――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港183)

【知道中国 2301回】                      二一・十一・念三

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港183)

毛沢東が37本の伝統演目の戯曲片制作を命じたとも伝えられるが、真偽の程は不明だ。

ここで注目しておきたいのが、先に挙げた24本のなかに1945年3月25日に人民解放軍北平軍事管制委員会文化接管委員会が「有毒旧劇」に指定した演目が含まれていることだろう。「紅娘」は「第二、淫乱思想を提唱する演目」、「四郎探母・巡営」は「第三、民族の矜持を失わせ異民族の侵略を提唱する演目」、「游龍戯鳳」は「第五、封建圧政を称える演目」とされ、禁演措置を受けたのであった。

第六劇場で飽きるほどに見た舞台を思い出すと、「紅娘」は深窓の令嬢と若い書生の恋愛談。令嬢の身の回りの世話をする機知に富んだチャームな娘の紅娘が、2人の間を取り持つ。当然のようにワクワク・ドキドキの際どい演技も見られるから面白い。「四郎探母・巡営」については、重ねて説明するまでもないだろう。「游龍戯鳳」は明朝の正徳帝が庶民姿に身を変えお忍びで江南の梅龍鎮を歩いた際、兄の居酒屋を手伝っている鳳姐にひと目惚れ。最後のハッピーエンドまで2人のイミシンな演技を延々と続く。

芝居が進むにつれ、「紅娘」や「游龍戯鳳」の舞台では男女の秘め事を容易に連想させる演技が繰り広げられ、客席を並べていた戯迷のオジサンたちが急にニヤツキだしたものだ。

たとえば「游龍戯鳳」で鳳姐が手にする長い帯を間にした正徳帝との遣り取りにしても、語られる台詞の字面は聞き取れる。所作は見れば分かる。だが、オジサンたちがデレーッとした顔つきになり、ザワつき始める理由が分からない。だが鳳姐と正徳帝の間に不可思議な雰囲気が漂い始めることから、それが「有毒」であることくらいは納得できる。やはり共産党の立場からは正真正銘の「有毒旧劇」と指定せざるをえなかったのだろう。

おそらく毛沢東は自らの人生の残り少ないことを知っていたに違いない。権力の奥の院で固く門を閉じ、死を前にした「偉大的領袖」が無聊を託つかのように独り侘しく目にしたのが「有毒旧劇」を含む伝統京劇だったとは・・・トホホである。独裁者の身勝手と言うには余りにも情けない。敢えて言うなら一幅のマンガだろうか。

だが毛沢東を革命家ではなく稀代の見巧者と見立てるなら、人生の最後に伝統京劇を望んだ心情も解らないわけではない。やはり現代京劇の過度に教条的な社会主義勧善懲悪芝居より、喋々喃々・勇壮闊達・豪華絢爛・爆笑卑猥・残酷無限・春情滾昏・勇猛果敢・無理無体・颯爽華麗・喜怒哀楽が詰まった伝統京劇の方が、たとえ「有毒」であろうが、いや「有毒」であるからこそ面白いはず。およそ「有毒」こそ伝統京劇の真骨頂だろうに。

どうやら毛沢東は伝統京劇に看取られ、「偉大的領袖」としてではなく、稀代の戯迷として人生を閉じたようだ。はたしてこれを、共産党権力に散々弄ばれた京劇の“復讐”と考えたいのだが。

そろそろ本格的に第六劇場の舞台に戻ろうと思うが、蛇足ついでにもう少し。

1990年代だったと記憶するが、梅蘭芳の息子で同じく旦(おやま)を演じた梅葆玖が日本公演を重ねていた頃、NHKテレビで、坂東玉三郎と梅葆玖の日中両国を代表する女形の対談を放送している。その番組の最後に玉三郎のたっての願いと言うことで、梅葆玖の監修で「貴妃酔酒」の楊貴妃に扮した。梅葆玖は「美しい」と語り、「匂い立つような美しさ」とのナレーションが流れた。

だが歌舞伎を代表する女形の玉三郎ではあるが、彼が扮した楊貴妃は率直に言って絵にならない。どのように忖度しても、どのように贔屓目に見ても、楊貴妃が醸し出す妖艶さが感じられないのである

もちろん玉三郎の楊貴妃も美しい。美しいに決まっている。だが、たおやかさに過ぎる。京劇の旦を演ずる役者が漂わせる美とは、明らかに異なっている。《QED》


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