――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(6)竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

【知道中国 1880回】                       一九・四・仲六

――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(6)

竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

 上海旧市街にある名所の湖心亭に出掛ける。「普通の案内記には城内湖心亭なる一項を設けて讃辭を呈してゐるが、赤裸々に支那を觀察した記述や旅行談は等しくこれを糞味噌にやツけてゐる」。「池は愚かドブ」であるにもかかわらず、そこに立つ東屋を湖心亭と名付けるのだから、「有?は文飾の國、招牌の國だ。湖心亭とは勇敢だ」。そのうえ、「なぜか此處へ來る見物客は殘らずこの湖畔に佇んで、悠々尿する人間を見る約束になつてゐる」。

ここを訪れた日本人は放尿見物を訝しがる。人前の放尿を「吾々の社會道�觀が許さないことになる爲に土産話中の有力なる一箇條」となるが、「支那人に言はせれば、それを見たり氣にしたりする方の人間が社會道�を心得ない人間であると言ふ結論になる」。広い大陸でのこと。「南北言語は通じないが、この哲學は一致してゐる」のである。

「琵琶湖や加茂川や宇治の平等院の美しい建築やに馴染みつけてゐる者」が、「このドブの中に建つた惡趣味の湖心亭」を愛でる気になるわけがない。だが、そこで「一卓に肘を衝いて茶をすゝる」ことをも「支那情緒に耽美する一箇條に數える人があるなら、その人は既に支那情緒なるものに耽美する異國人ではなく、支那人それ自身だ」。

漢字をはじめ律令制度を含め日本の文化や社会制度の多くは一衣帯水を越え、かの国から招来されたと説かれることが一般的だ。この関係を地理的な近さに重ね合わせ、いつの頃からか双方の関係を一衣帯水と表現するようになった。だが、たとえ一衣帯水であったにせよ社会道徳の違いは歴然としている。広大な大陸国家においては「南北言語は通じないが、この哲學は一致してゐる」のである。やはり日本とは違うのである。

一衣帯水の向こう側とこちら側とでは社会道徳は大いに異なる一方、余りにもかけ離れた方言を使いながらも広い大陸とはいえ南北で哲学は一致している――いったい、なにが背景となって、この違いが生まれたのか。社会道徳やら哲学やらと大仰に言わなくても、やはり生き方、生きる姿勢、生きる姿、生きる形(それこそが《文化》というものだろうに)の違いが起因していると考えるべきではないか。

同じように漢字を使うが意味・用法が違う。そこで「背」を例示してみたい。

一般に日本では「背」を「暗記・暗唱する」と動詞としては使わない。だが一衣帯水の向こう側では「学多少背多少、外語才能進歩(暗記するほどに外国語は進歩する)」と。同じように茶碗と箸で米を食べるが、箸の長さ・太さ・形状も違えば持ち方も違う。茶碗の持ち方も、茶碗と口の位置関係も違う。日本人では当たり前のお茶漬けも、彼らにとっては“超異文化”となる。夏の盛り、冷や麦をツルツルと気持ちよく食べていると、「それは食事か」と奇異の目で見られたことがある。ラーメン・ライスやら餃子・ライスやら、これまた“超異文化”だろう。麺も餃子も、彼らにとってはおかずではないのだから。

とはいえ、あちらが正しく、こちらが間違っているわけでも、こちらが正しく、あちらが間違っているわけでもない。ともかくも違う。その違いを自覚することだ。自覚して付き合うしかない。もっとも「支那情緒なるものに耽美する異國人ではなく、支那人それ自身」になってしまったというのなら、最早、なにを言っても無駄ではあるが。

さて湖心亭の湖畔に佇む竹内だが、その袖を引く者がいた。「贋造寶石露店商人だ」った。かくて「然も排日氣分の濃厚な時節柄、特に城内はその勢力範圍だと言ふことだつたから、私達は倉皇として退去することにした」。まさに三十六計となった次第だ。

だが一度狙った客は逃さない。「彼はまた私の袖を引いた」。値段を尋ねると小声で「八十弗」。電車が来た。すると「彼は急に三十弗!」。「一弗だ!」。電車が近づくと「三弗に!」。電車に飛び乗った竹内の袖を引く。電車が動く。すると「二弗五十仙に!」・・・。《QED》


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