(転載自由)
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以下は6年前に上梓した単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」の一部ですが、参考のために再度掲載させていただきます。
「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)
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(転送転載自由)
●中国の人権問題を見て見ぬふりをする日本
戦後の日本は「人権」と「平和」を最高の価値としていて、それは教育界や労働界をはじめあらゆる分野に反映されるようになっている。たとえば教科書では、女性の人権に配慮するあまり「主人」や「奥さん」「家内」といった言葉を使わないように勧める記述や、在日外国人に参政権が与えられないことを差別問題にからめて記述しているなど、あたかも先鋭的人権団体のパンフレットかと見紛うばかりの内容になっている。
日本には人権団体がたくさんあって、北朝鮮による拉致問題の解決に熱心な団体もあれば、ジェンダーフリーのように、私から見れば行きすぎた概念をかかげている団体も少なくない。とくにリベラル団体は「人権」に対して非常に厳しく、うるさいほどだ。
しかし、これほど人権に敏感な日本人なのに、なぜ隣の中国の人権問題については発言しないのか、以前から不思議に思っていた。まず日本政府が中国の人権問題について何か提議したとは寡聞にして知らない。そこには何らかの中国に対する遠慮があるようだ。
しかし、政府もさることながら民間団体においても、中国の人権問題については寛容であるというか、批判的な言動はほとんど見られない。「人権」と「平和」は国によって差があってはいけないのであれば、中国が侵している多くの人権侵害の事例に口をつぐんでいるのは、日本のダブルスタンダードと批判されても致し方あるまい。
中国の人権侵害の事例は山ほどある。多すぎて何から取り上げるべきか迷うほどである。中国国内における人権侵害に関する信頼度の高い報告は、まず毎年出されている国連人権委員会によるレポートであり、アムネスティ・インターナショナルのレポートだ。アメリカの国務省も毎年、各国の人権侵害の状況についてレポートしている。また、イギリスの外務省も詳しい報告書を出している。
●中国には人権侵害という観念がない
これらの報告書のなかから事例を紹介する前に、中国の人権侵害の程度を紹介してみたい。
日本でも犯罪の摘発や捜査に関するドキュメンタリー番組がテレビ放映されているが、中国にも中国の公安がいかにして犯罪捜査にあたっているかを描いた番組がある。もちろん、この番組は中国の公安当局が意図して制作したもので、中国政府の宣伝活動の一環として作られたものである。
番組の内容を再現すると、スリや万引きのような軽犯罪者を捕まえる場面では、犯人を路上でめった打ちにしてうつ伏せにさせ、足錠をかけ、後ろ手にして手錠をかける。その次は連行して、足錠と手錠をかけたまま取り調べをするシーンだ。
この番組は中国当局が意図して制作したことは先に述べたが、犯罪者を逮捕するシーンとはいえ、犯人を路上でめった打ちにする場面は残酷だ。日本人にかぎらず、誰が見ても行きすぎと思うだろう。これは完全な人権侵害だ。これがアメリカであれば、間違いなく人権侵害で訴えられる。
実際アメリカでは、犯人と警察官がカーチェイスする場面をヘリコプターから撮影した映像のあと、犯人を捕まえてめった打ちにするシーンが放映されて、のちにその警察官が人権侵害で訴えられるということがあり、それが全米のニュースとなった。
しかし、中国では人権侵害で訴えられるどころか、これが日常的なことなのだろう。中国公安当局が意図して制作した番組で放映されるのであるから、そう受け取るのが妥当だ。これが武装警察なら抵抗しない人間でも平気で射殺する国である。おそらくこの場面はまだまだ穏当な方だったのかもしれない。いかに中国には人権という意識が希薄なのか、この一事をもってもわかろうというものだ。
●なぜ日本の人権団体は中国を批判しないのか?
中国の人権侵害がどこまでひどいのかという事例は、国連人権委員会が出した特別報告書のなかに、不法な殺害、拷問や残虐な刑罰、不当な拘束、言論抑圧、女性への暴力などに分けられて報告されている。とくに、ここ数年間における法輪功のメンバーに対する残酷な拷問と刑罰に関しては詳しく報告されている。
たとえば、労働教養所や拘置所において、死に至るまで殴打する、真冬に服を脱がせて氷水をかける、常に針で刺す、電撃警棒で電気ショックを与える、焼けた鉄を体に押しあてる、長椅子状の電気椅子に寝かせて肛門に電気ショックを与える、タバコの火を押しつける、法輪功の女性メンバーを男性刑務所に放り込んで強姦させる等々、見るに耐えない聞くにも耐えない残酷な拷問の事例が数多く報告されている。
法輪功と関係が深い「大紀元」という新聞がある。この新聞が中国国内に潜入し、刑罰を受けた人間の写真を掲載しているが、中国では日常的にこのような拷問がおこなわれている。人権を大切にする日本が中国のこのような実態を正視せず、何もしないというのは道徳的におかしいのではないか?
中国はよく、これは中国の特別な国情だから、一概にアメリカの基準を押しつけてはいけないと言う。同じような言い方をしている日本のマスコミも少なくない。しかし、人権の基準が国によって違うというのは妙な話だ。また、拷問に、この国の拷問はよくて、あの国の拷問は悪いという分け方は成り立たない。拷問は国家的な犯罪である。国によって基準が違うという主張は説得力に欠け、政治臭がつきまとっている。
この国連人権委員会は人権侵害の深刻な国がメンバー国になるなど、さまざまな問題があって、二〇〇六年三月二七日の第六二回をもって六〇年の歴史に幕を下ろし、人権理事会に改組されるという。この背景には、中国が開発途上国などへの多数派工作により、何度も中国の人権問題を提起するアメリカ案を葬り去ってきたことへの批判もあると言われている。今後の人権理事会の行方が気になるが、国連人権委員会がこれまでに発表したレポートを見れば、中国の拷問がいかに残虐なものかよくわかる。つぎの人権理事会ではアメリカ案が成立することを祈りたい。
●劉少奇を死に至らしめた残虐な殺し方
中国共産党の人民を統治する手法は、毛沢東時代からなにも変わっていない。中国共産党総書記で首相経験者だった胡耀邦は、中国は建国以来、非自然的に亡くなった人間は数千万人にのぼると発言したことがある。非自然的とは、寿命や病死などの自然死以外の死に方であり、端的に言えば強制的な死であり、暴力団の抗争による死などはあるものの、権力によって殺害されたことを指しているものと思われる。
中国共産党は、統治とは名ばかりで、利益と恐怖で人民を支配してきた。利益を享受できるのは共産党幹部や官僚などの一握りの人間であり、それ以外の九割以上の人間は恐怖政治によって統治されている。恐怖政治とは、政治的な迫害、言論の弾圧、拷問などだ。政治的に残虐な方法で敵をつぶしてしまうのが共産党の手法であり、その象徴的な事例が国家主席をつとめた劉少奇迫害であろう。
一九五九年に国家主席となった劉少奇だったが、文化大革命で走資派の頭目と見なされて毛沢東によって徹底的に批判され、一九六八年には共産党を除名されて失脚する。一九六七年には河南省開封市にあったその自宅は牢屋に改装され、治療という口実で医者や看護婦、看護士などが彼を針であらゆるところを乱暴に突き刺して苦しめ、さらに数カ月間、彼の両手両足をベッドに縛りつけて動けない状態にし、最後は全身腐った状態で死に至らしめた。一九六九年一一月のことである。
これが中国の言うところの「特別な国情」を反映しているのかもしれないが、何ともひどい殺し方である。このように「恐怖」で人権を抑圧することが中国共産党の伝統的な統治手法になっている。
だから、中国に人権問題を突きつければ、「利益」と「恐怖」という統治手法の一角が崩れる可能性は高い。それゆえ、国連人権委員会でアメリカが中国の人権抑圧を非難する決議案を提出しても、中国は多数派工作をおこなうなどして必死に抵抗しているのである。
しかし、中国を崩壊させる方法として、中国がいかに人権を踏みにじっているか、具体的な人権蹂躙状況を常に突きつけていくことは有効な手段である。
●中国共産党を崩壊に導くことこそ日本の国益
中国を崩壊させてはいけないという見解を日本の外務省などは持っているようだが、それは単に人は裕福になれば礼節を知り、穏やかな人格に生まれ変わるという幻想を中国に当てはめようとしているにすぎない。あるいは、中国を国際孤児にすると何をしでかすかわからないので、常に国際舞台の一員にとどめておこうという官僚的発想の為せるところなのかもしれないが、あまりにも中国の覇権主義を知らなさすぎる、危険で幼稚な考え方と言ってよい。
中国は世界の中心となるまでその覇権主義を捨て去ることはない。それが中華思想なのだ。今や日本にも迫ろうという経済力をつけてきた中国が、尖閣列島近辺で何をやっているか知らないわけではあるまい。中国が日本を上回る経済力をつけたら、呑み込まれるのは日本なのだ。今、中国が虎視眈々と狙っているのは日本なのである。台湾併呑はそのステップにすぎない。その次は、世界一の大国アメリカだ。これで中華帝国は完成する。
だから、中国を崩壊させるしか台湾も日本も生き延びる道はない。アメリカも同様である。しかも中国の実態は老朽化したビルだ。いずれ確実に倒れる。だから活力ある日本や台湾を一日も早く呑み込もうと焦っている。
大胆な予測と思われるかもしれないが、おそらく中国は近い将来、内なる矛盾から瓦解するだろう。ただ成り行きにまかせていては、どこに、どのような形で倒れるか予測できない。中国が分裂して崩壊したとき、難民が外にあふれ出ないようにするなど、うまく誘導していかなければならないのだ。そのときのために周辺の国々は、中国をどのような方向に、どのような形で崩壊させるかを真剣に考えておかなければいけない。それができるのは、今のところアメリカと日本しかない。
そのために有効な手段が人権問題なのである。中国が崩壊したとき、国内にとどまっても迫害されないような環境を今から作っておくこと、それが大切である。
くり返すが、「人権」と「平和」を最高の価値と見なしている戦後の日本が、中国の人権問題で積極的に発言しないのは偽善である。日本政府は、アメリカ国務省やイギリス外務省を見習って、中国の人権問題に関する報告書を毎年出すべきではないだろうか。ぜひ出してもらいたい。
中国に莫大な経済支援をしている日本だからこそ、中国の人権問題について発言する権利がある。日本はアジアの国々の安全のためにも、この権利を行使すべきなのである。
将来、中国が崩壊したときに発生する難民問題に対応する困難に比べたら、今の苦労はたいしたことではないはずだ。今からでも遅くはない。日本が規範とする人権問題を中国に突きつけ、中国の人権意識を改善させ、民主的な手法で共産党独裁政権を崩壊させることが、長い目で見て、日本の国益につながるのである。日本人の覚醒を期待したい。
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参考
「中国ガン・台湾人医師の処方箋」林 建良著 並木書房 2012年12月出版