――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘10)橘樸「中國民族の政治思想」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

【知道中国 2049回】                       二〇・三・念一

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘10)

橘樸「中國民族の政治思想」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

これとは反対に�小平は明瞭そのもの。「貧困は社会主義でなない」「誰でもいいからカネ儲けに邁進せよ」「社会に格差が生まれることを恐れるな」「『紅』なんぞ屁の役にも立たない。『専』に徹せよ」――だからこそ、国民が狂喜乱舞して応じることになるわけだ。

こう考えると、社会主義的聖人君子を作り出そうなどという出来もしない理想(ウソ)の実現を目指した毛沢東こそ、儒教的権力者の典型と見做しても間違いはないはずだ。その一方で、カネ儲けという中国人の業を全面的に肯定した�小平は道教的権力者の理想と言えそうだ。もっとも“中国人の業”などと表現すると、落語は人間の業の肯定であると説き続けた立川談志の受け売りのようで場違いな感がしないでもないが。

いわば孔子=儒教=毛沢東=タテマエ(ウソ)であり、老子=道教=�小平=ホンネ(ホントウ)という図式になろうか。儒教と道教が混然一体となって中国人の伝統的振る舞いを形作ってきたとするなら、毛沢東と�小平の考えが合体したものが現在の共産党独裁体制下の中国人の行動規範の柱になるだろう。では、なぜ毛沢東と�小平は対立しないのか。それは共産党独裁体制堅持の一点で共通しているからだ。

であればこそ、橘の表現を借りるなら、�小平の考えは「被治者の思想及感情を代表するもの」ではあるが、その内側を「治者の利�に立脚して組立てられた�義」で鞏固に武装しているということだ。

橘の主張に戻る。

橘は「儒�は所謂天命説を其の�義の骨子とするものである」と規定し、その変遷を次のように説く。

唯一神である天(天帝)が「人類の内から或一人を選んで彼(天子)に牧民(統治)を命ずる。往古から堯、舜の時代までは「唯一神對唯一人の關係」が成り立つが、「禹に至つては帝王の世襲制が確立し」、「天命は或程度まで一度選ばれた人の血統に沿ふて下る事となつた」。だが周代に天下が混乱し群雄が割拠するようになったことから、孔子が信奉していたような「古い天命説」は権威を失った。力(暴力)が正統性を引き寄せるのだ。

孔子の後に出現した「中庸は明かに正統儒�の思想」に沿ったものだが、「天命を總ての人類に開放し、其れが道�の淵源であ」り、「道�の最高原理は誠である」と見做した。「誠を完全に保ち得る者は聖人であ」るからこそ「天下の主となり得る人」であると説いた。孟子も孔子と同じく「天命説の信者であることに變りはない」が、「誰でもいゝから唯人殺しの嫌ひな者に天命が歸すると信じたのである」。

――以上が橘の見解だが、ここでも誤解しているように思える。

たしかに天の子(天子)たる皇帝は、彼に天命が下されたからこそ皇帝の位に就くことになる。だが、いったい、その天命なるものはどのような形で一個人に下されるのか。たとえば朱元璋は、乞食同然の境涯から身を起こして明朝を開いた。ここで疑問に思うのが、朱元璋に天の意思が下ったと、いったい誰が判断を下すのか。彼が権力を握り政柄を司ることになったのは、端的に言うなら軍事力で敵を圧倒・殲滅したからだろう。

ここで戦に勝利したのは天命が下されたからであると“強弁”され、新しい王朝を創建する正統性が付与されることになる。易姓革命とは、どうやら権力の偽装・粉飾に近い。

たとえば毛沢東と?介石による国共内戦である。

1946年半ばから3年ほど続いた戦いは、当初兵力比は1対3でアメリカ式装備の?介石軍が圧倒的に有利だった。だが時の経過と共に兵力比は逆転し、1949年春頃には毛沢東率いる共産党軍の勝利はほぼ確定していた。天命が毛沢東に降った・・・まさか。《QED》


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