【メルマガ日台共栄:第1858号】より転載
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1>> 本日、李登輝元総統名代の李雪峰・台湾高座会会長を招き「来日講演と懇親晩餐会」
すでにお伝えしましたように、本日、李登輝元総統が来日して日本李登輝友の会主催の
講演会でご講演の予定でしたが、体調が整わずに来日を中止されました。李元総統は蔡焜
燦(さい・こんさん)李登輝民主協会理事長を代理に指名されたものの、蔡理事長も体調
を崩して来日を中止。
そこで蔡理事長は李登輝民主協会の常務理事で台湾高座会会長をつとめ、春の叙勲で旭
日小綬章を受章された李雪峰(り・せっぽう)氏を代理に指名し、李登輝元総統の名代と
して李雪峰氏が講演することとなりました。度重なる変更に深くお詫び申し上げます。
ただ、それにもかかわらず200名以上が李雪峰会長の「日本と台湾・友好の絆」と題した
講演会に参加します。渡辺利夫・拓殖大学総長、田母神俊雄・元航空幕僚長、西村眞吾・
衆院議員、明石元紹・明石元二郎総督令孫など、台湾とご縁が深い方々も出席される予定
です。
また本日は、李登輝元総統と蔡焜燦理事長のメッセージが会場で披露され、講演予定だ
った李元総統の「第三の道─ワシントン・コンセンサスと北京コンセンサス以外の選択
肢」の講演草稿も配布する予定です。
李登輝元総統の名代をつとめられる李雪峰氏のことは、野口毅編著『台湾少年工と第二
の故郷』(展転社、1999年)、石川公弘著『二つの祖国を生きた台湾少年工』(並木書
房、2013年)などに出てまいりますが、下記に改めてプロフィールを紹介いたします。
なお、本日の参加申し込みは締め切っております。しかし、講演会のみでしたら少し余
裕がありますので参加できます(参加費:会員5000円、一般8000円)。会場受付に直接お
いでいただきますようお願いします。懇親晩餐会は着席料理のため、当日受付はいたして
おりません。ご了承のほどお願い申し上げます。
また取材も、講演会のみ受け付けております。取材される場合は「報道受付」においで
いただきますようお願いします。
◆日 時:平成25(2013)年5月10日(金)午後3時〜5時(受付:午後2時〜)
◆会 場:目黒雅叙園
〒153-0064 東京都目黒区下目黒1-8-1(TEL:03-3491-4111)
【交通】目黒駅(JR山手線西口、東急目黒線、地下鉄南北線・三田線)
*行人坂を下って徒歩5分
*http://www.megurogajoen.co.jp/
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李雪峰先生 プロフィール
大正15(1926)年、台湾・台北市大稲珵生まれ。台北市立商工専修学校卒業。在学中
に少年工選抜試験に合格。昭和18年9月、第4期生として高座海軍工廠に入廠し専任寮長を
務める。三菱重工業名古屋航空機製作所、川西航空機鳴尾製作所で航空機の生産に従事。
終戦後、台湾省民自治会結成を主導し台湾少年工8400名余の帰台に尽力。国場組台湾出張
所などに勤務する傍ら1982年の台北高座会結成などに尽力し1988年6月、台湾高座会の結成
と同時に会長に選出。以来、毎年、台湾高座会全国大会を開き、平成5(1993)年の来日50
年周年、同15(2003)年の来日60周年、同25(2013)年の来日70周年を記念して開かれた
日本の歓迎大会に数百名の元台湾少年工を率いて参加。平成25年4月29日、日本・台湾間の
相互交流・相互理解の促進に寄与したとして旭日小綬章を受章。李登輝民主協会常務理事
としても活躍。
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2>> 台湾の元少年工、来日70周年記念集会で再会喜ぶ
【TBSニュース:2013年5月9日】
動画:http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5328030.html
第二次世界大戦中、旧日本海軍の工場で戦闘機などを作っていた台湾の元少年工たちが
来日70周年を記念する集会を開き、仲間たちとの再会を喜びました。
集まったのは、第二次世界大戦中の1943年から44年にかけ、日本の統治下にあった台湾
から日本本土を訪れ、各地にあった旧日本海軍の工場で戦闘機の製造や整備などの仕事を
していた台湾の元少年工の人たちです。
当時、若者の労働力不足に悩んでいた日本は、航空機生産のため海軍が必要としていた
要員を台湾で募集し、8400人もの台湾の少年たちが志願して日本本土に渡りました。
「歓迎大会を催していただき、衷心よりお礼を申し上げます」(台湾高座会 李雪峰会長)
元少年工たちで作る「台湾高座会」の会長を務める李雪峰さんも名古屋の軍需工場で働
いていましたが、戦時中の厳しい生活の中で日本人の情に触れることもあったといいます。
「小さい子どもだから(服の)ほころびを繕えないということで、農家のお姉さんやおば
さんが、いらっしゃいよ坊やと言って、繕ってくれるんですよ。食料不足の中でも芋を一
つ二つくれるんですよ。それを子どもたちが非常に大事に食べて」(台湾高座会 李雪峰
会長)
元少年工たちは日本を「第二の故郷」だと話し、当時を懐かしく思い出していました。
「朝は3時間の勉強、1時間の訓練、昼は工場へ働きに行きました」(元少年工の男性)
「肝心なところはいつも“大和魂”の精神で立派にやりました」(元少年工の男性)
「もう70年になりますから、昔のことを思い出して、とても懐かしいです」(元少年工
の男性)
「今日に至っても、皆さんが日本は第二の故郷だと言ってるわけです。いずれにしても
台湾と日本の絆は切れないから」(台湾高座会 李雪峰会長)
かつては14、5歳の少年だった人たちも今、平均年齢が85歳と高齢化しています。今回が
最後の来日になるかもしれませんが、元少年工たちは日本と台湾の絆がさらに強まること
を望んでいます。