――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘49)橘樸「『官場現形記』研究」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘49)橘樸「『官場現形記』研究」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)
【知道中国 2088回】                       二〇・六・初七

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘49)

橘樸「『官場現形記』研究」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

どう考えても、現在の共産党政権幹部の生態は、『官場現形記』が描く役人の振る舞いとウリ二つ。そこで試しに『官場現形記』の序文を拾い読みしようと思う。そこで、以下の「官」を幹部と読み替えてもらいたい。

冒頭の「官の位は高く、官の名は尊く、官の権力は大きく、官の権威は重い。これは子供でもよく分かっている」からして、そのものズバリだ。

「人間と言うものは深く関係する者に対しては、必ずや深い計略をめぐらし、それ相応の手段を思いつくものだ。かくして巧妙なゴマすり工作がはじまる」とは、たしかにそうだ。

さて、「深い計略をめぐらし、それ相応の手段」とはなにか。それが「ぐにゃりグリャリと捕まえどころのないような形で調子よく取り入る。ツテを求めて裏門から近づく」ことであり、「こうして官僚社会の節度は紊乱を極めることになる」。

では、どのように「官僚社会の節度は紊乱を極めることになる」のか。

「皇帝の耳となり目となって働く者は総督や巡撫であり、総督や巡撫の手足となるのが司道とはいうものの、互いが秘密を隠し合っているから疑心暗鬼が重なり、本来の役目を果たせるわけがない。極端な場合、配下の者を使って目下の地位に在る官から賄賂を巻き上げ、その対価として彼らの不正を見逃す場合さえある」。

「官の力は皇帝を補佐して善政を施すには力不足だが、民衆を虐め苛むには余裕綽々と言ったところだ。それというのも官の位は高く、官の名は尊く、官の権力は大きく、官の権威は重いからである。だから批判するような者が現れたら、有無を言わさずに捕まえて刑に処してしまう。天下の道理を知る者は憤るが、後の祟りを恐れて沈黙を決め込むばかり」。

「そんなわけで官の横暴振りはエスカレートの一途だ。当たり前の人間ではとても出来そうにない悪事や卑劣な行いでも、官は平気の平左でやり遂げてしまう。美女や物質的利益には、まるで命と同じように執着し愛おしむ。さらに官は酒色に溺れる生活を、極く当たり前のことだと心得ている」。いや、じつに始末の仕様がない。

かくて『官場現形記』の官に対する批判は一気に爆発する。

「世の中で最も憎むべきは盗賊だが、その害は一時のものに過ぎない。これに対して官の害は恒常的だ。世の中で最も恨むべきは仇讐だが、それは半ば公然と行われる。だが官は暗闇からウジウジとジワリジワリと、時に真綿で首を絞めるようにして恨みを晴らそうとする。官の制度の創始者は、このことを予め弁えていたのだろうか。普通の人と違って官になろうなどというヤツは最初からヒネクレ根性の持主だから、とどのつまり堕落したというのか」。

とはいえ官僚階級が社会を牛耳っているからには、庶民に怒りはヌカにクギである。やはり諦めるしかなさそうだ。

「国家が衰微しても官は強く、国家が貧乏でも官は富み栄える。皇帝を中心にとか、礼儀廉恥とか言った伝統的道徳律は官によって破壊されつつある。官が社会から攻撃を受け軽蔑される根源を考えれば、その歴史は長いのである」。

こう読み進むと、1世紀以上も昔に『官場現形記』が嘆き、糾弾し、恨み節を奏でて留飲を下げるしかなかった官僚階級は、いま共産党独裁下の幹部階級と名前を変えて厳然とリッパに堂々と生き続けている。さて、この100年ほどの間に「為人民服務」の拳々服膺を謳いあげた毛沢東の時代があったはずだが。“遺風”堂々・・・ダメダ、こりゃー!《QED》

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