――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘48)
橘樸「『官場現形記』研究」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)
なぜ「暗鬪の激烈にして殘忍なこと」になるのか。橘は「一體中國人は陰謀好きで、血を流す喧嘩には臆病だが、暗鬪は盛に之を演じ、此方の手腕にかけては何の民族にも引けを取らない。就中官僚が此の道にかけては特に傑出して居る」とした。
先に列記した特徴に暗闘にかけては官僚が「特に傑出して居る」とするからには、共産党政権下の幹部は封建中国を牛耳っていた官僚のリッパな後継者であるばかりか、橘の用法に従うなら正真正銘の社会階級、つまり幹部階級と言わざるを得ない。
橘は「私は中國の官僚階級殊に文官及び其家系に屬する者が世界中で最も�性の缺けた人類であることを斷言するものである」と指摘するが、現在では「文官及び其家系」に加えて現代の武官である人民解放軍とその家系が加わるわけだから、さらにタチが悪い。
では、なぜ「世界中で最も�性の缺けた人類である」のか。「其中の最も重大な原因は、彼等の日常生活が前記の如き暗憺たる鬪を以て間斷なく脅威されて居る爲だと考へて居る」。そんなツライ生活ならトットと止めればいいじゃないかと思うが、それが止められない。なぜなら、思う存分に「發財主義」を満足させてくれるからだ。
ここで習近平一強体制の現在を考えてみたい。
おそらく「激烈にして殘忍な」「暗鬪」における“勝ち組”が習近平の一強体制を支えているのだろう。彼らもまた「間斷なく脅威されて居る」がゆえに一種の危機感を共有しているはずだから、余計に一強体制固めに狂奔し、習近平の周囲に固まり身構える。
では、彼ら“勝ち組”の危機感・焦燥感はどこからやってくるのか。
おそらくは�新型コロナ問題処理に対する内外で高まる一方の不満・批判。�利得の最大化に対する“負け組”と圧倒的国民の間で拡大する反発・怨嗟。�地位(権力)が半ば自動的に利益をもたらす統治システムへの疑義――が考えられる。そして最大の問題は、公的・私的にかかわらず自らの振る舞いの正統性を国民に説明できないこと。そこで、ITやAIの技術を駆使する徹底した監視社会を築き、強権体制を維持するしかない。かくて「世界中で最も�性の缺けた人類であること」を運命づけられている。
すでに知られているように中国ではありとあらゆる組織に共産党委員会が配され、そのトップである党委員が当該組織に関する生殺与奪の全権限を持つ。こうして最末端の郷鎮レベルから最上級の国家までを党が指導する党国体制が国土の津々浦々にまで貫徹され、各レベルの党幹部に権限が集まり、最終的には幹部の総大将である共産党総書記に収斂することで、共産党総書記である習近平が絶対的権力を揮える。これが「世界中で最も�性の缺けた」民族の頂点に習近平が君臨している構図である。
ここで問題なのが開放体制が生み出す莫大な富が、習近平を総大将に戴く「世界中で最も�性の缺けた」幹部階級の懐に吸い込まれてしまう。つまり不正・腐敗である。だが問題の根は深い。それというのも不正・腐敗を取り締まるべき司法組織もまた党国体制に組み込まれているゆえに、《自己人(なかま)》を逮捕し、罪を問い、刑務所にブチ込むわけがないことだ。だが、だからと言って中国の刑務所では閑古鳥が鳴いているわけではない。
いや略称で「労改」と呼ばれる準刑務所的思想改造機関である労働改造所を含め、全土の刑務所は「密談」も出来ないほどの徹底した「三密」(密集・密閉・密接)である。囚人の多くは幹部階級の不正・腐敗に「異」を唱える人々であり、《自己人》とは認められない人々である。もちろん、その中には漢族の横暴を糾弾する漢族以外の民族もいる。
経済のグローバル化は「世界中で最も�性の缺けた」幹部階級にとって追い風となり、それゆえに「激烈にして殘忍な」「暗鬪」は終わることなく続く・・・ということだ。《QED》