――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習99)

【知道中国 2433回】                       二二・十・仲二

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習99)

文革は小児病棟すら「毛沢東思想の学習・宣伝のための大教室」にしてしまう勢いだったわけだが、どう考えても正常ではない。だが子供の読者に向かって、その異常事態を正しいこととして教えるのだから、やはり異常が常態化した超異常な時代だったことになる。

今(2022)年2月に出版された『中国共産党簡史』は、文革は「社会主義建設に関する多くの正しい思想が貫徹されず、最終的に内乱になった」と記す。ならば「(小児)病棟を毛沢東思想の学習・宣伝のための大教室」にすることが「社会主義建設に関する多くの正しい思想を貫徹」することなのか。はたまた「病院は静かに病気を治すところ」との考えは「社会主義建設に関する多くの正しい思想」には組み込まれないのか。

このような社会環境において、現在の、そしてこれからの中国を導こうとする世代が幼少年期を送ったことを、やはりハッキリと記憶しておくべきだろう。

とは言うものの、時代は文革の真っ盛り。これまでも見てきたように、上海人民出版社から「社会主義建設に関する多くの正しい思想」に導かれた“紙の爆弾”がまるでキンタロー飴のように出版され、子供の世界で炸裂し続けるから、じつに恐ろしい話である。

 先ずは『心紅似火』(上海港工人業余写作組編)だ。体裁は16cm(縦)×13cm(横)で20頁前後の小冊子風。2410回で示しておいた『夜航石頭沙』、『胸懐朝陽戦冰雹』、『宋師傅学外語』、『優秀的共産党員 ――陳波』、『為革命読書』と同類だ。

時は文革渦中のある年の7月。上海某埠頭案内所で旅客案内係を勤める主人公の魏心剛は私心を捨て、奇跡的と思えるほどに旅客のために働く。まさに「為人民服務」の“権化”としか言いようはない。

行く先の住所を書いたメモを失くし途方にくれる老婆と孫の2人連れを見れば、まさに天啓のように、耳元から「べチューン同志は自らのことなど寸毫も考えず専ら他人に尽くす精神をもって、仕事に対する極端なまでの責任感、同志と人民とに対する熱情を表現した」との「毛主席の暖かく親切な声が聞こえて」くる。毛沢東信仰極まれり、である。べチューンとは共産党革命のために誠心誠意尽くしたとされ、文革当時、「為人民服務」の象徴として全人民が学習すべき模範だと、毛沢東が極端に持ち上げたカナダ人医師である。

ある列車に乗っているはずの妻を捜してくれとの長距離電話を受けるや、魏心剛は出発間際の列車の通路を走り回る。だが見つからない。焦るばかりの心に、今度は「事に当たっては細心であれ。大雑把は失敗の元だ」との毛沢東の声、いや“お告げ”が聞こえてくると言う寸法だ。かくて落ち着いて周囲を観察すると、それらしい女性を発見する。

事の仔細を告げ、荷物を持って急いで列車から降りる。その刹那、汽車は動き出す。すると「我われに必要なのは熱烈にして冷静な心であり、緊張しつつ秩序だった仕事ぶりである」との毛沢東の教えが頭の中に浮かんでくるというのだから、やはり尋常ではない。有り体に表現するなら、恐るべし毛沢東思想教育、である。

毛沢東思想教育が涵養する“社会主義聖人君子物語”でもある『心紅似火』は、旅客や同僚の輪の中で、主人公である魏心剛が「我々は全て五湖四海(せかいかくち)からやってきて、共同の革命という目標のために手を携えて一緒に進もうではないか・・・」との『毛主席語録』の一節を朗々と読み上げるところで幕となる。

――かくも見事な予定調和物語はともかく、気になったのが魏心剛の上司の執務姿を描いた挿画である。絵の中の上司の後ろの壁には、「大海渡るには舵取りに頼る。革命は毛沢東思想に頼る 林彪 一九六七年十一月廿九日」との林彪の揮毫が張られているのだ。

『心紅似火』の奥付けには「1971年2月第1次出版」と記されている。出版から4か月後の同年6月に香港の中国系の学生書店で購入したものだ。《QED》


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