家村和幸
▽ ごあいさつ
こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。
今回は「武士たちが遺した教え」の第八回目といたしまして、江戸中・後期の儒学者・佐藤一斎(いっさい)が学問の道を通じて自得したこと、すなわち「志」を書き綴(つづ)った『言志四録』を紹介します。
『言志四録』は、儒学者としての道を歩む佐藤一斎が、四十二歳から八十二歳までの四十年間をかけて執筆したものであり、年代ごと以下のように四つに分かれています。
『言志録』 全246条(四十二歳〜五十三歳)
『言志後録』全255条(五十七歳〜六十七歳)
『言志晩録』全292条(六十七歳〜七十八歳)
『言志耋(てつ)録』全340条(八十歳〜八十二歳)
これらは、儒教の経典を自らの血肉とし、骨と化すまで学んだ佐藤一斎が、孔子の教えを「日本人の教え」として結実させたものです。
全部で1133条にも及ぶ膨大な良ですので、今回のメルマガでは、この内、佐藤一斎が四十代から六十代にかけて著した『言志録』及び『言志後録』から、学問と教育についての教えを抜粋して紹介いたします。
それでは、本題に入ります
【第12回】武士たちが遺した教え:佐藤一斎 『言志四録』
▽「天に仕える心」こそが基準 ─『言志録』から
あらゆる事をやろうとする際には、全て「天」(宇宙に満ちている真理・わが命を生み出した大本)に仕える心に基づかねばならない。人にどう見られようかなどと思う必要はない。(言志録三)
発奮する事で学問は進んでいく。(古代シナの)聖人の舜(しゅん)だって人間、俺だって同じ人間だ、と強く念ずることこそが発奮することである。(言志録五)
天は何の為に私をこの世に生み出し、私に何の役割を果たさせようとしているのであろうか、と常に自ら考えよ。(言志録十)
私は、聖人に成るための学問をしている。そのために書物を読んでいる。知識を増やすために読書しているのではない。(言志録十三)
冷静な思考と表情、暖かい背中、胸は虚心で腹には信念が満ちていたいものである。(言志録十九)
真に大志ある者は、小さな仕事もしっかりと勤め、真に遠い未来に思いをいたす者は、目前の細かい事物を疎かにしない。(言志録二十七)
ほとんどの人が忙しい、忙しいと言っているが、彼らがやっていることを視ると、事実関係を整理することに一から二割、どうでもよいことを処理するのに八から九割を費やしている。又、そのどうでもよいことを重要なことと勘違いして仕事をやったと思っている。これでは多忙なわけである。志がある者は、このような過ちを犯すことなく、時を惜しめ。(言志録三十一)
志がある士は鋭い刃の様なもので、あらゆる邪悪も避けてゆく。志が無い人は切れ味の悪い刃のようなもので、子供からさえも馬鹿にされる。(言志録三十三)
世間で第一等の人物になりたいという志ではなお小さい。(中略)志がある者は、歴史に名を残す第一等の人物こそを目指すべきである。(言志録百十八)
自分だけを頼りにせよ。天地を揺るがす一大事業も又、全て一個人の決意によって生み出される。(言志録百十九)
自分を見失えば人との関係を失う。人を失えば物も全て失う。(言志録百二十)
暗雲はやむを得ずして集まり、風雨はやむを得ずして吹き荒れ、落雷はやむを得ずして起こる。こうした自然現象の如くやむを得ずして立ち上がるのが人の誠心の発揮である。(言志録百二十)
急ぎあわてては事を失敗し、じっくり待てば事を成す。(言志録百三十)
【解説】
佐藤一斎は、安永元(1772)年10月20日(旧暦)、美濃国恵那(現在の岐阜県恵那市)の岩村藩家老・佐藤信由(のぶより)の次男として、江戸浜町(現在の中央区日本橋浜町)の藩邸下屋敷内で生まれた。
幼い頃から読書を好み、水練・騎射・刀槍などの武芸にも優れていたが、十四歳から学問に励み、寛政2(1790)年、十九歳で岩村藩に仕え、藩主の近侍(きんじ=君主の近くで仕える人)になるが、その翌年には事故を起して免職となった。
この頃から朱子学や陽明学を学び始め、二十一歳で大阪に遊学して中井竹山(ちくざん)の下で学び、二十二歳で江戸に出て昌平坂(しょうへいざか)学問所に入門し、林錦峯(きんぽう)の門下生となる。錦峯が死去した後は、その養子・林述斎(じゅっさい)の門人となる。
林述斎は、岩村藩主・松平乗蘊(のりもり)の三男であり、元服した時の烏帽子(えぼし)親を佐藤一斎の父・信由が務めたことから、四歳年下の一斎とは兄弟のような間柄であった。こうしたこともあり、文化2(1805)年に三十四歳で林家塾の塾頭となった佐藤一斎は、林述斎に協力して多くの門下生の指導にひたすら没頭した。
『言志録』は、佐藤一斎がこのようにして林家塾の塾頭になってから8年後に書き始めたものである。
▽ 五十歳は晩節を全うする分かれ目 ─『言志後録』から
私が志している学問は、生涯を懸けて追い求めるべきもので、古人が言うように、斃(たお)れて息が絶えるまで止まないものだ。この道は窮(きわ)まる所が無く、シナの聖人である堯(ぎょう)や舜の事績を超えて善の道は限りないものである。
孔子は十五歳で学問に志されて以来、三十歳から七十歳に至るまで十年毎に心境の進むのを実感され、一日一日を休む事無く務め励まれ、老いが身に追っている事も実感されない程だった。(中略)孔子を学ぶ者は皆、生涯道を求め続けられた孔子の志を自らの志とせねばならない。(言志後録一)
自分で考えさせながら教え導くのは、教育の常識である。間違いを戒(いまし)めて教え諭(さと)すことも時には必要となる。率先窮行(きゅうこう)して自ら身を以て手本を示すのは、教育の基本である。何も言わずに強化するのは、教育の神技である。気を抑制させ高揚させ、激励して前進させるのが教育者の権限であって、これらを臨機応変にやらなければならない。教育の術は様々にある。(言志後録十二)
春風のように人には暖かく、秋霜のように自らには厳しくあれ。(言志後録三十三)
克己心(こっきしん)を養うのは瞬間瞬間の自らの有り方にある。(言志後録三十四)
年中都や城内を駆け回って働いていても、自ら天地の大きさを知ることはできない。時には川や海に浮かんでみよ。時には険しい山に登ってみよ。時には青々とした野に出でよ。これも又、心を磨く学問である。(言志後録六十六)
好んで大言をなす者がある。その人は必ず器量が小さい。好んで壮語をなす者がある。その人は必ず怯儒(きょうだ)である。大言壮語はしなくとも、その中に含蓄がある者、これこそ知識も器量も優れた人物である。(言志後録六十八)
いくらよいことを講義しても、その内容を自ら実践できないのを「口先だけの聖賢」という。これを聞いてわが身に省みさせられ、慎(つつし)んだ。人に道を教え、論じても、自ら体現できないのを「紙の上だけの道学」だと聞いて、再度わが身に省みさせられ、慎んだ。(言志後録七十七)
人間は五十歳も過ぎると人生の日々を重ね、錬磨を多く積んでくる。聖人は自分の使命を知り、普通の人も又、政治に関わるようになる。それゆえ、世の中の事にも馴(な)れて驕(おご)り昂(たか)ぶり、天狗になり、終には晩節を汚してしまう事になりがちなのもこの頃である。
ここが身を慎む正念場である。私も晩節を全うする分かれ目の「五十歳」を迎えた今、自らの「志の原点」を再確認するため故郷を訪ね、先祖の遺跡・墓地を巡拝、偉人の史跡を訪れ、参拝することで一層「自警」を深めたのである。・・(後略)・・(言志後録二百四十一)
【解説】
文政9(1826)年、松平乗美(のりよし)が第五代岩村藩主となったとき、乗美の教育係を務めていた佐藤一斎(当時、五十五歳)は、藩の家老たちに重役としての「あるべき心構え」を、聖徳太子の十七条憲法に擬して十七箇条で書き表した。これを『重職心得箇条』という。
『言志後録』は、この『重職心得箇条』とほぼ同じ時期に書き始めたものである。
▽ 生涯をかけて学び続ける・・・三学戒(言志晩録六十)
少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽(く)ちず
【解説】
六十七歳から『言志晩録』を書き始めていた佐藤一斎は、すでに儒学の大成者とみなされており、天保12(1841)年に林述斎が没すると、当時、七十歳の一斎は、幕府から昌平坂学問所の総長を命じられた。一斎が総長を務めた昌平坂学問所の門下生は三千人を超え、その中から佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠などの優れた人材を輩出した。
七十八歳で『言志晩録』を書き終えてから5年後の安政元(1854)年、八十三歳になった佐藤一斎は、日米和親条約の締結交渉において大学頭(だいがくのかみ)林復斎を現場で補佐した。林復斎(当時、五十五歳)は、故・林述斎の六男であり、幕府を代表してペリー提督と交渉する責任者に任ぜられていたが、一斎に援(たす)けられながら堂々とした態度でこの重大な任務を全うしたのであった。
安政6(1859)年9月24日(旧暦)、佐藤一斎は、八十八歳で死去した。
生前の一斎は常に時計を携行し、時間厳守を何よりも重視していたという。
(「佐藤一斎 『言志四録』」終り)
(いえむら・かずゆき)
《日本兵法研究会主催イベントのご案内》
【家村中佐の兵法講座 −楠流兵法と武士道精神−】
今回は、古文書を紐解きつつ、大楠公の戦術・戦法を図示説明します。
演 題 第三回「『大楠公訓話』を読む(原文講読)」
日 時 平成25年6月8日(土)13時00分〜15時30分(開場12時30分)
場 所 靖国会館 2階 田安の間
参加費 一般 1,000円 会員 500円 高校生以下 無料
【第13回 軍事評論家・佐藤守の国防講座】
今回は、大東亜戦争終戦の日である8月15日を前にして、佐藤氏が戦闘機パイロットや基地司令などの勤務を通じて体験した“超科学的な現象”特に先の大戦で戦場に散った多くの英霊との目に見えない“交信”について紹介していただき、英霊の顕彰や戦没者の追悼について考えてみたいと思います。
演 題 英霊の声が聞こえる ─ 本来の日本人精神を取り戻せ!─
日 時 平成25年7月28日(日)13時00分〜15時30分(開場12時30分)
場 所 靖国会館 2階 田安の間
参加費 一般 1,000円 会員 500円 高校生以下 無料
お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp
FAX 03-3389-6278
件名「国防講座」又は「兵法講座」にて、ご連絡ください。