台湾少年工の次世代「台湾高座友の会」が矢板明夫氏と早川友久氏を講師に交流会

 大東亜戦争末期の1943年(昭和18年)から翌年にかけ、台湾から8,400名もの少年たちが厳しい選抜試験を突破し、航空機製造に従事するため来日しました。この少年たちが「台湾少年工」です。

 いまだにこの台湾少年工たちを「徴用」されたと言う人もいますが、間違いです。台湾少年工たちは、学力優秀、身体強健、優れた道徳心、親の了解の4条件を満たして来日したことに誇りを持つ台湾人です。日台の懸け橋になっていることにも生き甲斐を感じてきた人々です。

  北に対(む)き年の初めの祈りなり心の祖国に栄あれかし  洪 坤山

 台湾少年工出身で、故蔡焜燦さんが兄弟の契りを交わしてかわいがっていた台湾歌壇の洪坤山さんの短歌です。この歌に台湾少年工の心意気がよく表れています。

 作家で、本会初代会長だった阿川弘之氏はこの歌について「読んで聞かせようとした途端、涙があふれ出し、声がつまつて、説明が説明にならなくなつた。初め呆ツ気に取られたやうな顔してゐた女房も、わけが分つて涙ぐんだ」(「文藝春秋」2003年8月号「葭の髄から」)と書いています。

 台湾では、戒厳令が解除された翌年の1988年、台湾少年工の同窓会組織「台湾高座会」が結成され、日本でも「高座日台交流の会」がカウンターとして設立され、これまで来日50周年、来日60周年、来日70年、来日75年と節目の年に歓迎大会を大和市で開いてきました。

 しかし、2013年に開催された来日75周年大会でも、1926年(大正15年)生まれの李雪峰・台湾高座会会長はすでに87歳。それまで10年ごとに開いてきた大会も、10年後には難しいかもしれないと5年後の2018年に来日75周年歓迎大会を開催しましたが、そのとき台湾少年工の皆さんの平均年齢は90歳を超えていました。

 そこで、次世代にバトンを受け渡すために作られたのが「高座日台交流の会」(石川公弘会長)の意思を引き継ぐ「日台高座友の会」です。

 2019年10月23日、大和市の中華料理店『北京飯店』において設立総会が開催され、会長には高座日台交流の会の橋本理吉事務局長ご子息の橋本吉宣氏が就任しています。地方議員ら74人が正会員として入会し、団体を含む12人が賛助会員に名を連ねているそうです。

 一方、台湾側でも日本側に先駆け2019年4月、元少年工の二世、三世を中心に意思を継承する会「台湾高座友の会」が発足しています。会長には、台湾高座会副会長の何春樹氏のご子息で、台中市選出の立法委員をつとめた何敏豪氏が就任しています。

 発足の報告と日本側の次世代との交流を深めるため2019年7月に来日、座間市の遠藤三紀夫市長や大和市の大木哲市長を表敬訪問し、日本側次世代の橋本吉宣氏らとも交流しました。

 12月24日、「台湾高座友の会」はこのほど何敏豪会長の地元台中市において、産経新聞の矢板明夫・台北支局長と李登輝元総統秘書の早川友久氏を講師に招き、交流会を開催したそうです。中央通信社が報じていますので下記にご紹介します。

—————————————————————————————–元台湾少年工や子孫らがつくる団体が交流会 日本の専門家が講演【中央通信社:2021年12月25日】https://japan.focustaiwan.tw/society/202112250001

 (台中中央社)太平洋戦争中、神奈川県にあった高座海軍工廠で戦闘機の製造に携わった元台湾少年工やその子孫らがつくる「台湾高座友の会」による交流会が24日、中部・台中市内で開催され、日台関係に詳しい日本人専門家らの講演が行われた。

 講演した産経新聞の矢板明夫・台北支局長は、台湾は中国からの圧力を受ける中で、唐鳳(オードリー・タン)行政院政務委員(無任所大臣)を東京五輪の開会式や米バイデン政権が今月初旬に主催した民主主義サミットに携わらせ、外交の難局を打開したと指摘。唐氏は台湾にとって切り札だとの認識を示した。

 また李登輝基金会の早川友久さんは、李登輝元総統は日本が中国にとらわれることなく引き続き繁栄していくことを期待していたと説明。日台は同じ価値観と立場を共有しているとし、将来はさらに良好な関係が築けると信じていると語った。

(蘇木春/編集:齊藤啓介)

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