台湾の新型コロナ対策が「善戦」しているワケ  早川 友久(李登輝元総統秘書)

【WEDGE infinity:2020年2月28日】

 李登輝が台湾社会に大きく貢献したもののひとつに、全民健康保険制度がある。1995年にスタートした「全民健康保険」は、全国民はもちろん、居留証(外国人登録証に相当)を持つ外国人も加入が義務付けられる。それまでの台湾では、軍人や公務員、教師だけが社会保険制度を享受してきたが、その制度から漏れていた約4割の国民にも安心して医療を受けられる国民皆保険の環境を整備したのである。

 それと同時に、健康保険カードも導入した。このカードはのちにICチップが内蔵され、様々な情報を収められるようになった。氏名や生年月日などの個人情報のほか、いつ、どこの病院で診療を受けたのか、処方箋や薬物アレルギー、過去の予防接種記録、女性の場合は妊娠や出産に関する記録なども収められている。

◆マスクの「買い占め」を防止

 目下、日本も台湾もコロナウイルスによる新型肺炎の感染拡大防止に躍起になっている。台湾は2003年にSARSを経験したこともあり、政府がとった動きは迅速かつ厳格だった。中国の感染拡大が報じられると、中国人の団体旅行客の入国を拒否したことを手始めに、矢継ぎ早に入国制限(現在は、中国籍の人間は一律入国拒否)した。

 また、折悪しく旧正月とぶつかったため、マスク工場が稼働しておらず、マスク不足のパニックかと思われたが、政府は即座に備蓄を放出すると発表。その後、買い占めや転売を防ぐため、台湾国内で製造されたマスクはすべて政府が買い取ったうえで「記名制」によるマスク販売を行った。

 この「記名制」で活用されたのが健康保険カードである。政府は身分証(外国人の場合は居留証)の末尾によって購入できる曜日を指定し、購入間隔を7日以上空けなければならないと定めた。薬局には必ず処方箋を処理するための健康保険カード読み取り機が設置されているため、ICチップに購入履歴が残る。一人が代理購入できるのは他の一人分までと決まっており、イカサマがやりにくい、公平性のある制度になっている。

 現在ではマスクの増産も順調で、来週あたりから購入できる枚数が増えるものと報じられている。台湾でマスク不足が叫ばれていた旧正月前は、日本から大量にマスクを持ち込む人の姿がニュースで流れたが、もう少し経てば、今度は台湾から日本へマスクが売られていく事態になるかもしれない。

◆感染拡大地域への「渡航歴」も登録

 また、2月21日には、感染拡大地域として指定されている日本や韓国などへの渡航歴を健康保険カードに登録すると発表された。仮に体調を崩して診察を受けた際、医師がその場で患者の渡航歴を確認できるようにするものだ。こうした取り組みは「性善説」でなく「性悪説」に立つものだ。患者のなかには、自宅隔離を嫌うなどして虚偽の申告をする場合もあるという。こうした「悪意」を出来うるかぎり排除して、徹底的に防疫しようという台湾政府の真剣さがうかがえる。一方、日本政府は中国から日本に入国する旅客に、(感染発生源とされる)湖北省への滞在の有無を自己申告させているという。国家の非常事態に、あまりにもお人よし過ぎるのではないか。

◆台湾と中国の「決定的な違い」

 中国は今回のコロナウイルス騒動で、東アジアどころか、全世界をパニックに陥れた。感染はむしろますます拡大している。それでもなお、中国は台湾がWHOに参加することを「『一つの中国』の原則のもとで許可」と発言した。SARSのときと同様、人命や健康よりも、イデオロギーを優先する国家なのだ。

 李登輝は2018年に訪れた沖縄での講演で次のように語った。 「中国の覇権主義に直面する台湾は、自主的な思想を持たなければならない。自分たちの道を歩む必要があるのだ。(中略)民主改革を成し遂げ、民主国家となった台湾は、もはや民族国家へと後戻りするべきではない。私たちは、幻の大中華思想から、脱却しなければならないのだ。台湾の国民が持つ共通の意識は『民主主義』であって『民族主義』ではないのだ」

 中国は「一つの民族に二つの国家はいらない」と明言している。中華民族には、中国はひとつだけ(中華人民共和国だけ)存在すればよく、中華民国は存在しない、という論法だ。李登輝は「民族主義」に走るべきではないと主張するが、個人的には、台湾が中国のいう「一つの中華民族」に入らない、別の「台湾民族」を打ち立てるべきではないかと考える。

 例えば、コロナウイルスの感染拡大の問題が報じられた当初から台湾政府の行動は素早かった。今のところ、台湾社会は冷静を保ち、感染者数も抑えられているようにみえる。ネット上では「我OK、●先領」というスローガンが踊った。「私たちは大丈夫だから、マスクが必要なところに優先して届けて」という意味である。(●=弥の弓がイ)

 政府が情報を公開し、国民の安全健康第一を掲げるとともに、国民も公徳心を発揮して行動する姿は、中国のそれと対をなすものである。これがまさに「台湾民族」を「中華民族」と決定的に異ならせる価値観になるだろう。台湾と中国の決定的な差を国際社会に示しつつ、やはり台湾が誇るべき最大の価値観は、李登輝が打ち立てた「民主主義」ではなかろうか。

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早川友久(はやかわ・ともひさ)1977年(昭和52年)6月、栃木県足利市生まれ。現在、台湾・台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業後、台湾総統府国策顧問だった金美齢氏の秘書に就任。2008年、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフとしてメディア対応や撮影スタッフを担当。2012年12月、李登輝元総統の指名により李登輝総統事務所秘書に就任。共著に『誇りあれ、日本よ─李登輝・沖縄訪問全記録』『日本人、台湾を拓く。』など。

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