――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘13)橘樸「中國民族の政治思想」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘13)橘樸「中國民族の政治思想」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)
【知道中国 2052回】                       二〇・三・念七

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘13)

橘樸「中國民族の政治思想」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

つまり、敢えて父権と母権を対立関係に置くまでのことはないだろう。少なくとも一族結束して家族経営を維持し成功している華人企業家一族を見る限り、そう見做しても強ち間違いはない。やはり母権、つまり母親であり祖母は一族結束の中核であり、そうであればこそ絶対的権限を持っていると考えられるのである。

人民解放軍の生みの親と称えられる朱徳の人生を綴った『偉大なる道 朱徳の生涯とその時代(上下)』(アグネス・スメドレー 岩波文庫)には、「『祖母が家全体の経済を切り盛りし、指図した』と朱将軍が説明する」として、大家族内における祖母の姿が描かれている。いま、それを示してみると、

「祖母が、それぞれの男と女とに、仕事を割り当てた。野良の仕事は男、軽い野良仕事と家の内の仕事とは女と子供だった。祖母の四人の嫁は、順番で一年ずつ、家族全体のための炊事番となり、小さい子たちがそれを助けた。ほかの女は、紡いだり縫ったり洗ったり掃除したり、また野良ではたらいたりした」。

「祖母は仕事の振り当てをしただけでなく、めいめいの歳と必要な仕事振りをにらんで、食物の割り当てをした。食うことにも、個人の自由はなかった。祖母は並はずれて腕ききで、差配もりっぱで、また棺桶に入ってしまうまでは、一家のものといっしょになって、力相応に働きつづけた。地主への小作料を完納できるようにする、というのが祖母の苦心だった」。

「年の暮には、家族は共有の居間に集まり、祖母が、その長男――朱徳の養父――の助けを借りながら、全員に、その年の収入の配当をし、誰はどういう着物が要るかを決定した。〔中略〕この家族会議ですべてが決定された後、倹約な祖母は、家の貯金を集めて、彼女の寝室の床下に埋められた壺にいれる」。

同書巻末に収められた「母の思い出」で、朱徳は「勤労する家庭は規律もあり、組織もあって、きちっとしている。〔中略〕祖母は家庭の組織者で、生産の事柄は、すべて彼女が取締りや割り当てをやった。いつも年の暮れに、あくる年の仕事の割り当てを終えた」と綴っている。 

 

では、なぜ、そうまでしなければならないのか。同書は、すべての農民家族は「饑餓からまぬがれるためのきびしい重労働を目的として組織された経済的単位であった」からだ、と説く。朱徳が育った家族環境は、必ずしも中国の全家族に当てはまるわけではないだろう。だが、最大公約数と見做してもよいのではないか。

――朱徳が語る祖母の姿から、彼女こそ「家庭の組織者」であることが浮かび上がってくる。「家庭の組織者」であればこそ、大家族の個々の成員に対する彼女の振る舞い(威厳・威令・差配)が大家族を内側から支えていたに違いない。ならば父権的母権、あるいは母権的父権とでも言った方がいいのか。いずれにしても、父権と母権は一体で不即不離な関係にあると考えられるのではないか。

こう見てくると、「老子に好意を持つ私」と“告白”しているだけあって、やはり橘の老子理解は不徹底の誹りを免れないだろう。やはり「好意」は往々にして冷静な判断を曇らせるものらしい。

次に「孟子の政治論」に転じた。

橘は「孔子の政治論には何等の獨創を認めない」が、「孟子は一種のデモクラシーの主張者であつた」と大いに評価する。それというのも絶対的存在としての「上帝」と「老百姓(じんみん)」との間に、孟子は「與論」を介在させていると、橘が考えるからだ。《QED》

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