報道によれば「宮内庁は、両陛下が与那国島を訪れるのは、長年続けてきた離島訪問の一環で、台湾が望めることとは関係ないとしている」と伝えるものの、宮内庁幹部は「一目見ることができれば喜ばれることだろう」と話しているという。
それで思い出すのが、許世楷・元台北駐日経済文化代表処代表のエピソードだ。日本留学直後の1960年、王育徳氏が始めた台湾独立をめざす「台湾青年社」(現在の台湾独立建国聯盟日本本部)に加盟したことでブラックリストに載り、パスポートを剥奪された。李登輝氏が総統時代の1992年になってようやく台湾に帰ることができるようになったものの、この間、台湾が恋しくなると台湾を望める与那国島まで行ったという。なんとも切ないエピソードだ。
実は、台湾と皇室のゆかりも深い。
1895年(明治28年)、日清戦争で日本に割譲された台湾に、征討近衛師団長として赴かれるもマラリアに冒され、10月28日に台南で薨去された方が北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさしんのう)だ。台湾神宮をはじめ、台湾各地の神社のほとんどで主祭神として祀られた。
また、1908年(明治41年)10月24日、台中公園において台湾縦貫鉄道の全通式が行われているが、この式典に臨席されたのが閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう)で、台中公園には載仁親王が植樹された樟(くすのき)が今も残っていて、説明のプレート板も設置してある。
さらに、大正12年(1923年)4月、今上陛下のご尊父で、後に昭和天皇に即かれる皇太子殿下の裕仁(ひろひと)親王が摂政宮として12日間も台湾に滞在されたことがある。昭和天皇の弟宮の秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)や高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう)なども訪台されている。
今上陛下ご自身も、東日本大震災の翌年(2012年)4月の園遊会に、台湾の馮寄台代表と顔希君夫人とともに招かれ、陛下は直接「台湾ありがとう」とお言葉をかけられたことがある。日本が台湾と断交後、台湾代表を招かれたのは初めてのことだった。
共同通信は「『台湾の人たちは、日本をどう思っているのか』。2016年3月、東京都内で開かれた学習院初等科のクラス会で、しきりに尋ねる陛下の姿があった。相手は隣に座った台湾の同級生だった」と伝えている。
台湾には今上陛下の行幸を望む声がいまも根強い。陛下も、台湾の同級生からそれをお聞きになっているかもしれない。台湾も米軍や中国軍の空襲を受けたところで、台南沖航空戦では多くの同胞が亡くなっている。「台湾が望めることとは関係ない」と断言できないのは言うまでもない。
—————————————————————————————–両陛下、初めて台湾望む与那国へ【共同通信:2018年3月5日】
天皇、皇后両陛下は27日からの沖縄県滞在中、長年続けてきた離島訪問の一環で、約110キロ先に台湾を望む日本最西端の島、与那国島に初めて赴かれる。日本は台湾と国交がなく、天皇、皇族の訪問は難しい。ただ陛下は戦中、台湾出身の友人と机を並べた時もあり、東日本大震災の際は台湾からの支援にも感謝した縁がある。日本の学友は「気に掛けていた場所だろう。与那国島からご覧になれれば」と願っている。
「台湾の人たちは、日本をどう思っているのか」。2016年3月、東京都内で開かれた学習院初等科のクラス会で、しきりに尋ねる陛下の姿があった。相手は隣に座った台湾の同級生だった。