――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習40)
『?枝蜜』は炭坑夫、漁師、樵夫など大自然と共に生きる労働者、社会的活動に邁進する少年先鋒隊などを描いた18篇のエッセイなどを集めたもの。冒頭に掲げられた「内容提要」には、「我が国の偉大なる社会主義建設を大いに称えた作品。〔中略〕時に読者を奮い立たせ、時に豊かな知識を与え、時に素直で明るい心持ちにしてくれる。それぞれの作品が共に読者に崇高なる思想感情を呼び覚ましてくれる」との“お約束”が記されている。
その「崇高なる思想感情」だが、やはり予想通りに毛沢東賛歌に行き着いてしまう。
たとえば18篇の小品の掉尾を飾る「金鎖匙 ――苗族の少年が話してくれた物語」では、物語のカギとなるのが少数民族の苗族に伝わる黄金の鎖匙(カギ)である。
古来、苗族はそのカギで自然を切り開き、豊かで穏やかな生活を送ってきた。そのカギの秘密を知った「貪婪で悪逆非情な皇帝」が100万の大軍を差し向かわせ、苗族を殺し尽くしてでもカギを奪い取ろうと襲いかかる。だが死んでも渡せない。大軍から逃れられないことを知った苗族の祖先は、涙ながらにカギを川に投げ込んでしまった。
長い時が流れ社会主義の時代となり、苗族の手に黄金のカギが戻ってきた。山裾から山頂まで豊かな稔りを約束する棚田が重なり、働く人々の手で大豊作の秋がもたらさせる。そこで感動のラスト・しーんを訳しておく。これが泣かず(笑わず?)におられようか。先ず孫が婆さんに尋ねる。
「『誰がカギを見つけたの?』
『毛主席と共産党じゃよ』
『いま、そのカギはどこにあるの?』
『それ、ご覧、あそこなんじゃよ――』
婆さんは遙かに遠くを指差した。鬱蒼と茂る木々で埋め尽くされた緑の大海原の先には、鮮やかな雲の下に高い建物がスックと聳え立っている。人民公社の党委員会ビルだ。
『オラにもやっと解ったゾ。そうだ!人民公社、人民公社こそ苗族人民にとってのホントーの黄金のカギなのだ!』」
まさに最上級の人民公社賛歌だろう。かくして苗族の子どもたちの頭の中は、「毛主席と共産党」に対する無限の感謝で隙間なく埋め尽くされることになる・・・こんな仕掛けになっているわけだ。
62年出版で手許に持っているのは『猪八戒新伝』(包蕾 少年児童出版社)のみ。「猪八戒、スイカを食べる」「猪八戒、山を探る」「猪八戒、使命を悟る」「猪八戒、家に帰る」の4話で構成されている。猪八戒は無類の食いしん坊で、怠け者、真面目に働かず、頭を使わずにデタラメばかり。大言壮語癖の塊で自分のことしか考えない。いいところは1つもない。だが、孫悟空は慌てず騒がず怒らない。笑みすら浮かべながら、なんとか善導してやろうと心を砕く。
孫悟空と沙悟浄と共に玄奘の天竺への旅のお供をするのだが、猪八戒は失敗を重ね、みんなの足を引っ張るばかりで旅は捗らない。とはいえ最後には多くの道理を悟り、真剣に学ぼうと心を入れ替える。そこが誰からも好かれる猪八戒の“美点”――ここら辺りが『猪八戒新伝』の一貫したテーマらしい。どの話も本来の『西游記』には見当たらない。そこで「新伝」と名付けたとのこと。
こうサッと読んでしまうと、そう言うものかと納得するしかないのだが、猪八戒を毛沢東、孫悟空を劉少奇に置き換えてみると、『猪八戒新伝』が俄に政治的色合いを帯びてくるから不思議だ。
じつは62年1月11日から2月7日にかけ、党中央工作会議(通称「七千人大会」)が開催され、劉少奇が講演で「天災人禍」に言及し、大躍進政策を「人災」と見なし、毛沢東批判を行ったのである。この時、場から「劉(国家)主席万歳!」の声が上がったようだから、やはり毛沢東としてはメンツ丸潰れ。その上、�小平や周恩来から自己批判を求める発言もあったと言うから、カチン・ムカッどころの騒ぎでは収まらなかったに違いない。なんせ自尊心の塊の毛沢東である。ハラワタを煮えくり返らせ、復讐モードに一気にスイッチを入ったと考えても、決して不思議ではないだろう。《QED》