――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習78)

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習78)
【知道中国 2412回】                       二二・八・念五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習78)

 『為革命読書』は幼い時に「急病を患い、毛主席が派遣された解放軍医師によって命を助けられたが眼に障害が残ってしまった」雷鋼クンの刻苦勉励物語である。

 8歳になった入学の日、母親は「いいかい、我々労働者の先人は旧社会では学ぶ権利すらなかった。それが今では、毛主席が勉強する権利を与えてくださった。毛主席の著作をシッカリと学び、お話を心に刻み、労働者の心意気を示すんですよ!」と励ます。

 だが学校は劉少奇のブルジョワ修正主義教育路線に支配されていて、眼に障害がある者は学校に来るな、と校門から叩き出される。雷鋼クンから勉学の権利が奪われてしまった。

 やがて「偉大なる領袖・毛主席は自ら文革を発動・領導し」、劉少奇路線打倒の戦端が開かれる。獅子奮迅の戦いを続ける雷鋼クンは、紅小兵や革命的教師の励ましを受けながら、左手に虫眼鏡を、右手に鉛筆を持ちながら日夜倦むことなく毛沢東の著作を学ぶのであった。その真摯な姿は、「毛主席の紅小兵」の鑑と褒め称える。

 『為革命読書』は、全ての少年に雷鋼を手本に「毛主席の紅小兵」たらんことを強く求めるのであった。

じつは毛沢東は目の健康に強い関心を示していた。そんな事情が雷鋼の物語につながったかもしれないが、『常見眼病的防治』(上海人第二医学院付属新華医院眼科編 上海市出版革命組)が出版されている。

この本では麦粒腫、結膜炎、トラコーマなど17種類の日常的な眼病の症状を白黒とカラーの両写真で示し、それぞれの原因を詳細に解説し、これら眼病治療ための漢方・西洋双方の常備薬と調剤法を紹介するばかりか、手術方法をイラスト入りで説明している。オマケに近眼検査表まで付いた優れモノであり、眼病に関する“家庭の医学”でもある。

だが時は文革最盛時ならば、やはり眼病治療であろうが政治から逃れることはできない。

文革開始前、「医療衛生戦線においても、二つの階級、二本の道筋、二本の路線での闘争は熾烈を極めていた。叛徒であり内なるスパイであり裏切り者の劉少奇と衛生部門における彼の代理人は、毛主席の衛生工作に関する一連の指示を長期間に亘って、しかも狂ったように妨害し、反革命で修正主義の衛生路線を頑なに推し進め、広大な農村や山間地を医者も薬も少ない環境に打ち捨てたままだった。トラコーマ、結膜炎、角膜炎などは現在になっても一般的に治療をえられない」のである。

そこで、「医療工作の重点を農村に置け」との「毛主席の輝かしき指示」を受けた「赤脚医生(はだしの医者)」の登場となる。

赤脚医生とは1950年代半ばから行われていた制度で、農作業に従事しながら農山漁村で医療衛生活動を進めていたセミプロ医療従事者を指す。一定程度の学歴を持つ若い農民に初歩的医療実務を短期間(1か月から3か月程度)学ばせ、農山漁村での公衆衛生対策に当たらせた。農村の医者不足の解消を目指した苦肉の策でもあったわけだ。

ところが文革中、赤脚医生は毛沢東思想と結び付けられ、万能の医者として内外に大々的に喧伝されることになる。当時、彼らによる“マユツバもの”の治療や手術の模様が、文革派官製メディアを通じ洪水のように伝えられたものだ。

「毛主席に無限の忠誠を誓う広範な赤脚医生は、毛主席の革命路線に限りない誠意を捧げ、熱い心を込めて多くの貧農下層中農に服務する。いま、溌溂と胸を張る労働者出身の医者の隊伍は成長しつつあり、より多くの工場における衛生戦線の基幹となる。広範な医療関係者は毛主席の教えを固く護ることを誓い、『一不怕苦、二不怕死(一に苦労を、二に死を恐れない)』の徹底した革命精神を発揚し、『完全』に『徹底的』に労働者・農民・兵士に尽くすことを心に定める」。かくて毛沢東思想は万病を治せる万能薬となった。《QED》

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