――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(42)内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

【知道中国 1741回】                       一八・六・初六

――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(42)

内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

 「支那の今日にあっては、袁世凱に限らず、何人でも政治上の方針すなわち国是というものを立てるということが肝腎」である。国是さえ確固としていれば、「後から続いて出て来る政治家が、その方針に従ってこれを遂行して行くことが出来るので、従って法治国たるの実も挙る」。だが「国是が立たず、ただ機会に従い、便宜上の色々な政策を思いつき次第にやるというのでは、袁世凱のような人物が非常な勢力を得て、専制的に統一しても、それは砂の上に建てた楼閣のごときもので、直ちに崩れる虞れがあるのである」。つまり袁世凱が率いる国是なき中華民国は「砂の上に建てた楼閣」に過ぎないことになる。国是を立てるということは、反袁世凱勢力である革命派にしても同じだ。

 こうみてくると、「現在の支那は共和政体として、その立国を列国から承認せられたとはいうものの、なお袁世凱の統一事業が成功するや否やということは、疑問の裡に置かれ」ているわけであり、「まさに世界列国の環視の真ん中で、統一事業の芸当を」しているようなものだ。だから「世界列国も、支那の幾億人民を救済し、世界平和を図るという上からは、支那を真正に満足な共和政治を行い得る国として成り立たすまで、十分に監視しなければならぬ義務があると思う」。であればこそ「支那の当局者が正道に反した行為を執るのを黙々として看過するということは、世界の政治上の徳義に退歩を許すこと」である。やはり「列国共通の政治上の徳義公道を守らずして、列国の伍に入り得る国の存在を認める」 わけにはいかない。

 いよいよ『支那論』も結論に至る。

 「今日文明が進歩して、各々その国においては政治上の徳義を厳重に守るにも拘らず、支那の内情なり、地位なりがそこまでに至らないからといって、放任して置くのか、それとも列国が各々その国の利益のために公道を忘れておるのか知れぬが、支那の現状に対する列国の監視は甚だ寛大に過ぐる」。現状では「支那の人民を救済」することも「世界の平和を永遠に維持する」こともできない。だが、「世界の監視が寛大に過ぐるからといって、それを好いことにして、自国の内に対し、また外に対する政治上の徳義を疎かにするということ」は断じて許されない。

 やはり「今日の支那は、列国に甘やかされておるので、正義の観念も発達せず、したがって共和政体の成功も危ぶまれるのである」。であればこそ、「当局者が真正に自国の前途を考えるならば」、外国が寛大すぎたとしても、「政治上の徳義を疎かにするということなしに、十分に守るところは守らねばならぬ」のである。

 内藤は以上の「迂闊な空論」の中にこそ「立国の永遠なる真理が含まれておるのである」として、『支那論』を閉じた。

 ――最後に示した「迂闊な空論」は、現在の世界と習近平政権が率いる中華人民共和国との関係にも当てはまる“警句”として拳々服膺すべきだ。

 内藤が「支那人に代わって支那のために考えた・・・」ところの『支那論』ではあったが、結論的には「迂闊な空論」こそが、その眼目ということになろうか。

 いま「支那人に代わって支那のために考えた」内藤の心中を察するに、「(中国に対する)認識論的な支配の欲求と、それを可能にする学への自負がある」との子安宣邦の評価はタメにする批判に過ぎないし、「ひたすら中国社会の安定を望み」、「新生中国の自立的発展を願う」「民族を超えた文化史観」の発露という谷川道雄の賛辞も当たらないと言っておきたい。内藤は『支那論』によって知れば識るほどに判らなくなり、近づくほどに遠避かる逃げ水のような「支那」に対する“諦念”を語ろうとしたのではないか・・・曰く不可解。《QED》


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