2011.7.10 産経新聞
日本統治下の台湾で、日本人技師の八田與一(はった・よいち)氏(1886〜1942年)が建設した「烏山頭(うさんとう)ダム」と1万6千キロに及ぶ用水路「嘉南大●(=土へんに川)(たいしゅう)」を、世界遺産に登録しようという動きが現地で広がり、約7万8千人の署名が集まった。しかし、台湾は国連教育科学文化機関(ユネスコ)に加盟が認められていない。「人類の貴重な遺産なのに政治的な理由で登録できないのは残念だ」。専門家からは、登録に向けた日本の協力を求める声もあがっている。(西見由章)
八田氏が設計した烏山頭ダムと嘉南大●(=土へんに川)は1930年、台湾南部に完成。干魃(かんばつ)や塩害で不毛の地だった嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変え、八田氏は「台湾農業の恩人」とされる。
烏山頭ダムは貯水量約1億5千万トンで、当時としてはアジア最大級。台湾大学の甘(かん)俊二名誉教授(農業土木)は「粘土と少量のコンクリートを併用したため、生態系への影響が少ないのに頑丈」と工法の独創性を評価。「川をせき止めず渓流からトンネルで水を引く設計で、土砂が堆積しにくく、半永久的に使えるダムだ」と価値を強調する。
さらに八田氏は、貴重な水資源を生かすために灌漑(かんがい)地を3つに分け、米とサトウキビ、雑穀の栽培をローテーションする「3年輪作制」を確立。台湾では戦後、八田氏らの技術をもとに灌漑技術などを発展させた。
甘教授は今後、日本の研究者グループと協力してこうした台湾農業のノウハウをまとめ、国連食糧農業機関(FAO)を通じて東南アジア諸国などに提供する方針という。甘教授は「日本と台湾の農業技術が世界に貢献する象徴として、ダムの世界遺産登録を進めたい」と強調する。
ダムの登録運動は台湾の学者グループや実業家らが2009年に始め、これまでに約7万8千人の署名が集まった。また台湾行政院文化建設委員会が選定した世界遺産の推薦候補地18カ所にも含まれている。
だが、登録実現までには紆余曲折(うよきょくせつ)がありそうだ。台湾はユネスコに未加盟のため、世界遺産は現在1カ所も登録されていない。甘教授は「烏山頭ダムは日本がつくった遺産で、当時の文献も日本のものだ」と話し、日本と世界遺産登録に向けた協力作業を進めることに期待を寄せている。
【八田與一】石川県出身。東京帝国大を卒業後、台湾総督府内務局土木課に就職した。2年間の調査を経て1920年、烏山頭ダムの建設を開始し、10年後に完成した。42年に五島列島付近で乗船が米軍潜水艦に撃沈され死亡。外代樹(とよき)夫人は敗戦後の45年9月、烏山頭ダムに身を投げて後を追った。八田氏は台湾で中学の歴史教科書に登場し、今年5月には功績をたたえる記念公園がダム付近に完成した。