――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘37)橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘37)橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)
【知道中国 2076回】                       二〇・五・仲四

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘37)

橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

もう少し橘の考えを追って見たい。

「崇古癖及び家族主義の貝殻の中に閉じ籠る事を以て其の特色とする民族」の中の学生に対し、胡適は留学先のアメリカで仕込んだ自由主義思想を掲げて「精神的に自我及び時代に覺醒」せよと教えた。「自我及び時代に覺醒した」ことで、学生は「自己の屬する民族の尊さに醒めた」というのだ。

「三百年來異民族の統治を受けて來た事」とアヘン戦争から70年ほどの「西洋文明の異樣なる強さ及び華やかさに眩惑された事」で、「自己の屬する民族の尊さを忘れて居た」。孫文の奮闘が先ず学生を目覚めさせた。孫文式の「中華民族の偉大な復興」の効果なのか。

ここで問題となるのが、中国人の民族的矜持が往々にして「一人よがり」に陥ること。だから民族的矜持に「客觀的基礎を附與し」なければならないし、そのためには「強盛なる國家を建設」する必要がある。だが中国人は「支配階級たると被支配階級たるとを問はず、國家に對して無關心である」。

だが、ここで奇跡が起きた。

「一般の人民が國家の問題に注意することは嘗てなかった」という伝統を打ち破り、学生が「心の中に在る民族愛護の情操」を「強く且つ廣く内外國民に働きかけた」というのだ。

かくして「愛國と云ふ事が中國人の日常行爲に於ける一つの形式的要素として固定し、換言すれば愛國なる要求に背く事が直ちに面子の喪失を意味するに至つた」。つまり反愛国行為が「物質上の損失と同時に面子の喪失」に繋がることが分かったから、一連の運動が社会に定着するようになった。

――またしても回りくどい解説だが、とどのつまりは「愛國と云ふ事」によって「利己心」が満たされる。そのうえに面子まで保てるのだから、まさに一石二鳥ということだろう。なにをするにも先に立つのは「利己心」だ。ならば中国における愛国心とは何なのか。

ここで橘は再び五・四運動に議論を戻し、思想革命としては胡適がアメリアから持ち帰った自由主義を思想的支柱としていることで不都合はないが、もう一方の柱にした排日運動を考えるなら、結局は「充實せる國家の力を根據とせぬ限り決して滿足の效果を収める事が出來ない」。つまり「自己の民族に對する愛着は如何に強くとも、民族の形式的又は實力的表現方法なる國家の組織が不完全では何の役にも立たない」とした。

じつは「相當な程度の文化を持つ何れの國民にも例外なしに存在するところの愛國心が、中國々民に限つては缺けて居」るのだ。それというのも、

(1)アヘン戦争を経験するまで中国と「肩を並べ得る程開明にして強大なる民族と接触する機會」をもたなかった。

(2)中国では国家が外敵から構成員の生命財産を守るために機能してきたわけではなく、専ら支配階級(皇帝+官僚階級)による被支配階級(老百姓)搾取のための仕組みであり、両者もまた国家をそのように捉えていた。

(3)「中國人の日常生活は家庭及び村落の範圍内で保障され」ていたし、そのレベルで完結していたから、「それ以外の如何なる社會に關しても深い利害關係を感じなかつた」から、人々の意識のなかに国家が存在することはなかった。

自国・自民族以外の他者・他国の存在を大前提とする国際社会が意識されてこそ自らの国家に思いが至るわけだから、古来、他者を意識できなかった、つまり国家意識を持たなかった「中國人を不具者扱にする事は不合理である」と、橘は心優しく同情的だ。《QED》

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