――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習93)
前号で見たように、共産党政権は対外関係において「大小に拘わらず国家は一律に平等」であることを強く訴えた。これが当時の共産党政権の基本姿勢であり、表面的に取り繕ったタテマエであったにせよ、この姿勢に沿って外交が進められていたのである。
文革時代、中国の国境は完全に閉じられており、民間人による国境を跨いだ自由な往来が許されていたわけではない。海外との交流は友好国に限られていたが、その場合も政府対政府(「国対国」)の外交関係より、「党と党」の関係が遙かに優先される。他国の共産党との交流に当たっては、一般向けの公式記録が出版されていた。
この種の公式記録のうち71年出版で手許に置くものとしては、『英雄的朝鮮人民』『中羅両国人民的戦闘友誼万歳』『勝利属於英雄的越南人民』『中越両国人民牢不破的戦闘団結』の4冊がある。いずれも出版元は人民出版社だ。
毛沢東との暗闘で絶体絶命の崖っぷちに立たされた林彪が死に物狂いで生き残りの道を模索していたであろう1971年4月末から6月初頭にかけ、「兄弟である隣邦の朝鮮を友好訪問」した中国新聞工作者代表団は、訪問の成果を『英雄的朝鮮人民』に記した。
先ず冒頭で、「英雄的な朝鮮人民は、朝鮮人民の偉大なる領袖である金日成同士を首(かしら)とする朝鮮労働党の英明な指導の下、反帝闘争の旗を高く掲げ、独立自主と困苦奮闘の革命精神を発揮し、戦争の傷跡をたちどころに修復しただけではなく、社会主義国家建設と国防建設の各方面で燦然と耀く成功を納め、朝鮮人民民主主義共和国をして東方世界に傲然と屹立する反帝の最前線の難攻不落の堡塁としている」と、最大級の賛辞を示す。
読んでいて気恥ずかしくなるようだが、読み進むに従って気恥ずかしさはさらに増す。
「(『英雄的朝鮮人民』の出版によって)我々はプロレタリア階級の限りない思いを抱き、我らが兄弟である朝鮮人民の『米帝国主義を追い払い、祖国を統一する』という偉大な闘争の道筋で、社会主義建設の広大無辺の事業において、さらに新しく大きな勝利を勝ち取ることを衷心より切望する。中朝両国人民の鮮血で固められた戦闘的友誼が永遠なることを、満腔の熱情をもって願うものだ」と言い切った。
朝鮮戦争の惨禍からの復興は金王朝の輝ける“建国神話”で彩られ、金日成の指導の下、朝鮮人民の血と汗とで見事に立ち直ったとされる。
――「こんにち平壌は共和国の政治の中心であるだけではない。かつての消費都市は生産都市、文化都市へと生まれ変わった。工場が連なり、煙突は林立する。解放前、平壌の学齢児童や青年は学校で学ぶことが困難であった。だが現在、20を数える大学を含む400校以上の学校が建設され、かつて病院は僅か4か所しかなかったが、いまでは300から500床を擁する病院が30数か所を数えるに至った。劇場、映画館は数10か所。人民はこのうえなく優れた物質的文化生活を過ごしている。
朝鮮人民の心臓である平壌は勤勉で勇敢な朝鮮人民の耀ける化身である。その歴史は米帝国主義と日本帝国主義の侵略に反抗した歴史であり、倦むことを知らずに働く人民の両手で築き上げた麗しく快適な生活の歴史でもある。
どのような敵が地図上から平壌を抹消することを企て、あるいは朝鮮人民の実り豊かな生活の破壊を目論もうとも、それらはすべて、必ずや白日夢に終わるであろう。
米帝国主義の爆弾が平壌の建物を破壊することは出来る。だが朝鮮人民の社会主義建設への固い志、共産主義に邁進する強い信念を打ち砕くことは不可能である。米帝国主義に破壊されてから18年の後、旧い平壌は、より雄大で、より壮麗で、闘志に満ち溢れた社会主義の新しい平壌となり、反帝の堅固な砦となって東方世界にスックと立つ」――
それにしても「東方世界にスックと立つ」とは大仰に過ぎ、片腹痛いばかり。《QED》