――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘55)橘樸「道敎概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘55)橘樸「道敎概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)
【知道中国 2095回】                       二〇・六・丗

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘55)

橘樸「道敎概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

橘は「『中國民族は宗敎的民族』であり、彼等の精神的及び物質的生活の中には、宗敎的信仰又は其れから生じた慣習や形式の力が強く働いて居る」とし、この点を見逃したままでは「到底中國人及び中國社會を完全に理解する資格はない」と説く。

中国には儒教があり後漢時代に輸入された仏教があるが、「現在では、儒敎も佛敎も總て道敎に吸収され」てしまい、「一般民衆の立場からすれば、儒敎も佛敎も完全に道敎の爲に征服せられたと言つても差支えない状態にある」。

道教には、学者が研究する「哲學的道敎」、道教の僧侶である道士たちが説く「道士の道敎」の外に、「民間に行はるゝ通俗的な一切の道德的信仰や行爲や思想を總稱した」ところの「通俗的な道敎」がある。橘は、この「通俗的な道敎」に依って「中國人及び中國社會を完全に理解」しようと試みた。

一見すれば中国人は無宗教のように見えるが、じつは「中國人の九十九パーセント、或いは其れよりも一層多くの人々が道敎信者」であるそうな。だとするなら意識しないままに毛沢東教や拝金教を信奉する者も、一皮剥けば「通俗的な道敎」の信者ということか。

道教を信じながら道教を意識しないワケは、第一には「餘りに其れが有觸れたことであるので、特に信仰だとか宗敎だとか云ふ樣に反省する機會が無」く、第二に「一般民衆には道敎と云ふものゝの定形が與へられて居ない」からだ。いわば道教には他の宗教が持つ形式がない。いわば融通無碍でなんでもあり、ということになる。

橘は「宗敎とは、有限なる人間が無限なる神の力に欇取され、無限生命を得て、其處に安住しようとする、自然にして且つ必然なる要求の反映である」と定義し、道教の宗教性、つまり道教が持つ永生観の淵源を、「太古以來の『祖先崇拝の思想』」「戰國の中頃から盛になつた『神仙思想』」「佛敎の『三世因果説』」に求める。

この辺りから橘の衒学趣味が展開され、読み進むほどの鼻白む思いが昂進してしまう。そこで、彼の古今に亘る該博な知識と蘊蓄を傾けた道教分析はスカッと読み飛ばして、一気に結論部分に進むことにしたい。

橘に依れば「道敎とは、玉皇大帝を唯一至高の神として崇拝するところの民族宗敎であつて、中國の社會に固有する一切の宗敎信仰は例外なく之に同化せられ、或は同化せらる可き運命を擔つて居る。單にそれ許りでなく、外來の宗敎にしても、其れの敎理又は神々が中國人に心的生活と密接に結びついて後には、不可避的に道敎の同化作用を受けるものである」となる。有態に表現するなら信仰のゴッタ煮であり、宗教のヤミ鍋だろうか。

道教を構成する要素で「一番大切なものは、申す迄もなく中國人及び其社會それ自身である」。ということは「中國人及び其社會」がなければ道教は存在・機能しないリクツとなるはずだ。第2の要素は「老荘思想殊に老子の哲學である」。第3は「儒敎であるが、之は時代によつて道敎に取入れられた部分が相違している」。第4が「神仙思想」となる。

「道敎の理想を歷史的に觀察すると、其の第一は、各人が一定の修業を經て『永生』に入り、即ち仙人となつて、一切の自在を得ると云ふ事にあった」。そのための「高邁な哲學の思索」「嚴格な實踐」「熱狂的な煉藥の研究」も「馬鹿々々しくてお話にならない」ほどに全てがムダだった。かくして「神秘に憧れ易い流石の中國人達も、千年に餘る失敗の歷史に痺れを切らして、物質的方法による永生の途を斷念し」、長生きや生殖力増強に切り替えたというのだ。それが「今日も猶大いに其の効果を収めつつある」そうな。

最早不可能である永生の願いに代わって中国人が求めるようになったのは「個人及び家族の幸福」であり、それを「出來得る限り擴大したいと云ふ望」ということになる。《QED》

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