まず台湾の日本語世代や湾生(台湾に生まれ育った日本人)へのインタビューは予想され
た。
それとともに、日本統治時代や日本語世代の研究なら台湾の第一人者と目されているの
は中央研究院民族学研究所の黄智慧氏であり、また『認識台湾・歴史編』の編者で、その
発行に深くかかわった台湾史研究で著名な呉文星・国立台湾師範大学教授、あるいは『台
湾史小事典』を監修した台湾大学歴史学部の呉密察教授などの名前が浮かんだ。
ところが、これらの名前はエンドロールに出てくる「資料提供」一覧にも出てこなかっ
た。その点からしても、このNHK取材の底の浅さ、あるいは取材の意図が奈辺にあるか
が分かろうというものだ。
特に黄智慧氏がもしこのNHK「JAPANデビュー」をご覧になっていたら、どうい
う感想を抱くのかぜひ伺ってみたいと思っていたところ、メールマガジン「台湾の声」に
その感想が掲載された。さすがに鋭い。
NHKはこの日本ご世代研究第一人者のメッセージに何と答えるのだろうか。抗議の嵐
が過ぎ去るまで頭を隠していようという態度は許されない。 (編集部)
【5月10日 メールマガジン「台湾の声」】
日本の戦後反省は「自己満足型」
黄 智慧(台湾・中央研究院民族学研究所)
私は長年、台湾において台湾の日本統治時代と台湾のポストコロニアル状況について、
台湾のそれぞれのエスニック集団の日本観や日本統治に対する評価、湾生の方々の台湾に
対する思いなどを聞き取り調査し、研究してまいりました。
私はこの番組にはたった二枚の写真から植民地を評価をしようという企画者側の意図が
あり、それが無謀というか、何か結論ありきのような感じがして、バランスが取れた番組
とは言えないと思います。
あの大の親日家の柯徳三さんが何か日本批判ばかりしゃべっていました。あるいは、そ
の部分だけNHKが取り上げたのかとも思います。
また改姓名は、朝鮮のように全員に強制されたような説明が番組ではなされていました
が、実際はそうではありませんでした。台湾史の研究者も朝鮮では80%を超えていた創始
改名が、台湾では1943年の段階でわずか2.6%、その後の増加を考慮しても朝鮮の割合に
ははるかに及ばないことを指摘しています(近藤正己1996『総力戦と台湾 日本植民地崩
壊の研究』刀水書房を参照)。
そして何よりも、戦後生まれの台湾人の名前をみればお分かりになるかと思いますが、
たとえば文雄、春男、千恵、美恵といった名前をよく見かけます。原住民族のなかでもヘ
イタイ、ボウヤが名前になっています。日本が去った後も自ら子供に日本的な名前をつけ
ているのは、なにを意味しているのでしょうか?
またつい最近4月21日に屏東来義郷パイワン族の村では日本人の銅像が新たに建てられま
した。村で地下水ダムを作った鳥居信平(とりい・のぶへい)の功績を称えるためです。
これはなにを意味しているのでしょうか?
番組では「日本統治がいやです」という声ばかり取り上げられていましたが、今まで何
人もの台湾人が「私は日本精神ですよ」と言うのを聞いてきた研究者の私は、なぜこれだ
けがとりあげられたのか不思議に思いました。
最後に救いになっているのが、「台湾人を敵の手に渡した」という台詞が出てよかった
と思います。そして、捨てられた台湾元日本兵の思いも伝えてくれました。しかし、これ
は明らかに戦後の日本政府に対して発した不満であって、戦前の日本政府に対して発した
ものではありません。番組は戦前の日本政府の反省を視聴者に促すがために、元日本兵が
教育勅語をいまでも暗誦し、軍歌をいまでも歌い続けていることがいかにも可笑しいある
いはいかにも「戦前の日本政府のせいだ」と映し出さんばかりで、肝心な「殖民後」の日
本政府の態度、つまり「アジアの一等国」の後ろ姿にまったく触れようとしないのが真に
残念でした。
戦後日本の思想界が戦前を強く批判し、猛省をしている姿勢はよく理解できます。だが、
私たち台湾にいるひとびとからみれば、それは日本の国内事情です。またそのためには、
植民地の過去とその後、今や異国となって久しい土地の歴史を勉強しようともせず、とに
かく現地のひとびとの声を利用するのがてっとり早いという発想はいかがなものでしょう
か。このような日本の戦後反省は「自己満足型」の反省であり、果たしてこれでいいので
しょうか。旧植民地にいた台湾人の「あの戦争」についての反省は、独自の角度があり、
またあってしかるべきです。それは最初から動機、役割、責任分担も違うし、なぜ日本人
と同じように反省をさせられなければならないのか、これについては日本の戦後の思想界
が考えたこともなく、実際、無関心なのです。
そして、現実に、台湾人の声は戦後やってきた中華民国の体制によって長きに亘り抑え
られてきました。外省人のもたらした「抗日」の日本観しか表に出すことができませんで
した。やっと1987年戒厳令が解除されたのち、台湾の元殖民される側の声が、怒涛のよう
に自伝や短歌、回想録などとなって出回るようになりました。それは私たち日本語世代の
次世代である子孫たちでさえも猛勉強することによってはじめて理解できるものです。
台湾人が日本統治時代について語る場合、つねに彼らが戦後経験した国民党独裁政治あ
るいはもうひとつの殖民統治と比較をして語ります。良し悪しというものは、比較できた
からこそ、ある程度の客観性がもてるのです。
これはポストコロニアル期の台湾被植民者の「民衆の比較政治学」と私はみていますが、
台湾人の日本統治に対する評価は、戦後彼らが国民党政権の下でどのような経験をしたの
かをきちんと理解しない限り、彼らの声を正しく報道することができないと思います。
また一言で日本統治と言っても台湾では半世紀に及び、統治初期は幾つも武装的抗日運
動が起こったとはいえ、台湾総督府もさまざまな試行錯誤を重ね、台湾の「殖民される側」
と弁証的な競合関係にあって、あの時代を歩んでいきました。いうもでもなく第二次世界
大戦では台湾人も日本国民として、運命を共にしました。
このような時期によって、また違った統治策によって、台湾のひとびとの反応も大きく
違いがみられる歴史を、日本統治時代として大雑把にまとめて述べることは、やはり事実
を誤解して認識し、放送することになります。
台湾では、ようやくいままで外省人によって「代行」されていた日本観がすでに解放さ
れた状態になった今日ですが、また今度、NHK放送によってその声が抑えられるとは、
呆れてしまいました。私の知っている日本の学界では、台湾の戒厳令解除につれて、この
20年すでに優れた台湾統治史の研究成果がたくさん出ています。台湾を専門としていない
フランス学者の説をわざわざ取り上げる必要もありません。そして台湾にいる私がもっと
も憂慮すべきだと思っているのは、NHK放送を信用してみている日本の方々が、台湾の
ひとびとの心情とますます遠ざかっていくことです。
現実問題として日本と中華民国が国交を断絶してやがて40年になります。日本は中華民
国政権の代わりに、中華人民共和国と国交を結びました。そのため、過去50年間「帝国臣
民」として統治された台湾のひとびとがたいへん不利な状況に置かれていることを、戦後
生まれの日本の方はあまり知らないと思います。日本とこの二つの中国の間との恩讐関係
は、もと植民地の人々との関係とは全く性質の違うものです。
にもかかわらず、それを見極める能力もなく、実際に台湾のひとびとの国際社会での利
益を犠牲に回したことが、何の罪もない台湾のひとびとが戦後日本の「捨てたきり」ぶり
を批判している理由です。
このような厳しい国際状況のなかで、次世代の台湾のひとびとが如何に日本とふたたび
付き合えるのか、私は台湾の日本語世代の出した声にとても重要なメッセージが含まれて
いると思います。プラスもマイナスもそれなりに彼らの心の整理が付いています。問題は
こちらが聞く耳をもっているかどうかです。日本語世代が終わろうとしている今日は、そ
の声が遺言みたいなものにも聞こえます。聞き逃したら再び聞くことのできない遺言です
が、耳を澄ましてきちんと聞いてあげることがせめての慰めだと思います。その重さを、
残念ながら今回のNHK放送側は理解していないと思います。
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