――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港199)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港199)
【知道中国 2317回】                       二二・一・仲六

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港199)

「楊門女将」は北宋の時代、西北方面から宋を侵略する西夏に対し敢然と戦いを挑む宋朝武門の楊一族の奮闘物語である。国土防衛の前線で夫のみならず息子たちまで――楊一族の男子――を次々に失った?太君ではあるが、傷ついた心を包み隠し、自らを頭領にして、軍装に身を固めた嫁たちを統べて前線に赴く。百歳の身でありながら、彼女は「夫が斃れたら息子たちが、息子たちが斃れたら孫たちが・・・」と、一族の名誉を賭けて国土防衛の聖戦の庭に堂々と進軍する。潔く凜々しい。

先に挙げた演目に代表される母親を軸に展開される舞台を見慣れると、日本で植え付けられた「女=母親=忍従=家族制度の犠牲者」というイメージは湧いてきそうにないし、むしろ家族の中心ではなかろうかと思えるばかりだ。

そういえば香港、台湾、東南アジア華人企業集団に共通する「家族経営」の実態を調べてみると、改めて母親の存在の重さに気づかされる。

創業者である家長の統率の下に息子たちが傘下企業の経営に当たる。創業者が死んだ場合でも、一族の団結が崩れることは極めて稀で、一族として統一的な経営は継続される。だが家長の妻、つまり母親が亡くなった場合、往々にして息子たちの間に家業である企業集団の経営を巡って対立が起こり、一族としての統一的な企業経営は迷走を始め、ほぼ例外なく企業集団は瓦解する。やはり家長ではなく、母親こそが一族の団結の要なのだ。

それというのも中国における家族は経済単位であり、息子の嫁を選ぶ役目は基本的には母親に委ねられており、自分が選んだ嫁を差配するのは母親だからである。自分が選んだ嫁を配下に置き、それぞれに役割を与え、家族という経済単位を実質経営していたのは母親だった。いわば中国の家庭の内側における価値観やものの見方は、おそらくは母親を軸にして機能していると言えるだろう。

やや飛躍して表現するならば、第六劇場の舞台で「強いオッカサン」に出くわし、「オッカサンは家族の柱」であることを知ったことになる。どうやら中国の家庭内では「母の力」は強く、正しいらしい。

ここで一気に現在に。

これまで取り上げたことがあるかと記憶するが、『中國京劇』(中華人民共和国文化部和旅游部主管/全国中文核心期刊)は、中国における京劇界のその時々の動きを知る上で便利な月刊誌である。ここ数年、同誌特集には母親・女性を主人公にした演目が見られるが、同誌のこのような傾向が習近平政権の権力基盤強化の動きと重なっている点が気になるところだ。偶然の一致にしては平仄が合っていすぎるようにも思えるのだが。

先ず2019年の9月号が特集する現代京劇「党的女児」を見ると、1935年の共産党軍による長征の時代を背景に、広西の農村に生まれ育った平凡な農婦の田玉梅が主人公である。彼女は革命の気運が退潮するなかで身近な者の裏切りに遭い苦悩し、生死の狭間に立たされながらも不退転の決意で知略を尽くして敵と対峙し、模範的な共産党員へと成長し、遂には人生を革命に捧げるのであった。

反動地主勢力による共産党容疑者集団処刑のシーンで幕が開く。同志の犠牲に助けられ命拾いをした田玉梅は処刑場から脱出し、おらが村に逃げ帰り、同志が死の間際に残した言葉を頼りに村人の中から裏切り者を探り出す。やがて共産党軍の支援を受け、村人らと共に敵を殲滅し、革命成就を祈願しつつ幕となる。

10月号は、30年近くに及ぶ奮闘の末に寧夏回族自治区の砂漠を緑の大地に改造し、養魚・植林などを総合経営する寧夏白春蘭沙業開発公司を創業した白春蘭をモデルにした現代京劇「花漫一碗泉」を特集している。《QED》

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