凶弾に斃れた安倍晋三・元総理は総理在任中、何度も「台湾は大切な日本の友人」「台湾は日本の重要なパートナー」と述べられています。
2013年3月11日の東日本大震災2周年追悼式では「台湾は世界のどの国よりも多額の200億円を超える義援金を贈ってくれた大切な日本の友人」と述べ、2015年7月29日の参議院の平和安全法制に関する特別委員会では「基本的な価値観を共有する重要なパートナーであり、大切な友人」と述べられました。
蔡英文氏が総統に再選され総統就任式が行われたまさにその日、2020年5月20日に出された「答弁書」では「我が国との間で緊密な経済関係と人的往来を有する重要なパートナー」と述べています。
台湾について「大切な日本の友人」「日本の重要なパートナー」と述べているのは、実は第一次安倍政権後の下野していた時代の2011年9月、台湾の台湾安保協会が開催した国際シンポジウム「アジア太平洋地域の安全と台湾海峡の平和」における基調講演にさかのぼります。恐らく安倍元総理の台湾観の原点がこの講演ではないかと思われます。
その前年の10月31日、台北松山空港と羽田空港と松山空港の直行便が就航したこの日、安倍元総理は超党派訪台団を率いて一番機となる全日空NH1185便で台北に到着、夕方には李登輝元総統のご自宅を訪問して親しく話されていました。
自民党青年局時代から何度も台湾を訪れている安倍元総理。祖父にあたる岸信介元総理や李登輝元総統の影響も相まって、講演で話されたような台湾観が形作られたのではないかと思います。
2012年12月の第二次安倍政権から、台湾について積極的に「大切な日本の友人」「日本の重要なパートナー」と述べてきた背景がこの基調講演によく現れているようです。いささか長いのですが、安倍元総理の台湾観を知る上では欠かせない重要な講演ですので全文をご紹介します。
なお、基調講演に演題はついていませんでしたので「日本人と台湾人に課された責務」と題してご紹介します。
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国際シンポジウム「アジア太平洋地域の安全と台湾海峡の平和」
・日時:2011年9月7日(水)9:00〜16:30・会場:国賓大飯店・主催:台湾安保協会
基調講演安倍晋三(元日本国内閣総理大臣・衆議院議員)
◆はじめに
本日はお招きいただきありがとうございます。主催者の羅福全理事長はじめ、台湾安保協会の皆さまに心から感謝申し上げます。この重要な国際シンポジウムにおいて、民進党の蔡英文(さい・えいぶん)主席とともに基調スピーチに立つ機会をいただき、大変光栄に思っております。
私は過去に何度もこの地を訪れていますが、飛行機を降りるたびに故郷に戻ってきたような気持ちになります。私が祖国・日本以外で心の底からそのように感じる場所は、世界中で台湾をおいて他にありません。今回、講演の機会をいただきましたことで、再び、私と私の家族が愛する台湾に帰ってくることができたのです。そのことを本当に嬉しく思っております。
◆日本と台湾の絆─震災復旧・復興支援への謝意
いま申し上げた台湾への親近感は私個人だけのものではありません。日本には、世代を超えて、台湾に親しみを感じる人たちが数多くいます。そうした日本人の台湾への思いはさらに深まりました。去る3月11日に東日本を襲った大震災に際して、台湾の皆さまから多大なご支援を頂きましたことに、まず心から御礼申し上げたいと思います。
震災翌日の3月12日、台湾行政府が1億台湾ドル、当時のレートで2億8千万円もの義援金を日本に送ると発表して以降、今日に至るまで、台湾の皆さまは莫大な義援金を被災地に送って下さいました。その額はおよそ200億円に達しています。これは圧倒的な額であり、今もなお増え続けているのです。また約30名からなる救援隊が震災直後の宮城県に入り、救助活動を実施して下さいました。さらには膨大な量の救援物資が被災地に届けられました。そうした公的な支援に加え、民間団体、企業経営者からなる有志グループ、そして小さな子どもたちに至るまで、まさに台湾全土を挙げて、義援金、物資、そして救助チームを送って下さったのです。もとより私たち日本人は、世界中からいただいたご支援と友情に、金額や人数にかかわらず深く感謝しております。しかし、これほどまでのご支援をいただいた台湾の皆さまに対しては、やはり特別な感謝の気持ちを抱いております。私は一人の日本人として、そして日本の首相経験者として、そうした特別な思いを皆さまにお伝えするためにも、喜んで今回の招待をお受けした次第です。
思えば1999年には台湾中部で巨大な地震が発生し、このとき日本は他国に先駆けて大規模な救援隊を台湾に派遣しました。3・11大震災に際して現在もなお続いている台湾からのご支援は、こうした台湾と日本との強い絆、そして友情の歴史にまた新たなページを加えるものです。台湾の皆さまが示してくださった友情は、長く日本人の心に刻み込まれることでしょう。事実、台湾の駐日代表部(台北駐日経済文化代表処)が5月に日本国内で実施した調査で、7割近い日本人が「台湾を身近に感じる」と答えています。現在の日本と台湾の関係は、世界的にも見ても最も親密で友好的な隣人関係であると言って良いだろうと、私は思っております。台湾を愛する私にとってこれほど嬉しいことはありません。
◆3・11が示した日本人の価値観
2011年3月11日は今を生きる日本人にとって忘れ得ぬ日となりました。世界の歴史のなかで、大規模な自然災害が一つ国家の命運を決めた例は決して少なくありません。例えば、1755年11月1日、ポルトガルのリスボンで巨大な地震と津波そして火災が発生しました。そして、これを境に当時の大国ポルトガルは凋落の道をたどることになりました。それから350年を経ても、いまだにポルトガルはかつての栄華を取り戻すことが出来ません。また、この11月1日がキリスト教の祝祭日であったために、キリスト教への信仰心まで大きく揺らいだと言われております。
翻って、日本はどうでしょうか。震災から半年が経とうとしていますが、被災地にはいまもなお瓦礫が残り、多くの方々が仮設住宅や避難所での生活を余儀なくされています。死者・行方不明者は2万人を超え、経済的損失は16兆円から25兆円に達すると言われています。復興には相当の時間がかかることは間違いありません。日本はこのまま凋落の道を辿るのでしょうか。私は決してそのようなことはないと確信しております。その理由は、日本人の高い道徳性、そして強いメンタリティーを私が信じているからに他なりません。
私は、これほどの大災害の中にあっても秩序を持って行動した国民を誇りに思っております。また、親族や友人を亡くし、家を失い、仕事を失った被災者・避難者の皆さんが互いに助け合う姿を見て、日本がこれまで培ってきた価値観や底力がしっかりと根を張っている事実を再認識いたしました。
今回の震災では、原子力発電所の事故が大きな壁となって国民の前に立ちはだかりました。誰もがパニックに陥っても不思議ではない状況の中で、被爆覚悟で原発事故収束に力を尽くした自衛隊、消防、警察、そして地元自治体職員に、国民は感銘を受けました。彼らがまさに、損得を超えた価値があることを示してくれたからです。それはこの悲劇的な大震災のなかで見た、一筋の光明でありました。経済成長を追い求める中で、戦後の日本ではともすれば損得をまず最初に考える風潮が広がっていた感がありました。しかし、今回の災害に際して国民一人一人が実践によって示したものは、損得を超える価値を重んじる心が、今も多くの日本人に根付いているということでした。私はそのことに大変勇気づけられる思いがしております。そうした精神を失わない限り、日本は必ず復活すると、私は確信しております。
◆震災復興、デフレ脱却、経済成長に向けて
日本が震災から完全に復活するためのカギは、日本人の精神的な強さに加え、十分な復興財源の確保にあります。さきほど申し上げたとおり、今回の震災による直接の被害額は最大で25兆円と言われています。これに福島第1原発事故の広範囲な被害も加わりますから、最終的な被害総額はさらに巨額になることは間違いありません。そのための財源をいかに確保するか、これは大きな課題であります。
菅政権は臨時増税によって財源を確保することを目論んでいました。新政権が増税ありきの復興財源論議を本当に転換するかどうか分かりませんが、永田町にも、霞ヶ関にも増税派は深く根を張っています。我が自民党にも増税に賛成する議員がいます。しかし、私はかねてから、復興財源を増税に頼ることには強く反対してきました。
ご承知のとおり、日本では震災以前から深刻なデフレが続いております。現在の名目GDPは20年前の1990年代とほぼ同じなのです。今回の震災は、そもそも低迷していた日本経済に追い打ちを掛けるものとなったわけです。甚大な被害に加え、電力供給への不安が重なり、個人の消費や企業活動はいまだに十分に回復していません。そのような状況下で増税に踏み切れば、国民の消費マインドは一段と冷え込み、企業は国外に逃げ出し、日本経済は取り返しの付かないほど甚大なダメージを受けることになるしょう。そうなれば復興はおろか、景気回復はさらに遠のき、GDPの2倍という莫大な財政赤字から脱却することも不可能となります。まさに日本は沈没します。
ここで思い起こすべきは阪神淡路大震災の教訓です。1995年のこの大震災により、我が国は直接分だけで総額10兆円という大きな被害を受けました。我々自民党を中心とする連立政権はこれに迅速に対処し、日本経済は2年後には回復軌道に乗りました。しかし、経済の先行きに対する楽観論が出始めた、まさにそのタイミングで当時の橋本政権は消費税の増税に踏み切ったのです。結果はどうだったでしょうか。当初こそ税収は増えましたが、結局は消費が縮小し、企業活動は停滞し、国の歳入の根幹を成す所得税収と法人税収は激減したのです。私たちはこの苦い教訓を忘れてはなりません。
私は現在、超党派の議員グループである「税によらない復興財源を求める会」において、自民党側の代表を務めております。このグループは6月に増税に反対する決議文を採択しましたが、そこには衆参両院議員約200人が署名しています。この超党派グループが主張する復興財源確保の第一歩は、政府と日本銀行の間で政策協定を結び、政府が発行する震災国債を日銀が原則として全額購入する、いわゆる「買い切りオペ」を実施することです。これによって国民に負担を強いることなく復興に必要な資金を確保することが可能になります。
この買い切りオペの効果は、復興財源の確保にとどまりません。これは日本経済を回復軌道に乗せるためにも不可欠の金融政策なのです。日本は現在、国際金融の最前線できわめて厳しい立場に立たされています。景気がこれほど低迷しているにもかかわらず、円が戦後最高値を付けるという異様な為替の動きに翻弄されているのです。政府は、効果がほとんどないことが分かっていながら単独介入を繰り返しております。「打つ手なし」と言って白旗を揚げている著名なエコノミストもいます。これを見て国民はどう思うでしょうか。圧倒的多数の国民が、政府の無為無策や専門家の無責任さに怒りを覚えているはずです。
買い切りオペを実施して市場に出回る円を増やすことで、現在進んでいる異様な円高と深刻なデフレを食い止める効果が期待できます。私たちの超党派議員グループの狙いは、まさにこの点にあります。このたび日本を襲った震災は巨大な悲劇ですが、私たちはこれを悲劇のまま終わらせるのではなく、3・11を契機として、震災以前から政府・日銀が続けてきた政策を根底から覆すことを国民に訴えかけています。つまり、金融緩和政策を徹底的に行うことによって日本経済・財政が直面する巨大な壁を突き崩し、震災復興を実現するとともに、再び日本経済を成長軌道に乗せることを政策目標としているのです。
これに対して財務省や日銀、またそうした官僚組織に近い著名な学者から「財政規律が失われ、国債が暴落しかねない」とか、「急激なインフレにつながる」との批判が出ていますが、果たしてそうでしょうか。私はそうは思いません。財政破綻を防ぐには基礎的財政収支の対GDP比をプラスにする必要があります。その要は名目のGDP成長率を上げることです。また、現在のデフレの深刻さを考えれば、相当規模の買い切りオペを行っても、過度なインフレを防ぐことは十分に可能です。小泉政権時代の2003年、国の基礎的財政収支、つまりプライマリーバランスはマイナス28兆円でした。その後を継いだ私は、07年の予算編成で、増税することなしにマイナス6兆円にまでそれを切り詰めることに成功しました。
私たちは3・11がもたらした危機をバネとして、インフラ整備を中心とした財政政策と、量的緩和という強力な金融政策を効果的に組み合わせるポリシーミックスによって、日本経済を確実に成長軌道に戻さなくてはなりません。政府にお金がないから国民に負担を求めるというのは、実際には勇気ある政策ではなく、想像力を欠き、国民に甘えるだけの無責任な政策です。
◆アジア経済の持続的発展に向けて
強い日本経済の復活には、いま私が申し上げました国内政策の大転換とともに、成長著しいアジアとのさらなる関係強化が不可欠です。昨年、日本の対アジア輸出は約30%増加し、初めて10兆円を超えました。アメリカや欧州の財務問題が深刻化するなかで、アジア経済の減速が懸念されていますが、中長期的な視点で見ればアジアが今後も成長を遂げることは間違いないでしょう。日本政府は、日本を除くアジア諸国・地域のGDPが2030年には世界の約35%を占めると予想しています。
一方で、急激な経済成長が新たに経済格差を生んでいることを見過ごすことはできません。例えば、アメリカの専門家の指摘によれば、中国の公式発表で3倍とされている都市部と農村部の所得格差が、実際には少なくとも20倍以上、あるいは60倍以上もあるとのことです。こうした格差問題は程度の差こそあれ、日本や台湾のような成熟した先進経済社会にとっても他人事ではありません。また、地域内の格差も深刻な状況にあります。ASEAN諸国の一人当たりのGDPを比べると、最も高いシンガポールやブルネイと最も低いカンボジアやミャンマーとでは約60倍の格差があります。貧困は社会不安を生み、政治を不安定なものとする要因となります。また、社会不安は地域紛争やテロの要因ともなります。日本は世界銀行やアジア開発銀行などとの協力のもと、地域の人々が自らのカで貧困を克服する環境を作るためのプログラムをアジア地域で推進してきました。日本と台湾は、貧困や格差といった問題を地域の安全保障問題と位置づけ、協力関係をより深めていくべきではないかと私は期待しております。
◆強化された日米同盟の役割─中国を見据えて
さて、3・11は日本の安全保障政策、そして日米同盟にも大きな転機となりました。今回の震災直後から、アメリカ軍が「トモダチ作戦」と名付けた日本への支援活動を実施したことは、皆さまご承知のとおりです。自衛隊と米軍が総勢12万人を投入した今回の救援作戦は、日米同盟にとって最初で最大の本格的・実践的な活動となりました。3・11は自然災害ですが、およそ500kmに及ぶ沿岸部に大津波が押し寄せ、多くの地域に壊滅的な被害を与えた状況は、武力紛争による被害に匹敵するものでした。そこに原発事故が加わったわけですから、有事対応にきわめて近い態勢で日米が事態に対処したことは正しい判断であります。そして日米はこの任務を完璧に遂行しました。この成功体験は今後の日本の安全のみならずアジア太平洋の平和と安定にとってもきわめて大きな意味を持つと、私は考えています。
しかし同時に、日米同盟は大きな課題にも直面しています。最大の課題は両国が深刻な財政問題を抱えていることです。アメリカの財政問題は、ついに国防費を削減する段階にまで及んでいます。アメリカの債務上限問題は8月初旬に最低限の合意に達しましたが、根本的な解決にはほど遠い状況にあります。日本も財政問題をこのまま放置すれば、いずれ防衛費を大幅にカットする必要に迫られるでしょう。そうなれば装備の更新が進まず、自衛隊の士気は低下し、日本は安全保障上のきわめて深刻な危機に直面することになります。この最悪の事態を回避し、東アジアの安定に向けた隙のない戦力をいかにして整備するかが、日米両国にとって共通の課題なのです。
一方、アジア各国は近年、軍備の近代化を進めています。いずれの国も、自国の安全のため、防衛のため、必要最低限の武力を持つことは当然です。しかし、その武力が周辺の多くの国にとって脅威として受け止められるようであってはなりません。たとえば北朝鮮の核武装と、北朝鮮からの核やミサイルの拡散はアジアのみならず世界に脅威を与えるものです。核やミサイルの脅威に加え、北朝鮮は我が国の国民を、政府が認定しただけでも17名も拉致し、そのうち12名をいまも国内に止めています。民間団体の調査によれば、さらに多くが北朝鮮に拉致されている可能性があります。こうしたことを許さないという姿勢を、はっきりと北朝鮮に示していかなくてはなりません。
この北朝鮮に強い利害関係を持つ中国の役割に、日本は長年期待してまいりましたが、いまだに十分な成果が得られていません。中国の指導者はことあるごとに、北朝鮮に対する中国の影響力は限定的であると述べ、責任を回避することに躍起になっているように見えます。しかし、客観的に見れば北朝鮮にとっての中国の存在感は圧倒的です。例えば、2009年の北朝鮮の対外貿易における対中貿易の割合は73%に達しています。中国はその圧倒的な影響力を、地域の安定と平和、そして正義のために活用すべきです。
しかし、中国は北朝鮮の脅威に効果的に対処するどころか、自ら地域の不安定化を招くような行動をとっています。中国は過去20年間で、軍事費をおよそ20倍にまで急拡大しています。とりわけ、最近の中国の海軍力の伸長は目に余るものがあります。中国は、台湾はもとより、日本が領土を持つ東シナ海、さらには南シナ海を含む西太平洋全体を自らの支配下に置こうとしているかのように見えます。中国の軍事戦略は1980年代から「戦略的辺疆論」という考えに基づいて展開されてきました。一言でいえば、これは国力が国境や排他的経済水域を決めるという立場であり、中国が経済成長を続ける限り、その活動可能な地理的範囲が広がるという、きわめて危険な論理です。これを聞いて、かつてのドイツにおける「レーベンスラウム」(生存圏)という考え方を思い起こす人もいるかもしれません。
中国の海軍力増強は、1996年の台湾海峡危機が契機となったと言われています。このことを考えるとき、私はいつも、1962年のキューバ・ミサイル危機と、その後ソ連が辿った道を思い起こします。62年のソ連も、96年の中国も、いずれもアメリカの圧倒的な海軍力の前に屈したという「屈辱」をバネに、海軍力強化に乗り出したのです。しかし、ソ連はその後どのような歴史を辿ることになったでしょう。中国共産党指導部が、この歴史のアナロジーをどう捉えるか私にはわかりません。もしかしたら、共産党指導部はソ連の二の舞になることを危惧しつつも、軍拡を主張する人民解放軍を止めることができないのかもしれません。いずれにしても確実に言えることは、過ぎたる軍拡によって中国が得るものはないということであります。中国が空母など作る必要はないのです。そして、力で他を抑えつけようとする行為は、中国に巨額の財政負担を強いるだけでなく、地域での信頼を失い、中国の影響力を著しく毀損することになるはずです。そして、それは彼らが最も重視しているこの台湾において、最も顕著に表れるはずです。
南シナ海における中国の強圧的な行動に対して、昨年7月のARF閣僚会合において、ASEAN諸国から強い反発が示されました。そしてアメリカのクリントン国務長官はASEAN諸国を後押しする姿勢を公然と示したのです。このときクリントン長官が、南シナ海で中国に勝手な振る舞いを許せば、台湾海峡を守ることなど到底不可能になるという強い危機感を抱いていたはずだと、私は想像しています。ベトナムやフィリピンは中国の脅威に対抗するためにアメリカとの関係を強化し始めています。そして、南シナ海は日本にとっても死活的に重要な地域ですから、日本はアメリカとの連携のもと、この海域の自由航行を守るために断固とした行動をとる必要があります。まずは、限られた予算を効率よく配分し、技術のイノベーションを推し進めることで海上自衛隊を強化していかなければならないと、私は考えています。そのうえで、不測の事態に際して日米同盟が十分に機能するよう、集団的自衛権の行使を早急に認めるべきです。また、武器輸出三原則の見直しは必須です。民主党政権もこの必要性にようやく気が付いたようですが、求められているのはスピード感を持って政策を実行に移すことです。
日本には武器輸出大国になる意図はありませんし、その必要もありません。まして中国などがしばしば指摘するように、軍国主義に回帰することなど全くありません。それは、これまでの日本の実績を見ればわかるはずです。私はこの点について揺るぐことのない自信を持っています。そして、台湾の皆さまはそのことを理解していただいていると思います。羅福全理事長は数年前の日本での講演で、「太平洋戦争後、アジアで日本に対して厳しい態度をとっているのは一部であり、アジアのほとんどは日本の平和的貢献を期待している」と指摘されました。私は理事長のこの発言に大変勇気づけられました。こうした良識あるアジアの隣人と手を携え、そしてアメリカとの同盟関係を最大限に活かし、日本は今後さらにアジアの平和と安定に向けて力を尽くしていかなければならない、私はその思いを強くしております。
◆おわりに─民主主義について
さて、そろそろ私に与えられた時間も残り少なくなって参りました。来年、2012年には世界各地で政治のトップを選ぶ重要な選挙が実施されます。まさに世界的な政権選択の年となります。特にアジア太平洋地域の将来を占う重要な選挙が立て続けに行われることに、世界の眼が集まっております。その幕開けを告げるのが1月に行われる台湾総統選挙であり、アメリカ、ロシア、韓国では大統領選挙が実施されます。これらの選挙の見通しについては、内政干渉になりますから、私は何も申し上げません。ただ、私が申し上げたいのは、台湾やアメリカの有権者は、それぞれ自由な意志で一票を投じて政権を選択できるということです。これに対して、中国では2012年に現政権が退き、新しい指導部が誕生することが既に決まっています。その違いは明確であります。中国の国民には政権選択の自由がないのです。
政権選択の自由は民主主義の根幹を成す概念です。そして、自由を求める思いは世界の人々に共通するものであります。確かに、民主主義は煩雑なものです。手続きに時間がかかり、政治指導者は時に手足を縛られることすらあります。しかし、それこそが民主主義であり、これに優る制度は存在しません。民主主義という共通の価値観を持つ日本人と台湾人は、そのことを深く理解しているはずです。私は首相在任中、自由、民主主義、基本的人権、法の支配という4つの価値を重視した外交を目指しました。これは同じ価値を共有する国や地域とだけ付き合う、といった排他的なものではありません。こうした価値をより広い地域に広げていくことを、私は何よりも重視しておりました。その思いはいまも変わっておりません。日本と台湾はともに共通の価値観を持つ重要なパートナーです。我々は手を携えて、いまだに民主主義を手にしていない世界の人々に、その価値を伝えていかなければなりません。それは日本人と台湾人に課された責務であると、私は固く信じております。
本日はスピーチの機会をいただきありがとうございました。羅福全理事長はじめ台湾安保協会の方々、そしてお集まりいただいた皆さまにあらためて深く感謝申し上げます。また来年1月の総統選挙に挑む蔡英文主席にお会いできたことにも、大変感謝しております。本日のシンポジウムを契機として、台湾と日本の友好関係と政策協力が一段と深まることを心から願っております。
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