――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習11)

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習11)
【知道中国 2345回】                       二二・三・念六

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習11)

王クンは先生の傍らに立って、昨日のことを包み隠さず正直に話し始めた。すると級友の間から、王クンに対する相反する意見が上がる。

「自分の利己心ではない。妹のことを思えばこそ。だから王クンは悪くない」との意見が聞かれる一方で、「違うよ。妹を説得すべきだった。みんなのものである『公共財産』を私的に取っちゃあダメだよ」と王クンを責める声も上がった。

 最後に先生が「妹のためと言いますが、やはり王クンには公共財産を守るという自覚が欠け、妹を教え諭す努力を怠りました。こういった点はよくありません」と、王クンの過ちを指摘した上で、「ですが王クンには素晴しい点があります。それは自分の間違いを正直に話し、それを認め、自分から改めようとすることです。これこそリッパな心掛けです。王クンが自分の犯した過ちを認めたことは正しくありませんか」と続け、王クンの正直さ――「革命的正義」とでも言うのだろうか――を褒め称える。

するとみんなは口々に「そうだ、そうだ」と声を上げた。予定調和を促す先生の手法は、なにやら「歴史爺さん」の手法に似たり寄ったり。

 出来すぎ気味の他愛のない話であり、頑是無い子どもが「公共財産」に関して議論するなどと言った筋書きはウソ臭過ぎる。だが子どもを「小さな大人」に鍛え上げようとする共産党からすれば、やはり幼い心に「公共財産」という考えをシッカリと植え付け、行動にタガを嵌めておくことは必要不可欠な教育課程となるのだろう。

ここでもハーメルンの笛が吹かれたが、“戒めの笛の音”は子どもたち(=未来の大人たち)の右の耳から入ったが記憶されることなく、そのまま左の耳から抜けてしまった。

じつは毛沢東から現在の習近平まで、歴代政権は例外なく不正・汚職の摘発・根絶キャンペーンを強力に繰り返してきた。だが一向に成果があがりそうにない。まさにモグラ叩き状況が続くばかり。ことに経済規模が拡大するほどに不正の金額は天文学的に跳ね上がりこそすれ、不正・汚職が終息化に向かう気配は全く見られない。手を変え品を変え教え、諫め、脅し上げ、厳罰に処そうが、中央から地方末端までの幹部には一向に効き目がない。記憶に留めるわけがない。馬の耳に念仏であり馬耳東風で、糠に釘は一向に変わらない。

ここで改めて林語堂の指摘を思い出したくもなる。

彼は1935年にニューヨークで出版した『MY COUNTRY AND MY PEOPLE』(邦訳は『中国=文化と思想』 講談社学術文庫 1999年)で、「中国語文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』の活用である。すなわち『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」と記した。

林語堂の指摘から考えるに、妹にせがまれクラスの仲間と育てた杏をもぎ取った林クンの行為は、たしかに「公財私用」に当たる。だが林クンは、子どもながらも「中国語文法における最も一般的な動詞活用」である「賄賂を取る」を実践しただけだろうに。

やはり教育の効なく、「公共財産」なる教えは子ども心にも響かなかった。いや、より実態的に即するなら最初から「公共財産」などと言う考えが聞き入れられることはなく、「公財私用(=公の財産を私する)」という悪癖は直りそうにない。「公財私用」を否とする考えが中国社会に根付くことを期待するのは、まるで「百年河清を俟つ」に近い徒労と言うものだろう。かくして「中国語文法における最も一般的な動詞活用」は永遠に不滅のようだ。

はたして習近平政権が掲げる「中華民族の偉大な復興」が達成された暁には、「中国語文法における最も一般的な動詞活用」は消え去るとでも・・・まさか。《QED》

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