【武士道精神入門(14)】武士たちが遺した教え:西郷隆盛の言葉(『南洲翁遺訓』から)–

【武士道精神入門(14)】武士たちが遺した教え:西郷隆盛の言葉(『南洲翁遺訓』から)–

                        家村和幸

▽ ごあいさつ

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

今回は「武士たちが遺した教え」の最終回といたしまして、明治維新の立て役者でありながら、西南の役に散った“ラスト・サムライ”西郷隆盛の言葉を『南洲翁遺訓』の中から紹介します。

 『南洲翁遺訓』は本編だけで41ヵ条が残されていますが、いずれも含蓄のあるものばかりで、西郷隆盛がいかに高潔な人物であったかを知ることができます。しかしながら長文であるため、本メルマガではその半分のみを抜粋して紹介いたします。

 なお、日本兵法研究会ホームページ「武士道精神」のコーナーに『南洲翁遺訓』の全条文を掲示しましたので、こちらも是非ご一読ください。

 日本兵法研究会ホームページ

 http://heiho-ken.sakura.ne.jp/

 さらに詳しく学びたい方には、『「南洲翁遺訓」を読む わが西郷隆盛論 』渡部昇一著(致知出版社)をお勧めいたします。

 それでは、本題に入ります

【第14回】武士たちが遺した教え:西郷隆盛の言葉(『南洲翁遺訓』から)

▽『南洲翁遺訓』について(解説)

 西郷隆盛は武士道の極致ともいうべき“無私無欲”の精神を自らの信条として生きた人だった。だからこそ、多くの武士達が西郷の人徳に魅(ひ)かれ、彼のためには命を捨ててもかまわないとの気概を持つことによって、明治維新が成ったのである。

 この西郷の高潔なる人格を形成していた信条とはなんだったのか。あるいは西郷を西郷ならしめた思想とはどのようなものであったのだろうか。それを理解するのに大いに役立つのが、この『南洲翁遺訓』という書物である。

 『南洲翁遺訓』は西郷隆盛自身が書き残したものではない。彼の人格に深く打たれた庄内藩の武士が、その言葉を「遺訓」として後世に残したものである。

 庄内藩は、戊辰戦争で最後の激戦となった奥羽越列藩同盟の中心的な藩であったが、その終結をもって明治新政府が誕生する。このとき西郷は新政府の総督参謀として、庄内藩に対し寛大な処置をとった。

その温情に感激した庄内藩士たちが、帰郷した西郷のもとを訪ね、親しく西郷の人格に接するうちに、「高潔なる本物の武士とはかくあるものか」とさらに西郷に惚れこみ、その言葉を綴(つづ)ったものが『南洲翁遺訓』となったのである。

▽ 政治家がなすべきこと

一 政府の中心にあって国の政(まつりごと)をやるということは、天道を踏み行うことであるから、少しでも私心を差し挟んではならないものである。徹底的に心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選び、そしてその職務をちゃんとやれる人を挙げて政治を執らせることこそ天意である。

だから、本当に賢明で適任だと認める人がいたならば、すぐに自分の職は譲るぐらいの覚悟がなくてはならないものである。(以下略)

三 政(まつりごと)の根幹は学問を興し、軍備を強くし、農業を奨励するという三つのことである。その他いろいろな事柄は、この三つのものを助けるための手段である。この三つの中で、時代の趨勢によって、どれを先にするか、後にするか、その順序の違いはあるだろうけれども、この文武農の三つを後にして、他を先にすることは絶対ないであろう

四 すべての国民の上に立って政治の責任者は、いつも自分を慎んで、品行を正しくし、驕って贅沢(ぜいたく)な生活をすることのないように慎み、倹約し、仕事に勤勉にやって、人民の手本にならなければならない。

そして、一般国民がその政治家の一生懸命仕事する姿を見て、気の毒に思うようでなければ政治は行われがたいであろう。ところが、維新になって新しい政権が立ったばかりであるのに、立派な家をつくり、立派な着物を着、美しい妾を抱え、自分の財産を増やそうなどということを考えるならば、維新の本当の成果を遂げることはできないであろう。

今となってみると、維新の戦い、戊辰の正義の戦いも結局、私利私欲を肥やす結果になっていて、国に対しても戦死者に対しても面目ないことだと言って、しきりに涙を流された。

▽ 幾たびか辛酸をへて志はじめて堅し

五 あるとき、「人の志というものは何度も何度もつらい目を経てはじめて固まってくるものである。真の男子たるものは玉となって砕けても、瓦のようになっていつまでも生き長らえることは恥とするものである。自分が我が家に残しておくべき教えとしているものがあるけれども、それを知っているであろうか。

それは子孫のためによい田を買わない、財産を残さないということだ」という七言絶句を示されて、この言葉に違うようなことがあったら、西郷の言うことはやることと反しているといって見限ってもらってもいいと言われた。

七 どんな大きいことでも、またどんな小さいことでも、いつも正道を踏んで、至誠をつくして、決してどんなことでもいつわりのはかりごと(詐謀:さぼう)を用いてはいけない。

人は多くの場合、あることに差し支えが出るときになると、策略を用いるものであるが、いったんその策略を通しておけば、あとはときに応じてなんとかいい工夫ができるように思うものであるけれども、策略というのは必ずそのツケが生じ失敗するものである。正道を踏んでいけば、目の前では回り道しているようだけれども、先にいけば、かえって成功は早いものである。

▽ 国防と外交において重要なこと

一一 (前略)・・自分はかつてある人と議論をしたことがある。「西洋は野蛮だ」と私が言うと、その人は「いや文明だ」と反論した。
「そうじやない、そうじやない、野蛮だ」と畳みかけて言ったところが、「なぜそれほど西洋は野蛮だと言うのですか」と強く言うので、私は「実際に文明というならば、未開の国に対しては、慈愛をもととして懇々として説いて聞かせて開明するほうに導くべきはずなのに、そうではなくて、未開蒙昧な国に対するほどむごたらしく残忍なことをして、自分の利益を図っているのは野蛮なことだ」と言ったところ、その人は口をつぼめて返答できなかったと南洲は笑われました。

一五 常備の兵数も、また会計の制限によるのである。決して無限の虚勢を張ってはいけない。兵隊の士気を鼓舞して、強い兵隊にすることができれば、兵隊の数は少なくとも外国との折衝に当たっても、また敵からなめられることを防ぐにも、事欠くことはないであろう。

一六 道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は決してありえない。西洋の各国でもみな同じことである。上に立つ者が下に対して自分の利益だけを求めて正しい道義を忘れるときは、下の者も上のほうにならって、人の心はみな金儲けばかりのほうに向いてしまって、どんどん卑しい心が強くなり、道義だとか恥といったような道徳を失い、親子兄弟の間でも財産争いをし、お互いに敵視するにいたるのである。

このようになっていったならば、何をもって国家を維持することができようか。徳川家は武士の猛き心をなくさせて世の中を治めたけれども、今は昔の戦国の勇猛な武士よりもなお一層勇猛な心を奮い起こさなければ、世界のあらゆる国と相対することはできないのである。(以下略)

一七 正しい道を踏んで、国を賭(か)けて倒れてもやるという精神がなければ、外国との交際はうまくいかないであろう。外国の強大なることに縮みあがってしまって、ただただ円滑に収めることを主として、自国の意思を曲げて言うままになって従うときは軽蔑を招き、親しい交わりをするつもりがかえって壊れ、ついには外国の制圧を受けてしまうのである。

▽ 天を敬い、人を愛する

二〇 どんなに制度や方法を議論しても、そこの現場に当たる人が立派でなければ話にならない。適任者があって、その方法が実際に行われるものであるから、人こそ第一の宝であって、自分もそういうのに適した立派な人間になる心がけが必要なことである。

二一 道というものは、天地自然の道であるから、学問を講ずるという道は「敬天愛人」を目的として、身を修めるには己に克つ(すなわち自分の欲望を抑える)ことと思って終始しなさい。そして、己に克つことの真の到達点は論語にあるように、「わがままをしない、無理押しをしない、固執しない、我をとおさない」ということである。(以下略)

二四 道というものは天地自然のものであって、人はこれにのっとっているものであるから天を敬うことを目的とすべきである。天は他人をも自分をも平等に愛したまうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。

二五 人を相手にしないで、常に天を相手にするように心がけなさい。天を相手にして、自分の誠をつくして人の非をとがめるようなことはしないで、自分の真心の足りないことを反省しなさい。

二六 自分を愛する(自分のことを第一に考える)ということはよくないことのいちばんのことである。修業ができないのも、事業が成功しないのも、間違ったことを改めることができないのも、自分の手柄を誇って生意気になるのも全部、自分を愛するためであるから、決して自分を愛してはならないものである。

二七 間違ったときに改めるにあたっては、自分が誤ったと思いついたらそれでいい。そのことをさっぱり思い捨てて、ただちに一歩前進することだ。間違ったことを悔しく思って取り繕おうとして心配するのは、例えば茶碗を割って、そのかけらを集めているのと同じことでどうしようもないことである。

▽ 道を踏み行う

二九 聖人の道を踏み行う人はどうしてもいろいろな困難や災厄に遭うものであるから、どんな苦しい難難に遭っても、そのことが成功するか失敗するかということ、自分が生きるか死ぬかということにあまりこだわってはいけないのである。

事を行うのには上手と下手があり、ものには出来る人と出来ない人があり、自然と道を踏み行うことについて疑念を持ち心を動かす人もあるけれども、人は道を行うことになっているものであるから、道を踏み行うには上手も下手もなく、出来ない人というのはいない。だから、道を踏み行うことだけは誰でもできるものである。(以下略)

三一 正しい道義を行っていく者は、国中の人が寄ってたかってそしるようなことがあっても、不満は言わず、天下をあげて誉めても、十分満足しない。それは自らを信じるのが厚いからである。(以下略)

三三 平生から道義を踏み行っていない人は、ある事件に出合うとあわてふためいて、適切な処理ができないものである。例えば近くで火事があった場合、平生そのときの心構えを持っている人は動揺をしないで始末がよくできるのである。

ところがいつも、そういう心がけのできない人たちはただただあわてふためいて、なかなか処理することができるどころではないものである。それと同じで、平生道を踏み行っている者でなければ、新しい事態が起こったときに、対策は出てこないものである。(以下略)

三五 人をごまかして陰でこそこそ事を企てる者は、たとえそのことがうまく行われても、慧眼(けいがん)の人から見れば実に醜いものであるぞ。人に対しては常に公平で真心をこめて接しなければならない。公平でなければ傑出した人間の心は決してつかむことができないものであるぞよ。

▽ 天下は誠にあらざれば動かず。才にあらざれば治まらず

三六 聖人賢士になろうとする志もなく、また昔の立派な人がやったことを見て、「とても私にはできることではない」というような心がけならば、戦に臨んで逃げるよりもなお卑怯なことである。昔、朱子も、白刃を見て逃げる者はどうしようもならぬと言われたものである。

誠意をもって聖賢の本を読み、その聖賢たちが事にあたってやった精神を身につけ、自分の心の中で検証するような修行もせず、ただ「このような言葉があった」とか 「このような事があった」などというようなことを知っても、そんなものは何の役にも立たないものだ。・・(中略)・・聖賢の書物をただうわべだけで読むだけならば、例えば他人が剣術をやっているのを脇から見ているのと同じで、少しも体得できないものである。自分で体得できないならば、万一「刀をもって立ち合え」と言われた場合は、逃げるよりほかないであろう。

三八 世の中の人がよく言うチャンスというのは、多くはまぐれ当たりで得た幸せのことである。本当のチャンスというのは、道理をつくして行って、そして時勢の動きをよく見極めて動くということから生ずるものである。平生、国や世の中のことを憂うる真心が厚くもないのに、ただ時のはずみに乗って成功したというものは決して長続きしないものであるぞよ。

三九 今の人は才能、知識があれば事業はどんなものでも思うように成功するものだと思っているけれども、才に任せてやるのは危なくて見ておられないものであるぞ。実質的なものがあってこそその応用が利くのである。(以下略)

四一 自分で修養し、自分の心を正しくして立派な紳士の形をしても、ことに当たってその処理が十分できなければ、それは木でつくった人形と同じことである。

例えば、数十人の御客さんがにわかに押しかけてきた場合、たとえどんなにもてなそうと思っても、前から茶碗とか道具の準備ができていなければ、ただ心配するだけでもてなしのしようがないであろう。いつでもそういう道具の準備があれば、何人来ても数に応じて接待することができるものである。だから、平生の用心が肝腎だと言って、古い言葉を書いてくださった。

 学問というのは文筆の業(わざ)をいうのではない。必ず事を処するの才あることをいうのである。武というのは剣や楯をうまく使うことではないぞよ。必ず敵を知って、これに対応する知恵があることをいうのである。才能と知恵のあるところはただ一でそこがもとなのである。

 現代語訳文出典:渡部昇一著『「南洲翁遺訓」を読む わが西郷隆盛論 』致知出版社

(「西郷隆盛の言葉(『南洲翁遺訓』から)」終り)

(いえむら・かずゆき)

《日本兵法研究会主催イベントのご案内》

【家村中佐の兵法講座 −楠流兵法と武士道精神−】

 今回は、古文書を紐解きつつ、大楠公の戦術・戦法を図示説明します。

 演 題 第三回「『大楠公訓話』を読む(原文講読)」

 日 時 平成25年6月8日(土)13時00分〜15時30分(開場12時30分)

 場 所 靖国会館 2階 田安の間

 参加費 一般 1,000円  会員 500円  高校生以下 無料

【第13回 軍事評論家・佐藤守の国防講座】

 今回は、大東亜戦争終戦の日である8月15日を前にして、佐藤氏が戦闘機パイロットや基地司令などの勤務を通じて体験した“超科学的な現象”特に先の大戦で戦場に散った多くの英霊との目に見えない“交信”について紹介していただき、英霊の顕彰や戦没者の追悼について考えてみたいと思います。

 演 題 英霊の声が聞こえる ─ 本来の日本人精神を取り戻せ!─

 日 時 平成25年7月28日(日)13時00分〜15時30分(開場12時30分)

 場 所 靖国会館 2階 田安の間

 参加費 一般 1,000円  会員 500円  高校生以下 無料

 お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp

     FAX 03-3389-6278

     件名「国防講座」又は「兵法講座」にて、ご連絡ください。


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