「日本人よ、もっと元気を出しなさい」
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より転載
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下記に掲げるインタビューは去る7月26日、台湾淡水の李登輝オフィスで行われたラジオ番組収録記録の余滴です。インタビュアーは宮崎正弘とマット安川。掲載箇所は殆どが宮崎の質問箇所です。
▲中国とのECFAになぜ反対するのか
――まず伺いたいのは台湾が中国と締結した貿易協定(ECFA)のことです。これは台湾が中国に飲み込まれたような印象があります。
李登輝・元総統は機関銃のごとく喋りだした。その力強さ、倫理をただよわせる語彙の選び方、エネルギッシュ。とても八十六歳とは思えない。
「ECFAはまことにヘンテコな協定で台湾に『一中市場』を受け入れさせ、台湾の主権を無視している。台湾はWTO(世界貿易機構)のメンバーですから、率直に申し上げて、わたしはこのECFAを凍結し、FTA(自由貿易協定)に移行するべきと思います」
――先日おこなわれた数万人の反対デモでも先頭に立たれましたたね?
「台湾の輸出先の40%が中国であるからと言っても中国の平均関税は以前から4%であり、新しい協定の効果はゼロ。台湾に有利な条件はないうえ、失業率は6%台となり、もっと増えそう。馬英九政権は大きな負債を残した」
日本と台湾との繋がりがいかに深いか、そして重要であるかを李登輝さんは、強調した。
「1895年 台湾割譲によって日本の統治が始まるが、すぐに国民学校の創設が始まり、教育、科学技術、体育を教わることになった。これは明治維新に匹敵することで、日本で私塾が転じてまたたくまに6000校の国民学校ができたのと同率のスピードだった。新思潮が流れ込み、台湾の近代化の礎となった。
1925年には高等学校が、1928年には台湾帝国大学が創設され、台湾人でもいけるようになった。エリートが増加し、近代的思考、法の尊重が認識された。日本の敗戦までの五十年間の統治により、台湾の近代化が実現した。
90年代、わたしが総統時代には大きな変化があった。蒋介石は台湾へやってきて一年半で「228事件」がおこり、「大陸反攻」と言っていたが、徐々に台湾政治は内戦型から国と国の関係に変化した。わたしの任務は国民党vs共産党の内戦に終止符を打つことであり、憲法の改正と台湾の民主化の実現にむけて邁進した。台湾は血を流さないで民主化が達成できた。
台湾人の自決という自覚が生まれ、新台湾建設へのエネルギーに転化されたのである。日本はこのことを過小評価するのはおかしい。
つまり台湾精神とは日本精神であり、それは何かといえば質実剛健、挑戦的、勇敢。
そして法治を尊び、責任感があり忠実であるということ。これが台湾人の主体性確保にどれほど役だったことだろうか」。
▲坂本龍馬がブームですが?
――いま、日本は坂本龍馬ブームなんですが、と水を向けると
「江戸自体の終わりに倒幕、勤王で争い龍馬が日本の将来を憂いて日本人同士が闘っている場合かと薩長同盟を結んだ。あの功績は凄い。わたしの『船中八策』は、龍馬の発想に習っていますよ」
――これからの日台関係のあり方で注意すべき点は何でしょうか?
「日台間の問題ですが、外交関係はなくとも日本人と台湾人はこころとこころの絆で繋がっており、こころの改革を呼びかけて私は李登輝学校を設立したんです。指導者の条件とは公私の区別をきちんとすること。権力を愛してはいけない。人民を愛する。
ところが日本人の心理は閉塞状態であり、米国と中国の要求に対して殆どハイハイと、ぺこぺこするというのは精神的鎖国を続けている。この心理的なファクターを除去し、中華思想の呪縛から自立する必要がありやしないか、とても心配です」。
――日本経済が元気がない。「失われた二十年」などと言われています。どうやって再建出来るか、閣下はどうご覧になっていますか?
「日本の経済は1985年のプラザ合意にさかのぼって為替レートの問題に行き着かなければ基本の誤りがわからないと思う。なぜならプラザ合意で急激な円高の結果、不動産と株式に猛烈なバブルがおきて、この方面がインフレとなり、その後の不況がえんえんと長引いているわけで、これからは日本円をどうするかという基本を考える必要があるのではないか?
じつは台湾にも同じ要求が(米国から)あったのです。一ドル=40台湾ドルを、いきなり25ドルにせよという。わたしは中央銀行総裁と財務部長と首相を呼んで会談し、対応策を協議しました。つまり外国銀行に外貨預金をさせ、政府がドルを貯め込まないと、投機の圧力は遠のく。97年アジア通貨危機のおり、マレーシアは半年間、外国の投機資金の流失を禁止した。
貨幣は金融商品となった。マネー・イズ・グッズ(通貨が商品に化けた)なのです。債務が債権にばけて売り回されている。基本的な過程とは戦後世界経済を規定したブレトンウッズ体制が変貌してゆく途次にあるとおもいます」
▲日本政治にリーダーシップを
――日本の政治にはなぜリーダーシップがないのでしょうか?
「台湾の大震災と台風被災のおり、発生直後にわたしは参謀総長に電話して軍の救助をきめ、救援資金もキャッシュで持参しました。小池百合子議員からはすぐに1500個の仮設住宅の救援申し出もありました。この緊急措置のノウハウをわたしは日本の雑誌の『VOICE』に連載しました(災害日記)。中国は四川省地震、青海省地震で明らかに、これをマニュアル化していると思います」。
わたしが不思議におもっているのはオバマ大統領が日本を訪問したとき天皇陛下と会見した折に九十度低頭して挨拶をした。あれこそは日本文化と伝統を尊重する態度そのものであり、対照的に(ごりおしで天皇に拝謁しても)お辞儀をしなかった習近平とは大きな違い。習近平(次期主席に最右翼)は日本を見くびっているのです」。
(会見は長時間にわたりましたが、本稿では雑誌掲載以外の箇所を抜粋しました)
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