動画:http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5328030.html
第二次世界大戦中、旧日本海軍の工場で戦闘機などを作っていた台湾の元少年工たちが
来日70周年を記念する集会を開き、仲間たちとの再会を喜びました。
集まったのは、第二次世界大戦中の1943年から44年にかけ、日本の統治下にあった台湾
から日本本土を訪れ、各地にあった旧日本海軍の工場で戦闘機の製造や整備などの仕事を
していた台湾の元少年工の人たちです。
当時、若者の労働力不足に悩んでいた日本は、航空機生産のため海軍が必要としていた
要員を台湾で募集し、8400人もの台湾の少年たちが志願して日本本土に渡りました。
「歓迎大会を催していただき、衷心よりお礼を申し上げます」(台湾高座会 李雪峰会長)
元少年工たちで作る「台湾高座会」の会長を務める李雪峰さんも名古屋の軍需工場で働
いていましたが、戦時中の厳しい生活の中で日本人の情に触れることもあったといいます。
「小さい子どもだから(服の)ほころびを繕えないということで、農家のお姉さんやおば
さんが、いらっしゃいよ坊やと言って、繕ってくれるんですよ。食料不足の中でも芋を一
つ二つくれるんですよ。それを子どもたちが非常に大事に食べて」(台湾高座会 李雪峰
会長)
元少年工たちは日本を「第二の故郷」だと話し、当時を懐かしく思い出していました。
「朝は3時間の勉強、1時間の訓練、昼は工場へ働きに行きました」(元少年工の男性)
「肝心なところはいつも“大和魂”の精神で立派にやりました」(元少年工の男性)
「もう70年になりますから、昔のことを思い出して、とても懐かしいです」(元少年工
の男性)
「今日に至っても、皆さんが日本は第二の故郷だと言ってるわけです。いずれにしても
台湾と日本の絆は切れないから」(台湾高座会 李雪峰会長)
かつては14、5歳の少年だった人たちも今、平均年齢が85歳と高齢化しています。今回が
最後の来日になるかもしれませんが、元少年工たちは日本と台湾の絆がさらに強まること
を望んでいます。