戦前の日本統治下の台湾で生まれ育った「湾生」といわれる日本人たちが、日本に引揚げてから見つめ続けてきた「心の故郷」台湾、そして祖国日本。台湾と日本をつなぐ深い絆が「時代の証言者」としての湾生たちを通して見えてきます。
林監督がなぜ台湾、また湾生たちに魅かれるのかを縦軸に映画「心の故郷」を紹介した記事をご紹介します。
◆シネマジャック&ベティ 神奈川県横浜市中区若葉町3-51 TEL:045-243-9800 【交通】京浜急行「黄金町」駅5分 市営地下鉄「阪東橋」駅7分 JR「関内」駅北口15分 *最寄りのバス停「横浜橋」 http://www.jackandbetty.net/
◇ ◇ ◇
台湾生まれの日本人、「湾生」のドキュメンタリー映画 林雅行監督「心の故郷」【日本経済新聞:2018年7月24日】https://style.nikkei.com/article/DGXMZO33106060Y8A710C1000000?channel=DF280120166618
湾生。日本が台湾を統治していた1895〜1945年、台湾で生まれ育った日本人を意味する言葉を林雅行監督の映画「心の故郷〜ある湾生の歩んできた道〜」(2018年、クリエイティブ21)で初めて知った。林監督は戦争の時代に生きた「普通の人々」の姿を後世に伝えようと、テレビ番組からドキュメンタリー映画の制作へと進んで台湾に傾倒。「心の故郷」がシリーズ5作目で、近く6作目の「湾生いきものがたり」の公開も控えている。
舞台は台北から南に列車で2時間の海沿いの街、蘇澳(すおう)。現在は貴重な観光資源となった冷泉を発見、開発した竹中信景の孫に当たるピアノ教師の竹中信子、南方澳の港湾と市場の整備に当たった武石俊清の次男である元警察官の武石道男の湾生2人が生家の一帯を訪ねる場面で、映画は始まる。ともに80歳代後半となった2人は、自らを「絶滅危惧種」と呼ぶように、湾生として最後の世代に当たる。林が急ピッチで映像を制作する背景にも、「時間との闘い」という切実な思いがある。
53年(昭和28年)に名古屋で生まれた林は「明治生まれの祖父母から昔の色々な話を聞くのが好きで、歴史への興味が芽生えた」という。両親は昭和の初めの生まれ。父は従軍経験があり、母は中国の青島からの引き揚げ者だった。さらに「小学生の終わりか中学生の初めに見た原爆展に衝撃を受け、戦争の時代の日本史を考えるようになった」。大学を出てテレビ局、番組制作会社を経て95年にクリエイティブ21を設立、テレビのドキュメンタリー番組を手がけながら、2004年にドキュメンタリー映画の自主企画を始めた。最初の作品は「友の碑−白梅学徒隊の沖縄戦」。有名なひめゆり学徒隊の陰に隠れているが、同じように悲惨な体験をした白梅の関係者に取材するうち、林は「話す表情がだんだん変化して記憶も鮮明によみがえる実態」を目の当たりにした。「これは活字ではなく映像だ。しかもテレビの1分以内のカット割りを超え、映画の長さでじっくり感情移入をしてもらいたい」との考えに至った。
林は沖縄での撮影中、もう一つの事実に気付く。「私たちは本土の人より台湾の人の方に親近感がある」。沖縄の人々の言葉がきっかけで台湾に目を向け、のめり込んだ。
映画では竹中、武石をはじめ20人以上の湾生と、幼なじみの台湾人10人がじっくり、万感の思いを込めて当時の暮らしぶりや交遊を振り返る。全員が80〜90歳代の高齢だが、表情はすがすがしく、林の指摘するように語れば語るほど、精彩を放つ。様々な角度からの証言を通じて、日本統治時代末期の台湾社会の状況が次第に浮き彫りにされていく。
ナレーションは27年8月生まれの湾生で戦後は実兄と琉球放送の設立に携わったプロのアナウンサー、川平朝清が担当。タレントのジョン・カビラ、川平慈英の兄弟の父親だ。「旧満州(現中国東北部)やシベリアからの帰還者に比べ、台湾からの引き揚げ者の写真資料は極端に少ない」との理由で、随所に挿入されるイラストは漫画家、森田挙次の書き下ろし。「ロボタン」「丸出だめ夫」などギャグ漫画の大家の森田は赤塚不二夫、ちばてつやら中国からの引き揚げを体験した漫画家のグループ「私の八月十五日の会」に加わってきた。老いた人々の語りに寄り添い、決してうるさくならない音楽を提供したのは東京出身で台湾系華僑3世のハープ奏者、彩愛玲。多彩な世代、背景の才能が集まって、「心の故郷」を支えている。
「心の故郷」の全国巡演と並行して封切られる最新作、「湾生いきものがたり」は「移民、家庭がキーワード。インタビューの基本は変わらないが、アプローチは異なる。『なぜ湾生の作品ばかり?』と尋ねられても、コレコレシカジカという答えがいまだに見つけられない」と、林は打ち明ける。答えが見つからないこそ撮り続ける、ドキュメンタリー監督の執念。「20〜30歳代にも面白く、関心を持たれるような作品でありたい」との願いは、画面の端々から伝わってくる。見る者にも優しい映画である。(敬称略)
(NIKKEI STYLE編集部 池田卓夫)