――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘57)橘樸「道�概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘57)橘樸「道�概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)
【知道中国 2097回】                       二〇・七・初四

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘57)

橘樸「道�概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

中国は激動のとば口に立っていた。だが、そんな時代の雰囲気も知らぬ気に、風光明媚な西湖を振り出しに蘇州、南京、揚州と続く気儘旅。旅先での庶民とのやりとりを楽しみ、日常の裏側に潜む彼らの生存原理に思いを巡らしながら、青木は『江南春』(平凡社 昭和47年)を綴った。

 「上古北から南へ発展してきた漢族が、自衛のため自然の威力に対抗して持続して来た努力、即ち生の執着は現実的実効的の儒教思想となり、その抗すべからざるを知って服従した生の諦めは、虚無恬淡の老荘的思想となったのであろう。彼らの慾ぼけたかけ引き、ゆすり、それらはすべて『儒』禍である。諦めの良い恬淡さは『道』福である」と説くが、当時の青木の考えを敷衍するに、あるいは、こういうことだろう。

 黄河中流域の中原と呼ばれる黄土高原で生まれた漢民族は、やがて東に向かい南に進んで自らの生存空間を拡大してきた。先住異民族と闘い、過酷な自然の脅威にさらされながらも生き抜く。こういった日々の暮らしの中から身につけた知恵の一方の柱が、何よりも団結と秩序を重んじる儒教思想だ。団結と秩序が自らを守り相互扶助を導く。だが獰猛無比な他民族、猛威を振るう自然、時代の激流を前にしては、団結も秩序も粉々に砕け散ってしまう。人間なんて、どう足掻こうが所詮は無力。そこで、もう一方の知恵の柱――なによりも諦めを説く老荘思想の出番だ。団結と秩序への盲従、つまり誰もが大勢に唯々諾々と迎合する情況を「『儒』禍」と、人力ではどうにも動かしようのない自然や時の流れをそのまま受け入れることで自らを納得させる術を「『道』福」と呼んだのではなかろうか。

 さらに青木は、「韮菜と蒜とは、利己主義にして楽天的な中国人の国民性を最もよく表わせる食物」となる。そこで、「己れこれを食えば香ばしくて旨くてたまらず、己れ食わずして人の食いたる側に居れば鼻もちならず。しかれども人の迷惑を気にしていてはこの美味は享楽し得られず。人より臭い息を吹きかけられても『没法子』(仕方がない)なり。されば人も食い我も食えば『彼此彼此』(お互い様)何の事もなくて済む、これこれを利己的妥協主義とは謂うなり」という辺りに落ち着くこととなる。

また中国芸術を指して「まさに韮のようなものだ。一たびその味わいを滄服したならば何とも云い知らぬ妙味を覚える」とも説いている。(なお、原文では滄は「さんずい」ではなく「にすい」)

 以上を対外開放以降の40年ほどに当てはめると、一貫する激越なカネ儲けにしても、間歇的に起こる反日言動にしても、習近平の強圧的な内外路線にしても、それらに相乗りすれば「香ばしくて旨くてたまらず」「何とも云い知らぬ妙味を覚える」。調子よく立ち回っている人の「側に居れば鼻もちならず。しかれども人の迷惑を気にしていてはこの美味は享楽し得られず」。かくて誰もが我先にイケイケドンドン。他人は関係ない。これが「『儒』禍」。だが時代の敗者になったら致し方がない。キレイサッパリ諦めるだけ。これを「『道』福」と言うのではないか。百年生きたところで、たったの36,500日でしかないだろうに。

一方、林語堂は「成功したときに中国人はすべて儒家になり、失敗したときはすべて道家になる」(『中国=文化と思想』講談社学術文庫 1999年)と説くが、青木の指摘と重ね合わせると、中国人は儒家と道家をご都合主義で演じ分けているようにも思える。

青木の説くところに基づくなら、「『儒』禍」と「『道』福」に裏打ちされた「利己的妥協主義」が中国人の行動原理となるだろう。それにしても、彼らの民族性を韮や蒜で表す青木の韜晦振り――いや敢えて洒落っ気というべきか――には、完全に脱帽するしかない。

橘の中国論に欠けているのは、やはり青木の醸す“洒落っ気”ではないか。《QED》

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