家村和幸
▽ ごあいさつ
皆様、こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。今回は「武士たちが遺した教え」の第四回目といたしまして、“孫子兵法の体現者”である戦国大名・武田信玄が遺した言葉を紹介します。
「人は城 人は石垣 人は堀 なさけは味方 あだは敵なり」の歌で有名な武田信玄は、常に「人の和」を重視し、巧みな領国経営と戦国最強の騎馬隊により強く豊かな国を作ろうとしました。こうした信玄の人物像を知るため、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』などの中から、「人を動かす」という視点で信玄の語った言葉を選んでみました。
なお、武田信玄とその戦略・戦術について詳しく知りたい方は、拙著『戦術と戦略で解き明かす真実の「日本戦史」戦国武将編』の第二章をご一読ください。
それでは、本題に入ります
【第8回】武士たちが遺した教え:武田信玄の言葉
軍兵(ぐんぴやう)は物言はずして大将の
下知(げち)聞く時ぞ いくさには勝つ
(現代語訳)軍陣の兵たちが何も言わず、黙って大将の命令を聞く時こそ、戦いには勝つものである。
▽ 勝ちすぎるな、ほどほどに勝て
人は只(ただ)遠慮の二字肝要なり。遠慮されあれば分別にもなれり。(『名将言行録』から)
(現代語訳)人は遠い先のことをおもんばかることが最も重要であり、そうであればこそ、状況を正しく判断できるのである。
凡(およ)そ軍勝は五分を以て上となし、七分を以て中となし、十分を以て下となす。(『名将言行録』から)
合戦における勝敗とは、十のものならば六分か七分敵を破れば、それで十分な勝利である。(『甲陽軍鑑』から)
戦闘の心得として、四十歳以前は勝つように、四十歳から先には負けぬようにせよ。(『甲陽軍鑑』から)
【解説】これは、武田流軍学において特に強調されている合戦の心がまえである。強い敵に対しては、一気に勝敗を決しようとあせることなく、将来の勝利を第一に考え、地道に力を養いながら、じりじりと追いつめていく。十分な思慮判断のもとに敵を追いつめ、圧力を加えて気長く対処していくべきなのである。
▽ 人を馬にたとえて・・・(『甲陽軍鑑』から)
馬が多いといっても、能(よ)き馬を見知る者は少ない。よき馬が埋もれていたずらに日を送っているのは、結局、その国の大将が悪いからである。
噛(か)む馬は、しまいまで噛む。
(意味)身についた悪い癖は、簡単になおせるものではない。
人食う馬にも、合口(あいくち)。
(意味)人に噛みつくような気性の荒い馬でも、気の合う人間がいる。
駄(だ)馬でも使い方で役に立つ。また、名馬にも癖がある。
▽ 薬は人を殺さぬ。医者が人を殺す(『甲陽軍鑑』から)
関東管領の上杉則政(うえすぎのりまさ)は、降参してきた侍を大事に扱うのがよいことと思いこみ、前後の考えもなく厚遇するために、古参の者は恨みを抱いて役に立たず、新参の者は思いあがって大将を軽んじ、これも役に立たず、双方ともに忠功を怠っていたため、小敵の(北条)氏康(うじやす)に切り崩され、合戦に敗れたものである。
医師が病気を治そうとして薬を与えたとき、医師のくふうが悪いと、その薬が毒となって人を殺すことがある。これを世間の人びとは“薬は人を殺さぬ。医者が人を殺す”というのである。
それと同じように、大将の人の使い方が悪いために、家臣の者たちが悪くなったのを、家臣の者たちの責任であると考える者があるが、晴信は、武田家代々伝えてきた御旗と楯無の鎧(よろい)とに誓って、そのようには思わぬものぞ。
家臣の大身、小身、上下にかかわらず、その善悪の行ないについては、大将が善であれば、その下の人びともすべて善となる。大将が悪であれば、その下の人びともみな悪となる。大将が正しければ家臣も正しく、かくて上下ともに正しい道をいくことによって戦(いくさ)に勝つ。戦に勝てば、それによって大将の名が四方にひびく。その名が四方にひびけば、大将の名声が高まるのである。
▽ 人を使うには、その能力を使え(『甲陽軍鑑』から)
人の使い方というものは、決して人を使うのではない。「わざ(技量・能力)」を使うのである。また政治を行なうにあたっても、「わざ」を生かすことを眼目とする。「わざ」を殺すことがないように人を使ってこそ、皆が良い気持ちで仕えてくれるのだ。
人の見方で大切なことは、まず「信念」を持たぬ者には「向上心」がない。向上心のない者は、研究心を持たない。研究心のない者は、思慮が浅い。思慮が浅い者は、必ず過言(思いあがった失言)をする。過言をする者は、必ず奢(おご)りやすく、かと思えば意気消沈する。奢ったり沈んだりする者は、言行が一貫しない。言行が一貫しない者は、必ず恥をわきまえない。恥知らずの者には、何をさせても全く役に立たないものである。
しかし、そのようなものであっても、その性質によって生かして使うことは、国持大名としての一つの慈悲である。
▽ 因言はよいが、過言はやめさせねばならない(『甲陽軍鑑』から)
よく人びとが過言(思いあがった失言)と因言(高慢なものいい)とを、同じことのように言っているが、因言とは事実を大げさにいうものであり、過言とは無いことを言いふらすものである。
したがって、武士が因言をすることは、さほど困ったことではない。因言をいうほどの武士は、たいてい自信を持っており、憎むべきではないのだ。ところが過言というのは“つくりごと”であるから、それをいう侍は、三度ものをいえば三度言うことが変わる。それは嘘をついているためであるから、必ずやめさせねばならない。
▽ したいことをするな、いやなことをせよ(『甲陽軍鑑』から)
人間は、大身、小身によらず、その身を全うする方法が一つある。・・(中略)・・人間は、ただ自分がしたいと思うことをせず、いやだと思うことをなしとげていくならば、それぞれの身分に応じて、身を全うすることができるのである。
▽ 甘柿も渋柿も、ともに役立てよ(『甲陽軍鑑』から)
渋柿の木を切って、甘柿を継ぐというのは、小身者のすることである。中以上の武士、とりわけ国持大名にあっては、渋柿は渋柿として役に立つものである。ただし、渋柿がよいからといって、継いである甘柿を、また切る必要もない。(人を使うにあたって)すべてのやり方は、このようなものである。
▽ 話を聞く態度で性質がわかる(『甲陽軍鑑』から)
子供のころから召使っている侍の資質を見分けると、大きく分けて四つのパターンがある。
あるとき、合戦の経験に富んだ者、勇気さかんな者、ひとかどの働きをする有能な者の三人の武士が寄合って、武道の雑談をしていた。この座敷に、四人の子供がいて話を聞いていたが、そのうちの一人は、ロを開き、語る者の顔ばかり見ながら、これを聞く。二人目は、耳をすまし、少しうつむいてこれを聞く。三人目は、語る人の顔を見て、少しずつ笑い、笑顔でその話を聞く。四人目は席を立って行ってしまう。このようにいろいろな反応があった。
まず最初の、ばんやりと聞いている子供は、後々までもその心がけが劣り、どれほど戦場の経験を重ねても、前後のわきまえもなく投げやりな行為をして、あと始末も自分でつけられないため、ふさわしい家来を持つこともできず、親切な友人からも変わった奴だと思われるような、頼りない男となる。
二番目の耳をすまして武芸の話をきく子供は、将来について心配はない。信虎公(信玄の父)の代から、信玄の代まで奮戦し続けてきた横田備中、原美濃守、小幡山城、多田淡路、我が代となって見出した山本勘介、また北条氏康につかえる大藤、金谷のように、武勇すぐれた侍となるであろう。
三番目の、武芸の物語を聞いて、にこにこと笑い、おもしろがる子供は、のちには必ず武勇の誉(ほまれ)ある者となるが、あまりにも才智が過ぎ傲慢(ごうまん)となって、人から憎まれる結果となる。
四番目の席を立ってしまう子供は、十中八、九、のちに臆病者となるであろう。そのうち一人、二人は、卑怯(ひきょう)とは言えぬまでも、合戦のときには人の後から行き、逃げて行く敵を討って追い頸(くび)をとっても、敵と向き合って槍で倒して頸をとったかのように自分の大手柄を言ってまわる。
そして、武勇の武士が功名をとげたと聞けば、自分の心から推測して、きっと討ち易い敵を討っただけであるのに、人のとりなしで誉めそやされているに違いないと考え、そもそも人間に、それほど大きな差はないはずであるのにと、その優れた武士をねたみ、悪口を言って歩くのである。
▽ 性格に応じて部下をより好みするな(『甲陽軍鑑』から)
国持大名が人を使うにあたって、一種類の性格の侍を好み、似たような態度、行動のものばかりを大事に召し使うことを、信玄は大いに嫌うものである。・・(中略)・・まず春にもなれば桜の色は花やかに、柳は緑とけぶるが、やがて春が過ぎれば花と柳の争いは終る。こうして夏も過ぎ、秋を迎えれば、かえでが紅葉し、夕霧、秋雨のなかに散ろうとする風情がものがなしく、歌に詠まれるのにふさわしい。しかし冬とともに、それらの色どりは何ひとつなくなり、そのときにこそ絶えず変わることのない松の緑が、その真価を表わすのである。
世間のこともそれと同様であり、ただ一つの性格だけを愛するのは、国持大名としての欠陥といわねばならない。ただし、すぐれた大将は、同じような性格の人びとをも、上手に使いこなすことはあるであろう。三と四をかければ十二、加えれば七つとは、そういうことをいうのである。
▽ 領民の心を惹(ひ)きつける
国持大名の慈悲、功徳というものは、神社仏寺に領地を献じ、出家を好遇すること。他国の城主が領地を奪われて浪人していれば、それを保護し、もとの領土を攻略して、その本領に復帰させること。小身の浪人をも養っておくこと。
他国を攻め取ったならば、その土地の領主を味方として抱え、人びとが困窮せぬようにすることなどである。このような慈悲、功徳を積むことによって、戦(いくさ)をくり返し、城を攻め落とし、あるいは国内の治安のために罪人を死刑、流刑に処するなどして積んだ罪も、消滅するのである。この意味から国持大名は慈悲、功徳というものを大切に考えるのである。(『甲陽軍鑑』から)
晴信(信玄)が弓箭(ゆみや)は、欲の為にあらず、只(ただ)、国の民を安楽ならしめんがためなりと云うことを、一度信濃の民共に知らせなば、重ねて国の民共、早く晴信が此(この)国へ軍(いくさ)を取掛て、非道の守護を誅戮(ちゅうりゃく)し、正路の沙汰を致せかし、日々夜々に思ふらん
(現代語訳)武田軍が戦うのは、領土拡張欲のためではない。ただ国民の暮らしを安らかで楽なものにするために戦うのだ、ということを一度信濃の領民に知らせれば、信濃の領民たちも早く武田軍を国内へ進撃させて、非道な守護(領主)を成敗し、正しい道理を実現してくれるに違いない、と日夜待ち望むことになるであろう。
【解説】下段に紹介したのは、武田軍が信濃平定のため、村上義清の軍勢と戦って勝利したとき、村上軍が残していった兵糧を奪い取ったことに対して、家臣を諭して述べた言葉である。独立心が旺盛な信濃の国を占領統治するにあたって、信玄は本国・甲斐の法令をそのまま適用し、治水工事や農業行政にも配慮した。こうした被統治者の立場に立った治世を実現することにより、領民たちの心をつかんだのであった。
(「武田信玄の言葉」終り)
(いえむら・かずゆき)
《日本兵法研究会主催イベントのご案内》
【家村中佐の兵法講座 −楠流兵法と武士道精神−】
演 題 第二回『「楠正成一巻之書」を読む』
日 時 平成25年4月27日(土)13時00分〜15時30分(開場12時30分)
場 所 靖国会館 2階 田安の間
参加費 一般 1,000円 会員 500円 高校生以下 無料
【第12回 軍事評論家・佐藤守の国防講座】
演題『日本を守るには何が必要か=日米”友好”と日中”嫌悪”の実態=』
日時 平成25年5月12日(日)13時00分〜15時30分(開場12時30分)
場所 靖国会館 2階 偕行の間
参加費 一般 1,000円 会員 500円 高校生以下 無料
お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp
FAX 03-3389-6278
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