ています。その中からご紹介しています。
今回は、台湾の友人の方から義捐金を送っていただくことになった千葉県の鴨野悦也さ
んと、台湾李登輝学校研修団で団長を務められた三重県の服部香苗さんからのお便りをご
紹介します。服部さんからのお便りはかなり長く、読みやすくするため編集部で中見出し
を付していることをお断りします。
本誌ではできるだけ多くのメッセージをご紹介してまいりたいと思っています。激励や
お見舞いのメッセージをお寄せいただければ幸いです。
■ 日本李登輝友の会メールアドレス
E-mail:info@ritouki.jp
● 台湾の友人たちから義捐金 千葉・鴨野 悦也
2月23日、台湾の友人5名が来日し、交流を深めました。その友人たちが今回の東北大震
災に義捐金を送ってきます。総額は10万NT$(約28万円)にもなります。
今回の震災を自分のことのように心配し、復旧を願っております。こんな素晴らしい隣
人がおることを広くお伝え下さい。心温まるお話です。心から感謝しております。
・台北:黄 創建(2万)、李 錦文(1万)、!) 欽陽(1万)
・台中:陳 文豪(2万)、周 文通(1万)、董 宥澤(1万)
・高雄:張 風桔(1万)、白 豪仁(1万)
なお、この義捐金は、被災地の宮城県女川町の復旧に使われます。(3月21日)
● 東日本大震災と台湾李登輝学校研修団 三重県四日市市・服部 香苗
平成23年3月11日午後2時46分頃、東北関東地方で三陸沖を震源とするマグニチュード9.0
という未曾有の巨大地震が発生した。当地でも立ち眩みか、船酔いかと錯覚するような揺
れを感じた。
直後のテレビ・ラジオで中継される家屋の倒壊、地割れ、津波、原子力発電所等の被害
状況には言葉もなく唖然とさせられた。時間の経過とともに、報道される状況は筆舌に尽
くし難い惨状で、焦燥にかられた。
このたびの大震災は死者、行方不明者を合わせると2万人を超えると予想されている。た
だただ犠牲者に対しては深く哀悼の意を表す以外小生にできることはなく、慙愧にたえな
い次第である。
■ 李登輝先生の「今を肯定して生きよ」の言葉
ふと我に帰った時、頭に浮かんだのは昨年の「第13回台湾李登輝学校研修団での李登輝
先生の言葉」だった。李登輝先生が小生の質問に対して、「肯定」することが大切だと答
えられた。
つまり、いま自分が置かれている状況を「否定」していたのでは決して前向きに物事を
とらえることはできない。「肯定」(今を善しとして)して、これからをいかにするかと考
えることが大切だ、と答えられた。
これは私事だが、昨年9月、妻がバイクで外出中、交通信号を無視した軽乗用車にはねら
れ腰椎損傷・大腿部裂傷、そして45日間の入院と全治約半年の負傷をした。通報により現
場に駆け付け、加害者とも対面し憤りを覚えたが、その時も李登輝先生の言葉が頭を過っ
た。
家内の負傷は素人目に見ても決して軽傷とは感じられなかったが、幸い意識ははっきり
し命にも別状はなかった。「嗚呼、これも不幸中の幸いか。もし、数秒間あるいは0.何秒
かタイミングがずれていたら、命が……」。そのように思ったとき、加害者に罵声を浴び
せられなくなった。
このような心境の中でこの大震災に思うことは、四季を彩る山や森、四海に囲まれ自然
の恵みを存分に受けている日本。普段は「これが当り前」と甘受して来たことを改めて感
じた次第。
そこで、李登輝先生もこの大震災に際し日本の人々は「自然を畏敬する」だけでなく、
前向きに自信を持って復興に専念するよう激励の言葉を発しておられるが、小生は李登輝
先生の肉声で回答をいただいた「今を肯定して生きよ」の言葉が脳裏から離れない。
■ いざというときの日本人の心根
福島原発事故処理に当たり、放射能汚染の脅威に怯むことなく、身を挺して作業に従事
されている自衛隊員、消防隊員、東京電力の関係社員、その他の関係各位、そしてこの
方々の私利私欲を排して見守るご家族の方々の気概には、頭を下げる以外に手立てを見つ
けることはできない。また、犠牲となられた家族、親族、知人、友人を持ち、さらに行方
不明の関係者を自力で懸命に捜しておられる方々に慰めの言葉が見つからない。
2〜3日前のテレビ報道で、自宅を津波で流された壊滅状態の中、必死に整理作業をされ
ている方があった。その方は元自衛官で、予備自衛官として復旧作業に従事するため、瓦
礫の中で自衛隊からの召集を受けておられた。その方は「自宅はこのように被害を受けて
いますが、お役に立てるなら」と令状を受け取られた。そして、その傍らでこの様子を見ていたお母さんは「本音は行って欲しくないが、皆さんの助けになるなら立派に仕事をし
て来て欲しい」と。このシーンには絶句した。
小生、昭和15年生れで、父は戦災で焼け野原となった後、昭和20年7月に召集令状を受け
て出征した。結果的には終戦までの2ヶ月足らずの軍隊生活で無事帰還したが、わずか5歳
だった時の自分を思い出した。
70歳を超えた今も、幼いながら当時のこのようなことを強烈に記憶している。焼け野原
と化した住まいや戦死した父を持つ友達も数多くいるし、街頭で募金をする傷病帰還兵の
姿も記憶にあり、食料難、物資の不足、住宅難等々、どこを・どちらを向いても物のない
時代を記憶している。決して戦争はするものではない。庶民が苦しむ戦争がこの世からな
くなることを切望している。
だから、前述の予備自衛官母子、自衛隊、消防隊、東電関係社員、各地で復旧作業に従
事される方々及びそのご家族の心情と戦争を決して結びつけるものではないが、李登輝先
生がいつもおっしゃる「公に準ずる」精神が今も多くあり、最近、個人主義(利己主義の
方が適切か)が蔓延する日本人を憂いがちだが、いざというときの日本人の心根を見せら
れた。
外国の人から見れば、このような「滅私奉公」的な考えは理解できないことかもしれな
いが、李登輝先生の座右の銘とされる「誠実自然」(小生の解釈:代償を求める事無く誠を
尽くす)や「我是不是我的我」(私は私でない私)に通じると痛感し、台湾総統として台
湾の民主化に邁進されたことに思いを致し、いまさらながら感服する次第である。
■ 日本の将来を国民全体が考え直す千載一遇の好機
いまの被災地の惨状に思いを馳せ感じることは、李登輝先生のご教示の通り、自然に対
する畏敬の念を持ちつつ、戦後の経済至上主義から脱却し、自然との調和、人間のあり方
(教育、倫理)、日本の国としてのあり方(外交、安全保障・防衛、経済、福祉、環境、
世界の平和安定への寄与等)について、いま一度、日本の将来を国民全体が考え直す千載
一遇の好機であり、このことが尊い命を亡くされた方々への鎮魂ではないかと思う。
■ 低い日本人の対台湾意識
平成23年3月20日付の「中日新聞」朝刊に、次のような記事が掲載されていた。
「【台北発・迫田勝敏】18日、台湾のチャリティ番組で放送中に台湾元で7億8,800万元
(日本円=21億5,000万円)、また前日のチャリティ番組では1億1,400万元(3億1,350万
円)が集り、その中に個人で1億3,750万円を出した人もいた」
台湾の人々の熱情にはただただ頭が下がるのみ。小生も過去、幾度台湾に行ったか定か
でないが、今だかつて「嫌な思い」をした経験がない。
道を尋ねれば自分の時間を割き遠回りをしてでも案内をしてくれたり、乗り物に乗れば
若者に席を譲ってもらい、昨年も屏東の「池上文庫」立ち寄った時には館長さんからお弁
当をご馳走になったり、その他数え切れない親切な心根を見せてもらっている。
しかし、交流協会台北事務所は義捐金や支援物資を謝絶したとのこと。謝絶している理
由は小生にはわからないが、ここで思うのは、義捐金や支援物資の多少は論外のこと、も
し台湾が「国」であれば日本の外務省はどのように対応したのだろうか、ということだ。
今も台湾は国家として国際社会から認められていないが、このチャリティ記事を目した
良識ある日本人ならどのように感じるのだろうか。その他の国々も、物心両面から援助し
ていることに感謝しつつも、決して比較するものではないが、客観的に日本人の対台湾意
識が低調なのは甚だ残念である。戦後政府の歴史認識と外交姿勢を問い質したい。
台湾が独立するのか否かは台湾の人々の決定することであるが(小生、台湾は戦後の諸々
の経緯はどうあれ、立派な独立国と認識している)、日本政府も民主国家であれば、台湾の
人々の意思を尊重し、他国の干渉に囚われることなく支援すべきと考える。
■ 復興や改革の気概を世界に知らしめる絶好の機会
この震災に対して日本及び日本人は、外交・防衛等も含め、一致団結して復興や改革の
気概を国際的に示し、また知らしめる絶好の機会と思う。
関東大震災後の復興に尽力した「大風呂敷」と言われた後藤新平氏のような強力な政治
指導者がいない今、現政権は自民党や公明党に入閣を要請するも簡単に拒否されている。
ここは「国難」と認識し、一致団結して被害者の救済、復興に立ち上がらなければなら
ないにもかかわらず、近未来の展望も描けず、短絡的な党利党略、私利私欲に駆られる政
権に全面的に頼ることなく、1人ひとりの国民の底力で政府を突き上げ、明るい日本の将来
を築くことが、災害の犠牲者への鎮魂と被災した人々への励まし、復旧に携わる人々への
慰問と慰労、そして経済ばかりでなく平和と安穏が約束される日本国になればと切に願う
ものである。
何の応援もできない自分のもどかしさを痛感しつつ、台湾李登輝学校研修団における諸
講師の外交・防衛・歴史・文化・経済等の講義を参考にし、そして「李登輝先生」の日本
人以上の日本人としての日本の伝統、文化、日本人精神の崇高性と、さらなる発展を切望
される慈悲に対して感謝を申し上げる次第である。
このような意見を持ちながら、どこまで自分が日本人として再研鑚できるか全く自信は