講演会「空技廠と台湾少年工」についてのご案内 【予約不要】

 戦時中、横須賀市追浜に存在した日本最大の航空技術研究所「日本海軍航空技術廠(空技廠 くうぎしょう)」は今年4月、開設から90年を迎えました。日台高座友の会(神奈川県大和市、会長・橋本吉宣)は少年工として勤務した台湾人の東俊賢(とう・しゅんけん、92歳)氏を台湾から招き、講演会を開催します。

 今年は台湾と日本が断交して50年となります。しかし、この50年間、国交がないにも関わらず、逆に友情を深めることができました。「日台友情50周年」です。

 空技廠では数百人の台湾少年工が働いていた可能性があります。忘れ去られつつある空技廠、台湾少年工の歴史を、この節目に改めて振り返り、台湾との友好を深めたいと思います。 ・日 時:2022年10月29日(土)     開場:午後0時30分 開演:午後1時 終演予定:午後3時30分 ・会 場:記念艦「三笠」     〒238-0003 横須賀市稲岡町82-19 電話:046-822-5225(代表)      https://www.kinenkan-mikasa.or.jp/

・主 催:日台高座友の会  当団体では、太平洋戦争中、軍用機工場「高座工廠」(神奈川県大和市、座間市、当時の高座郡)にて勤務した 台湾人の元少年工(台湾少年工、後述)と家族による同窓組織「台湾高座台日交流協会」(台湾高座会)と交流 (相互訪問等)を行っています。当団体の前身となる「高座日台交流の会」も含めますと交流は30年に及びます。  台湾少年工 太平洋戦争中、台湾出身の12〜20歳の少年8400人が志願し、「高座海軍工廠」で局地戦闘機「雷電」を製造しま した。彼らは空技廠をはじめ、全国の工場に派遣され、零戦、月光、一式陸攻などの生産現場に立ちました。終 戦で台湾に帰国後も強い親日感情を持ち続け、台湾高座会は最盛期には会員数4千人を数え、「台湾最大の親日 団体」と評されています。  日本政府にも評価され、2013年には台湾少年工の同窓組織「台湾高座台日交流協会(台湾高座会)」の李雪峰 (り・せっぽう)理事長が、2017年には何春樹(か・しゅ んじゅ)副理事長がそれぞれ旭日小綬章を受章して います。 ・講 師:東俊賢氏

 1930年2月、台湾生まれ。1943年、中学校(厳密に言うと商業学校)1年生で高座海軍工廠の募集に応じて、少 年工に志願。翌44年5月に来日し、高座海軍工廠から空技廠に派遣されました。溶接工として特攻機「桜花」、 ロケット戦闘機「秋水」の試作に携わりました。  戦後は台湾に帰国し、教師に。結婚後、日本に渡り、都内の専門学校で電子工学を学びました。帰国後、日台 合弁企業を経て電子部品会社を創業、台湾と中国両国に工場を設け、製品を輸出しました。従業員計600人が働 く規模に育て上げ、台湾の経済成長に寄与しました。  日本海軍航空技術廠(空技廠、くうぎしょう) 戦時中、横須賀市追浜に存在した日本最大の航空技術研究所。技師と工員、テストパイロットら3万人以上が働 き、艦上爆撃機「彗星」、双発爆撃機「銀河」、ロケット特攻機「桜花」を開発しました。ロケット戦闘機 「秋水」やジェットエンジンも試作された。東海道新幹線の設計者・三木忠直、ソニー創業者・盛田昭夫、胃 カメラの開発者・深海正治といった優秀な技術者が在籍し、培われた人材と技術は戦後の復興に多大な貢献を果 たしました。  台北出身の台湾少年工約400人を追跡した調査では、約50人が働いていました。あくまで可能性ですが、この割 合を全体数の8400人に当てはめますと1000人以上が働いていたことになります。  新幹線車両は後に台湾に輸出されました。台湾新幹線は台北と?雄の2大都市を結び、国民生活に不可欠な存在 となっています。 ・参加費:講演会は無料ですが、以下の三笠観覧料金が必要です。

一般:600円 65歳以上:500円 高校生:300円

・定 員:320人(予約不要)     特別の事情がない限り、マスク着用をお願い致します。 ・問い合わせ:一般の方の問い合わせ先は、講演会用のメールアドレス「koza.taiwan@gmail.com」にお願いします。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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