横浜「シネマ・ジャック&ベティ」で今日まで「台湾電影週間」

「緑の海平線〜台湾少年工の物語」などを上映

 10月25日から31日まで、横浜中区の「シネマ・ジャック&ベティ」で「台湾電影週間」
が開かれていて、「非情城市」「ミレニアム・マンボ」「緑の海平線〜台湾少年工の物
語」などを上映している。

 昨日の読売新聞に、「緑の海平線〜台湾少年工の物語」に出演した、台湾少年工出身
で本会会員の呉春生さんが「少年工の本当の姿を知ってほしい」と呼びかけている。

 なお、来る11月13日にかつての台湾少年工たちの集まりである「台湾高座台日交流協
会」(李雪峰会長、略称:台湾高座会)の主催により、第21回台湾高座会大会が台湾・
高雄市で開かれる。                          (編集部)

■シネマ・ジャック&ベティ
 〒231-0056 神奈川県横浜市中区若葉町 3−51
 TEL:045-243-9800/FAX:045-252-0827
 http://www.jackandbetty.net/


元台湾少年工 映画で証言 「本当の姿を知って」
【10月30日 読売新聞】

 第2次世界大戦中、座間、海老名市にあった軍需工場「高座海軍工廠(しょう)」で働
いていた元台湾少年工の証言を記録した映画「緑の海平線〜台湾少年工の物語」(郭亮
吟監督)が31日まで、「シネマ・ジャック&ベティ」(横浜市中区)で上映されている。
元少年工の生き残りとして映画に出演した大和市在住の呉春生さん(79)は、「少年工
の本当の姿を知ってほしい」と呼びかけている。

 呉さんは、1944年、台湾少年工の第6期工として、高座海軍工廠にやってきた。「台
湾は貧しく、勉強ができなかった。働きながら勉強でき、なおかつ国のためになると思
った」と当時を振り返る。

 同工廠には、台湾から来た約8000人の少年工が働いていた。戦闘機の大量生産の必要
に迫られた日本が、労働力不足を補うため、当時、日本の統治下にあった台湾の優秀な
少年を1943年から7回に分けて動員。少年工は、大和市上草柳にあった寄宿舎で暮
らしながら、戦闘機「雷電」などを生産していた。

 「緑の海平線」は、同市在住の映画プロデューサーで慶応大講師の藤田修平さん(35)
らが2006年に製作。今年5月に大分県で開かれた「ゆふいん文化・記録映画祭」で優秀
作に与えられる「松川賞」に入選した。地元・神奈川で上映されるのは今回が初めてだ。

 4年がかりで撮影された映画は、歴史に埋もれていた台湾少年工に光を当て、貴重な
同工廠の写真や映像、元少年工のインタビューを紹介、彼らが戦後をどう生きたかを描
いている。

 15歳だった呉さんは台湾の国民学校高等科で級長を務めた。「みんな選ばれた人間と
いう意識を持ち、誇り高く、張り切っていた」と回想する。

 すでに日本は敗色濃厚。呉さんは、同工廠に1か月いただけで群馬県の工場に派遣さ
れ、1年後、同工廠に戻って終戦を迎えた。

 呉さんは終戦後、日本に残り、外交官を夢みて、働きながら勉強を続け、中央大学に
入学。だが、日本国籍がないため、卒業後もすぐには職につけず、25歳で横浜市瀬谷区
にある米軍・上瀬谷通信施設の法律顧問としての職を見つけ、70歳になるまで働いた。

 19722年の日中共同声明では日本と台湾の国交が断絶。「裏切られた思いだった」と
いう呉さん。「自分たちは向上心を持ち、将来を夢みて日本にやってきた。決して無理
やり連れてこられたわけではない」。歴史に翻弄(ほんろう)された元少年工は静かに語
った。