――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘47)橘樸「『官場現形記』研究」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

【知道中国 2086回】                       二〇・六・初三

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘47)

橘樸「『官場現形記』研究」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

清朝崩壊を8年後に控えた1903(光緒29)年、小説『官場現形記』が出版された。出版翌年には早くも再版されているほどに売れ行き好調だった。文学芸術として評価されたと言うより、魑魅魍魎たちが蠢く官僚社会の病理を抉った点が大いに迎えられたのだろう。

この本を紹介してくれたのは、香港留学時にお世話になった孫文研究を生涯のテーマとしていた王徳昭教授だった。中国社会を律する目に見えないようなカラクリについて質問すると、「共産党独裁の現代社会も基本的には『官場』、つまり役人の世界を軸に動いている。現代の役人である幹部の世界を知ることが、中国社会を動かしているカラクリを解き明かしてくれる」と、『官場現形記』を薦められた。巻擱く能わずの形容のままに一気に読了したことを覚えている。面白い。とにかく面白かった。

『官場現形記』を、橘は「官僚社會に行はるゝ諸々の罪惡を主として、其の民衆に及ぼす影響を主眼とし、同時に官僚階級の政治的竝びに社會的權威が外國人及び新興勢力たるコムプラドアや貿易商人の爲に漸次に凋落して行く經路を描寫したものである」と紹介した後、この小説が描く「官僚生活は、我々が讀むと白髪三千丈式の誇張に充ちているように一應は感じられるのであるが、それでも中國人に質して見ると、正銘掛値なしの實状であつて」、内容には充分信頼が置けるとする。

橘は『官場現形記』を使って、中国社会を牛耳ってきた官僚の姿を解き明かそうとした。

他の国と違って中国の「官僚群は國家又は民族なる全體社會の中に在つて一つの部分社會を構成して居ると同時に、一つの社會階級を構成し、而も支配階級として國家乃至民族の最上層に位するものである」。「社會階級」であるからこそ、それを構成する「官僚群は文武官僚及び之に準ずる者は勿論其の家族及家系をすら併せて包含するもの」であり、「之が中國の政治及び社會組織を他の有らゆる國家乃至民族と差別せしむる所の根本原因の一つ」ということになる。

『官場現形記』は日清戦争(1895年)から義和団事件へと続いた「中國としては最も多事なる時代に出來上がつた」ものであり、「中國政府は此の目まぐるしい時代に處して遺憾なく文武官僚の無智と無能と腐敗とを暴露し、民衆は國政陵夷の責任を、擧げて官僚群及び其の頭目たる滿洲朝廷に歸して居」た。

橘は官僚の「無智と無能と腐敗」の淵源を階級性に求め、その特徴を挙げている。

第一に「(官僚)選抜の標準は矢張り主として縁故及金錢に依つて決せられ」るから、高位高官の子弟か、さもなくば富豪の子弟でなければ科挙試験に合格して官僚に就くことはできない。「優越な社會階級が其の優越を維持する爲に出來得れば絶對に其の門戸を閉鎖」し、自らの利益を守る。

第二に「特殊なる地位に在ることを意識して之を誇示する爲に煩瑣なる階級的シンボルを數限りなく設けて居る」。

第三に「官僚の生活態度が著しく他の社會と相違して居ること」。

第四に「『學問』を階級的專有物と心得て居た事」である。ここでいう「學問」は儒教を指し、儒教知識が科挙試験の成績を左右し、官僚は儒教教義に依って政治を行った。だが「儒�は單なる看板に過ぎず、官吏共は全然之と異つた主義? によつて人民を苦しめる」。政治は自分たちの優越性を誇示する口実であり、思いの儘に私腹を肥やすことができる道具であり、なによりもカネになる結構な商売である。つまり“止められない止まらない”。

第五に権力を巡る仲間内の「暗鬪の激烈にして殘忍なこと」。

かくて封建中国の官僚階級の特徴は、共産党幹部のそれと奇妙にも重なってくる。《QED》


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