――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習89)

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習89)
【知道中国 2423回】                       二二・九・仲七

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習89)

いわば毛沢東との対立で林彪が敗北する一方、毛沢東が画策していたニクソン訪中への道筋が付けられていった――中国の内政と対外関係における劇的な路線転換を、中国メディアはどのような形で“忖度・糊塗”し、どのように出版物に反映させていったのか。

林彪は、なぜ一夜にして「親密な戦友」から毛沢東の地位を奪うことを狙った大反逆者・犯罪者になってしまったのか。昨日まで国を挙げて打倒を目指していたアメリカ帝国主義の頭目であるニクソン米大統領を、なぜ毛沢東は受け入れるのか――大多数の国民が素朴に抱くと思われるこのような疑問に、どのように応じようとしたのか。いや率直に表現するなら国民に向かって“論理的で合理的で革命的”なゴマカシを見せつけるのか。

だが「批林批孔」を掲げ、孔子批判(=周恩来批判)とセットになった林彪批判が本格化したのは73年秋前後からで、林彪・葉群夫妻の焼死体(?)がモンゴルの草原で発見された71年9月からは2年ほどの後のこと。この時間差は、いったい、なにを意味するのか。やはり「林彪事件」は毛沢東らにとっても想定外の突発事であったと思われる。

 その証拠の一端と考えられるのが71年7月に出版された『紀念中国共産党五十周年 1921-1971』(人民出版社)である。執筆者は当時の最高理論権威である『人民日報』『紅旗』『解放軍報』の2紙1誌編輯部、と言うことは共産党の公式見解に当たるわけだ。

 巻頭には、天安門楼上と思われる場所に立つ「偉大な領袖毛主席と彼の親密な戦友林彪副主席」の“英姿”が掲げられている。向かって右側に立つのが左手で左上方を指差す毛沢東で、左側に寄り添う林彪は毛沢東バッチを胸に『毛主席語録』を右手にする。だが、この時期、すでに2人の関係は口も聞かず、互いが顔を背けるような緊張状態になっていたと考えられるから、であればこそ並び立つ2人の姿が空々しくも痛々しい限りではある。

 『紀念中国共産党五十周年 1921-1971』は、次のように切り出した。

 ――「我が党の名称と我々が掲げるマルクス・レーニン主義の世界観は、我が党の基本綱領が資本主義と一切の搾取階級を徹底して粉砕するものであることを明確に指し示している。プロレタリア独裁を以ってブルジョワ独裁に変え、社会主義に拠って資本主義に勝利する。共産主義を実現することこそが、党の最終目的だ。(建国以来の)28年間の英雄的な闘いは最終目標に向かっての万里の長征の第一歩でしかなく、プロレタリアによる政権の奪取は革命の収束を意味するものではなく第二歩を踏み出したに過ぎない」――

以下、論旨を追ってみたい。

 社会主義革命は資本主義との闘争を埋葬し全国労働人民の歓呼に迎えられたが、その一方で次々と悪辣な反党策動に巻き込まれる。たとえば、「彭徳懐、高崗、鐃漱石らは反党連盟を結成し党中央の分裂を画策し、プロレタリ独裁の転覆を狙った。だが彼らの陰謀は党中央の時宜を得た適切な処理によって粉砕された」。

 とは言え、敵は簡単には引き下がらない。波状攻撃が続き、最大の難敵であり「一貫して社会主義改造に反対してきた」劉少奇が遂に正体を顕わし、党との最終決戦の火蓋が切って落とされた。この闘争が文革である。

 劉少奇は「早くも1949年には彼は党中央に背き〔中略〕至るところで『搾取に意義あり』と鼓吹している。50年代初めには『新民主主義秩序を強固に』のスローガンを掲げてみたが、内実は資本主義勢力を『強固に』して発展させようという代物であり、社会主義革命を推進しようというのではない。毛主席はこのスローガンを的確に批判し、ブルジョワ階級の綱領だと告発した」。

毛沢東は一連の「輝かしい著作」で、劉少奇一派の掲げる「農業の機械化を実現させて後に合作社化を」「富農を育てよ」という考えの間違いを徹底批判した、と説く。《QED》

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