの「一種の諦めの哲學」である「没有法子」については、「因習久しくして彼等唯一の安立の地が遂に自屈自卑の『没有法子』に歸着せる」ものであり、どのような局面でもみられる「消極的なる卑屈」を示す「亡國的格言」だと断じている。《QED》


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