父の玄敬氏は、湯守り観音を安置し、地元住民に温泉の守護寺として親しまれた1916年落成の台北市北投区にある普済寺(ふさいじ)の本堂建設に携わったという。
昨年12月21日、この霊雲院と台北市北投区にある普済寺が「友好寺院」を締結している。おそらく寺院同士の提携は日台初のことではないかと思われる。
このほど、嘉義県にある道教寺院の新港奉天宮の関係者が祭られている媽祖像の一つ「四街祖媽」を伴って霊雲院を訪れたそうだ。妙心寺と新港奉天宮の交流は、妙心寺から昭和天皇の長寿を願う「今上天皇御寿牌」などが贈られた1928年(昭和3年)にさかのぼるという。中央通信社が報じているので下記に紹介したい。
昭和3年は11月10日に先帝の昭和天皇が京都御所で即位の大礼を挙げられた年で、妙心寺は今上陛下の御代を寿ぎ、そのご長寿を願って新港奉天宮にこの牌を贈ったようだ。
中央通信社の昨年9月の報道によれば「妙心寺は1928(昭和3)年、台湾の寺院20カ所に今上天皇御寿牌を安置した。当時、南部では3寺院が選ばれたが、現存するのは新港奉天宮のみだという」と伝えている。
妙心寺と新港奉天宮の交流は一時期途絶えていたそうだが、2009年から「則竹秀南さんを介して交流がよみがえり、2011年には相互に神仏(奉天宮の媽祖と妙心寺の観音菩薩)を勧請している」という。中央通信社の昨年9月の報道では、9月16日に「妙心寺霊雲院住職の則竹秀南氏が30人余りの交流団を率いて同宮を訪れ、これらの文化財を拝観した」とも伝えている。
日台の寺院同士の姉妹提携や交流は、例えばマグロの水揚げで有名な青森県大間町の稲荷神社と雲林県北港鎮の北港朝天宮が姉妹宮を結んでいる程度で、けっして多くはないが、日本と台湾が50年の歴史を共有している証左でもある。その仲立ちに、湾生がかかわっているということもまた、日台ならではの現象だと思われる。妙心寺と新港奉天宮の交流が末永く続くことを願いたい。
————————————————————————————-台湾の媽祖像「四街祖媽」初訪日 昭和天皇が結んだ縁を温める【中央通信社:2018年10月12日】http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201810120002.aspx写真:初めて日本を訪問する台湾の媽祖像「四街祖媽」(右)=奉天宮提供
(嘉義 12日 中央社)南部・嘉義県の道教寺院、新港奉天宮の関係者が11日、本堂に祭られる媽祖像の一つ、「四街祖媽」を伴って臨済宗大本山妙心寺の霊雲院(京都府)を訪れ、昭和天皇が90年前に結んだ縁を温めた。
奉天宮の何達煌董事長(会長)によると、四街祖媽は同宮の所在地、新港が「笨港」と呼ばれていた清朝時代の18世紀後半に彫られたとされる由緒ある神像で、日本入りするのは初めて。日台の関係者らは宗教儀式などで交流を深めた。
何氏は、同宮は清朝時代に臨済宗の僧によって建てられ、本堂に媽祖、後堂に観音菩薩が祭られていると説明。日本統治時代の1922(大正11)年に日本臨済宗の台湾総本部連絡所となり、1928(昭和3)年、妙心寺から昭和天皇の長寿を願う「今上天皇御寿牌」や保管のための奉安庫、証書、写真などを贈られた。これらは今も大切に保管されており、今上天皇御寿牌は2013年、嘉義県の有形文化財に指定された。
双方の連絡は一時期途絶えたが、2009年からは1937(昭和12)年に南部・台南で生まれた妙心寺霊雲院の住職、則竹秀南さんを介して交流がよみがえり、2011年には相互に神仏(奉天宮の媽祖と妙心寺の観音菩薩)を勧請している。
(江俊亮/編集:塚越西穂)