黄智慧(台湾 中央研究院民族学研究所)
私は長年、台湾において台湾の日本統治時代と台湾のポストコロニアル状況につ
いて、台湾のそれぞれのエスニック集団の日本観や日本統治に対する評価、湾生の方
々の台湾に対する思いなどを聞き取り調査し、研究してまいりました。私はこの番組
にはたった二枚の写真から植民地を評価をしようという企画者側の意図があり、それ
が無謀というか、何か結論ありきのような感じがして、バランスが取れた番組とは言
えないと思います。
あの大の親日家の柯徳三さんが何か日本批判ばかりしゃべっていました。あるいは
、その部分だけNHKが取り上げたのかとも思います。また改姓名は、朝鮮のように
全員に強制されたような説明が番組ではなされていましたが、実際はそうではありま
せんでした。台湾史の研究者も朝鮮では80%を超えていた創始改名が、台湾では1943
年の段階でわずか2.6%、その後の増加を考慮しても朝鮮の割合にははるかに及ばな
いことを指摘しています(近藤正己1996『総力戦と台湾 日本植民地崩壊の研究』
刀水書房を参照)。そして何よりも、戦後生まれの台湾人の名前をみればお分かりに
なるかと思いますが、たとえば文雄、春男、千恵、美恵といった名前をよく見かけま
す。原住民族のなかでもヘイタイ、ボウヤが名前になっています。日本が去った後も
自ら子供に日本的な名前をつけているのは、なにを意味しているのでしょうか?また
つい最近4月21日に屏東来義郷パイワン族の村では日本人の銅像が新たに建てられ
ました。村で地下水ダムを作った鳥居信平の功績を称えるためです。これはなにを意
味しているのでしょうか?
番組では「日本統治がいやです」という声ばかり取り上げられていましたが、今ま
で何人もの台湾人が「私は日本精神ですよ」と言うのを聞いてきた研究者の私は、な
ぜこれだけがとりあげられたのか不思議に思いました。
最後に救いになっているのが、「台湾人を敵の手に渡した」という台詞が出てよか
ったと思います。そして、捨てられた台湾元日本兵の思いも伝えてくれました。しか
し、これは明らかに戦後の日本政府に対して発した不満であって、戦前の日本政府に
対して発したものではありません。番組は戦前の日本政府の反省を視聴者に促すがた
めに、元日本兵が教育勅語をいまでも暗誦し、軍歌をいまでも歌い続けていることが
いかにも可笑しいあるいはいかにも「戦前の日本政府のせいだ」と映し出さんばかり
で、肝心な「殖民後」の日本政府の態度、つまり「アジアの一等国」の後ろ姿にまっ
たく触れようとしないのが真に残念でした。
戦後日本の思想界が戦前を強く批判し、猛省をしている姿勢はよく理解できます。
だが、私たち台湾にいるひとびとからみれば、それは日本の国内事情です。またその
ためには、植民地の過去とその後、今や異国となって久しい土地の歴史を勉強しよう
ともせず、とにかく現地のひとびとの声を利用するのがてっとり早いという発想はい
かがなものでしょうか。このような日本の戦後反省は「自己満足型」の反省であり、
果たしてこれでいいのでしょうか。旧植民地にいた台湾人の「あの戦争」についての
反省は、独自の角度があり、またあってしかるべきです。それは最初から動機、役割
、責任分担も違うし、なぜ日本人と同じように反省をさせられなければならないのか
、これについては日本の戦後の思想界が考えたこともなく、実際、無関心なのです。
そして、現実に、台湾人の声は戦後やってきた中華民国の体制によって長きに亘
り抑えられてきました。外省人のもたらした「抗日」の日本観しか表に出すことがで
きませんでした。やっと1987年戒厳令が解除されたのち、台湾の元殖民される側
の声が、怒涛のように自伝や短歌、回想録などとなって出回るようになりました。そ
れは私たち日本語世代の次世代である子孫たちでさえも猛勉強することによってはじ
めて理解できるものです。
台湾人が日本統治時代について語る場合、つねに彼らが戦後経験した国民党独裁政
治あるいはもうひとつの殖民統治と比較をして語ります。良し悪しというものは、比
較できたからこそ、ある程度の客観性がもてるのです。これはポストコロニアル期の
台湾被植民者の「民衆の比較政治学」と私はみていますが、台湾人の日本統治に対す
る評価は、戦後彼らが国民党政権の下でどのような経験をしたのかをきちんと理解し
ない限り、彼らの声を正しく報道することができないと思います。また一言で日本統
治と言っても台湾では半世紀に及び、統治初期は幾つも武装的抗日運動が起こったと
はいえ、台湾総督府もさまざまな試行錯誤を重ね、台湾の「殖民される側」と弁証的
な競合関係にあって、あの時代を歩んでいきました。いうもでもなく第二次世界大戦
では台湾人も日本国民として、運命を共にしました。このような時期によって、また
違った統治策によって、台湾のひとびとの反応も大きく違いがみられる歴史を、日本
統治時代として大雑把にまとめて述べることは、やはり事実を誤解して認識し、放送
することになります。
台湾では、ようやくいままで外省人によって「代行」されていた日本観がすでに
解放された状態になった今日ですが、また今度、NHK放送によってその声が抑えられ
るとは、呆れてしまいました。私の知っている日本の学界では、台湾の戒厳令解除に
つれて、この20年すでに優れた台湾統治史の研究成果がたくさん出ています。台湾
を専門としていないフランス学者の説をわざわざ取り上げる必要もありません。そし
て台湾にいる私がもっとも憂慮すべきだと思っているのは、NHK放送を信用してみて
いる日本の方々が、台湾のひとびとの心情とますます遠ざかっていくことです。
現実問題として日本と中華民国が国交を断絶してやがて40年になります。日本は
中華民国政権の代わりに、中華人民共和国と国交を結びました。そのため、過去50
年間「帝国臣民」として統治された台湾のひとびとがたいへん不利な状況に置かれて
いることを、戦後生まれの日本の方はあまり知らないと思います。日本とこの二つの
中国の間との恩讐関係は、もと植民地の人々との関係とは全く性質の違うものです。
にもかかわらず、それを見極める能力もなく、実際に台湾のひとびとの国際社会での
利益を犠牲に回したことが、何の罪もない台湾のひとびとが戦後日本の「捨てたきり
」ぶりを批判している理由です。
このような厳しい国際状況のなかで、次世代の台湾のひとびとが如何に日本とふた
たび付き合えるのか、私は台湾の日本語世代の出した声にとても重要なメッセージが
含まれていると思います。プラスもマイナスもそれなりに彼らの心の整理が付いてい
ます。問題はこちらが聞く耳をもっているかどうかです。日本語世代が終わろうとし
ている今日は、その声が遺言みたいなものにも聞こえます。聞き逃したら再び聞くこ
とのできない遺言ですが、耳を澄ましてきちんと聞いてあげることがせめての慰めだ
と思います。その重さを、残念ながら今回のNHK放送側は理解していないと思います
。