――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港107)

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【知道中国 2225回】                       二一・四・念三

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港107)

 

『明史』の出版から2カ月が過ぎた1974年6月に出版された『魏書』は「西暦四世紀末から六世紀半ばまでの北魏王朝の興亡史」を、半年後の同年12月に出版された『新五代史』は「後梁開平元年(西暦九〇七年)から後周顕徳七年(西暦九六〇年)の歴史」を記す。

『魏書』が扱う「北魏政権とは、つまり門閥化した鮮卑貴族と漢族門閥地主による連合統治であり」、『新五代史』が対象とする「五代は封建分裂割拠の時代であり、〔中略〕中央集権制度が破壊され、地方藩鎮が大地主豪族の支持を受け、兵を擁し覇権を唱えた時代である」と“客観的”に解説されている。

だが、『明史』までとは異なり、『魏書』『魏書』の「出版説明」には突如として孔孟批判・儒教批判が登場する。

『魏書』は、孔子と孟子が生きた時代は「奴隷制度崩壊前後」であり、彼らは「没落階級・階層・集団の代表」であり、奴隷制度を守るために「反革命の政治スローガン」を叫び、「腐り果てた奴隷所有者である世襲貴族の蘇らせようとした」。「孔孟の道は奴隷制度、つまり歴史の発展を阻害する暗黒勢力の滅亡を救うことなどできるわけがない」。

また『新五代史』を編んだ欧陽修に対しては「政治思想のうえで早くから孔子を尊敬し、儒教を崇める傾向にあった」と批判し、『新五代史』を「典型的な歴史唯心主義の著作」であり、「儒家思想は封建統治秩序を強化し、道理を圧し潰し、造反に罪があると騒ぎ立てるなど、当時の地主階級による統治の求める動きと合致している」と見なしている。

なぜ両史書の「出版説明」に突如として孔孟や儒家への批判が現れたのか。同時期に出版され、『論語』は孔子の「反動言行録」で、「歴代反動派が人民を統治するための道具」と位置づける『《論語》選批』(上海人民出版社 1975年)を参考にして考えてみたい。

同書では「毛主席自らが発動し指導する批林批孔運動」に基づき、上海鉄鋼第五工場第二作業場労働者が『論語』から有名な17ヶ所を選び出し、「労働者・農民・兵士・研究者、革命的教師と理論工作専門家の支援を受け、広範な労働者・農民・兵士の意見を求め」て批判する。労働者であるだけに、「孔孟の道というゴミカスを肥料にすることができる」とじつに勇ましい。その口調に合わせて、『《論語》選批』の一部を訳してみると、

 ――孔子のバカタレは「君子は大義を明白(あき)らかにし、小人はただ小利を知道(し)るのみ」と口にするが、奴隷所有者や貴族を美化し、労働人民と新興地主階級を汚し侮蔑するものだ。孔子ヤローは没落する奴隷所有者の番犬で、そんなヤツの口にする「義」なんぞは実質的に奴隷所有者にとっての「利」でしかない。奴隷制社会を生き返らせ、奴隷所有者と貴族が持っていた全ての政治的・経済的特権を取り戻そうという魂胆は浅ましい。 

広範な奴隷と労働人民は、奴隷所有者の圧迫と搾取に人生を苛まれ尽くし、いつ飢え死にするかもしれない恐怖の日々を送り、生死の境でもがき苦しんだ。にもかかわらず孔子のクソッタレは、彼らを「小利」を知るのみと口汚く罵る。だが、孔子などというバチ当たりは己の利益しか眼中にない強欲極まりない偽善者にすぎない――

じつは『《論語》選批』を出版した上海人民出版社は江青ら「四人組」にとっての最強の武器であった筆杆子(ペン=メディア)の本丸で、文革派イデオローグが書きあげた夥しい数の出版物は「紙の爆弾」となって大量生産されていた。一方、二十四史出版の北京の中華書局は上海人民出版社とは色合いを違え、古典の出版事業を“粛々”と進めていた。

 

もちろん香港の中国系書店の店頭には両社の出版物が一緒に並べられていたが、質量共に上海人民出版社の側に“一日の長”があったように思う。あるいは香港へは上海と北京という2つの政治工作ルートが伸びてきていた。どうやら香港は複雑微妙な中国政治の動きを観測するに好都合な場所だったようだ。それも殖民地であればこそ、だろうか。《QED》

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