――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘42)橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘42)橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)
【知道中国 2081回】                       二〇・五・念四

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘42)

橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

フェリーは階上と階下の2等級に分かれている。もちろん、安い方の階下だから窓などなく吹きっ曝しだ。夏は心地よいが、さすがに香港でも冬は寒い。

フェリーは九龍側の九龍塘碼頭を発ち九龍と香港島の間のヴィクトリア湾を横切って香港島側の北角碼頭を目指して進む。固い板製の長椅子に詰めて坐る。前後左右から伝わってくる働く人の汗の臭いに包まれる。「密接」「密集」のうえに「密談」だ。だが彼らは呆れるほどの声がデカい。密談もなにもあったものではない。個人情報は筒抜けだ。

時々、乞食なのか大道芸人なのかは分からないが、胡弓もどきの手作り楽器を奏でる。一曲終わると、広口瓶の蓋のようなものを手に座席の間を歩き、一人一人の乗客の前に差し出す。もちろん“ギャラ”の要求だ。順繰りに回ってきて、次はオレかと思っていると、彼の手は私を飛び越して隣に移った。その瞬間、なんとも言えぬ思いに駆られたものだ。仲間とでも思われたのだろうか。それとも、こんな貧乏臭いヤツからカネは取れないと同情でもされたのだろうか。喜ぶべきか。それとも悲しむべきか。あの当時は175cmで体重は50キロを遥かに切ってガリガリ。後でみたらBMI(体格指数)では痩せの危険ラインを遥かに下回っていた。乞食まがいの大道芸人にまで格下の扱いをされた・・・香港留学の輝かしき“勲章”だと、あの日のフェリーでの出来事を今でも思い出す。トホホ。

北角碼頭から繁華街を5、6分歩くと五洲大廈だった。

途中での印象深い思い出を・・・再録だと思うが成り行きということでご了解願いたい。

ある冬の日であった。パンツ1枚の乞食が座っている。自らの半生を簡潔に綴った文章が、道路に墨痕鮮やかに記されていた。但し白墨ではあるが。記された文章を読んでいると、寒さに耐えかねた彼は走り出す。その時はポケットに小銭があったから急に“太っ腹”になって、そこに置いた。すると何処からか別の乞食がやってきて持って行ってしまった。体を動かして温まったからだろうか。彼は肩で息をしながら戻ってきた。

こちらも暇であるうえに物見高い。これは絶好の暇潰しと、寒さを我慢しながら立ち続けた。走り出す。通行人が小銭を落とす。別の乞食が持ち去る。彼が息せき切って戻ってくる・・・の繰り返し。じつに有意義で優雅な暇潰しの一刻だったことを覚えている。

ここで、やっと甘先生との雑談時間に辿り着いた。

中国人の性質を分かり易く解説した「差不多先生」という表題の文章を読んだ際、中国人は失敗しても、しくじっても、痛めつけられても、「差不多(まあまあだ)!」と呟くばかりで反省がない。だから進歩がない――と甘先生が説明してくれた。そこから先生の日頃の義憤が炸裂した。中国人は「発財(カネ儲け)主義」だからダメなんだ。近代化も民主化もできない。とどのつまりは共産党だって、国民党だって、発財主義じゃないか、と。

――いいですか、中国人はお目出たい春節(しんねん)の挨拶に「恭喜発財(カネ儲けバンザイ)」を繰り返す。香港では、それが酷すぎる。聞くに堪えません。「発財主義」から脱し、さもしい根性を鍛き直さない限り、中国人が近代精神を持つことはできないのです。中国が近代社会に成長する事はゼッタイに、金輪際、あ・り・ま・せ・ん――

どうやら発財主義を中国人とは切り離せないものと見做す点では同じだが、甘先生は中国人の伝統的悪弊であると見做し、それを克服しない限り中国に近代化された民主的社会は訪れないし、中国が世界の普遍に参画することも出来ないと断罪する。一方、橘の説くところによれば孫文は発財主義を逆手に取って、近代社会はカネ儲けが自由にできると説くことで国家改造を狙った、ということになる。どちらが正しいのか。

さてトンだ道草を切り上げて、ここらで国民党の理想国家に進むことにしたい。《QED》

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