――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港197)
結論から言うなら、じつに残念ではあるが便法は考えられない。
相手は「重んじるのは力だけ」ではあるが、だからと言って、こちらも相手と同じような手法で応戦する必要はない。日本の現状から考えれば力押しなど所詮はムリな話であり、とどのつまり費用対効果の面からみても骨折り損のくたびれ儲け、となるのが関の山だ。
ならば経済的効率も考慮して、相手が弄ぶ軍事力と身勝手なヘリクツという「力」ではなく、「知の力」で応ずるべきだ。ヘリクツには真っ当な理屈で、ムリ筋には道理で、身勝手な偽史には正しい歴史で、子々孫々の代までも説き続ける覚悟を持つのである。だが、この場合、相手の理不尽さの前に腰砕けにならないことが肝要だ。断固として引き下がってはならない。もちろん必要最小限の物心両面の備えを怠るわけにはいかないが。
ここで付言しておきたいのが日中の人口比である。日本の1.2億人に対し、中国は14億ほど。単純計算で1対14だ。この差を考えるなら、日本人がこれまでの14倍ほど気張って、やっとトントン。ということは、最低限15倍以上は頑張る覚悟を持つべきではないか。
孫文と肝胆相照らす仲になる以前、宮崎滔天は故郷熊本の貧乏農民を率いてシャム(タイ)への移民を試みたことがある。その際、バンコクにおける在留邦人と華僑の振る舞いを較べ、前者を「一気呵成」、後者を「子ツツリ、子ツツリ」と捉えた。たしかに「一気呵成」対「子ツツリ、子ツツリ」だとは思うが、ならば日本人は「一気呵成」と「子ツツリ、子ツツリ」を融合させて身構えてはどうだろう。
相手が居丈高に振る舞うような素振りを見せたら柳に風と受け流し、「公道不公道、自有天知道」と言ってやるがいい。我が方にこそ「天」が付いていることを、それとなく分からせればいい。相手が得意とする手法で相手をやり込める。これがイチバンではないか。
これまでも何回か言及したと思うが、日本人は日中関係を歴史関係も含め二国間の“特殊な関係”で捉え過ぎる。だが、たとえば日中戦争を例に取ってみても、?介石の背後にルーズベルトあり、スターリンあり、チャーチルあり、さらにヒトラーあり。毛沢東の背後にコミンテルンあり、アメリカあり――利害が錯綜する国際政治の坩堝の中から日中関係だけを取り出し“腑分け”して論じることは不可能だけではなく、むしろ無意味に近い。そこで日中関係を、中国を取り巻く国際関係の一部分として捉え直す必要があるはずだ。
中国を取り巻く国際関係を考えた場合、やはり習近平が今年の年頭にも国民に訴え掛けた「中華民族の偉大な復興」との“常套句”に注目したい。
GDPを推測すれば、清代盛時のそれは当時の世界全体の3分の1強を占め、宋代では80%前後だったとの主張もある。かりに習近平が清代盛時、あるいは宋代の地位への「復興」を目指しているとするなら、おそらく「中華民族の偉大な復興」はアヘン戦争敗北を機とする「中華民族の没落」を大いに意識しているに違いない。まさにアヘン戦争以降の1世紀余に亘って中国を“簒奪・蹂躙”しまくった列強への報復につながってくる。
そこで中国人にとっての報復に思い出されるのが、映画監督の陳凱歌が『私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春』(講談社現代新書 1990年)に綴る次のような考えだ。
「昔から中国では、押さえつけられてきた者が、正義を手にしたと思い込むと、もう頭には報復しかなかった。寛容などは考えられない。『相手が使った方法で、相手の身を治める』というのだ。そのため弾圧そのものは、子々孫々なくなりはしない。ただ相手が入れ替わるだけだ。おばあさんは目に一丁字もなかったが、幼い子供にこの明快な道理を教えてくれた。彼女の目の確かさと、見識のほどが知れよう。しかし当時の風潮は、『敵に対しては厳寒のように冷たく無情に』というものだったから、おばあさんの話を私が理解できなかったのも不思議ではない」。さて、いま、誰と誰が入れ替わろうとしているのか。《QED》