式典には、謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表や稲嶺恵一・元沖縄県知事、中山義隆・石垣市長、上原昭・糸満市長など150名が参列。沖縄総鎮守として崇敬されている波上宮(なみのうえぐう)の大山晋吾宮司代務が祭主をつとめ、空手演武の後に李元総統が台湾人戦没者を慰霊するために揮毫された「為國作見證(いこくさけんしょう)碑」の除幕式が行われました。
「為國作見證」とは聖書に書かれている言葉だそうで、キリスト教徒の李元総統が靖國神社から求められ、みたま祭の雪洞(ぼんぼり)に書かれたお言葉で、「国のために見證(明らかな証)を作(な)せ」、つづめて言えば「お国のために尽くせ」ということだそうです。
除幕式の後、「戦争に倒れた台湾の人々を追悼し、皆さまとともに歴史を共有するために参りました」と5分ほど話されました。下記にその全文をご紹介します。
この日の李元総統はご体調が万全でなかったようで、ご挨拶を終えると、予定されていた植樹式などをキャンセルし、そのままホテルに帰って休息を取られました。
ちなみに、1973年(昭和48年)4月に厚生省(現在の厚生労働省)が発表したところによりますと、大東亜戦争に出征した台湾籍の軍人・軍属数は20万7,193名で、うち戦歿者は3万304名。また、靖國神社によりますと、台湾籍のご祭神は2万7,864柱がお祀りされています。
李元総統は総統在任中の1990年11月に台中市の宝覚禅寺に台湾台日海交会など有志が建立した台湾出身戦没者の慰霊碑に「霊安故郷(御霊、故郷に安んず)」と揮毫し、総統退任後の2006年には烏来の高砂義勇隊慰霊碑にやはり「霊安故郷」と揮毫し、その慰霊碑移転式に黄昭堂・台湾独立建国聯盟主席などと参列されています。
また、2007年のご来日の折には実兄の岩里武則(台湾名:李登欽)命が祀られている靖國神社に初めて参拝、2008年の沖縄ご訪問では平和の礎や平和祈念堂に参拝されています。今回のご来沖で3度目の参拝となりました。
台湾の元総統が台湾人同胞を慰霊顕彰するのはごくごく自然なことです。しかし、中国は「植民地統治の美化だ」「侵略戦争と軍国主義を支持するような行為には断固として反対する」とクレームをつけました。
これまでも中国は、李元総統のご来日のたびに「戦争メーカーだ」とか「頑固な『台湾独立』分子だ」などとクレームをつけてきましたが、平和、自由、民主主義を唱道しつつ、台湾人同胞を慰霊顕彰する李元総統を誹謗する姿勢は常軌を逸しているとしか言いようがありません。異常です。中国こそ「為國作見證」の意義を知るべきです。
————————————————————————————-「台湾人戦没者慰霊碑」除幕式あいさつ
日本台湾平和基金会の西田健次郎理事長をはじめ、理事の皆さま、そして会場にお集まりのご来賓の皆さま、こんにちは。本日、私はこの平和祈念公園において、戦争に倒れた台湾の人々を追悼し、皆さまとともに歴史を共有するために参りました。
まずはこの、戦争で犠牲になった台湾の人々を慰霊する記念碑を建立した日本台湾平和基金会と、それを支持してくださった多くの方々に、ひとりの台湾人として改めて感謝を申し上げたいと思います。
戦争とは恐ろしく、かつ無情なものであります。多くの尊い命がその犠牲となって失われました。
1945年2月、沖縄戦が始まる直前のことです。台湾の基隆などから900トンもの台湾米が沖縄へ運び込まれ、県民へと配給されました。それによって、多くの命が生きながらえたとも聞きます。
戦争の犠牲者として平和の礎に刻まれた、34人の台湾人のなかには、もしかしたらこの食料の配給業務に携わりながら命を落とした人がいたかもしれません。
台湾人たる私は台湾を愛し、わが人生を、台湾のためにささげるつもりでやってまいりました。
私の人生においては、戦争によって数多くの困難にぶつかることもありました。また、戦争は、生きるために、いかにして積極的に生命に向き合うかということを学ぶ契機ともなりました。
「人間は歴史から学ぶ」と言われます。人類の偉大さは、その学習能力にあるのかもしれません。つまり先人たちの行いは、私たちが、いかにして生きるべきか、道すじを示唆してくれています。先人たちは命を以て、私たちに歴史を指し示してくれているのです。
また同時に、私たち後世の人間は、先人たちが示してくれた道すじと教訓によって、学び、選択することができます。
これこそ、私がこの慰霊碑に揮毫した「為国作見証」の意義なのです。
平和、自由、民主主義は、人類をよりいっそう、かつ永遠に偉大なものとするでしょう。願わくば、私たちもまた命の尊さを以て、人間の生きる道を示すとともに、平和、自由、民主主義が後世にまで継続するよう願ってやみません。
これで私のあいさつといたします。ありがとうございました。