学旅行を実施する。年々、修学旅行先を台湾にする高校が増えているというが、熊本県下
の公立高校では初めてだという。
去る9月16日、校長の白濱裕(しらはま・ひろし)氏は熊本ロータリークラブに招かれ、
なぜ修学旅行先に台湾を選んだのか、台湾ではどういうことを行うのかなどについて話さ
れた。
一昨年9月、来日された李登輝元総統は東京と高知に立ち寄られた後、4日夕刻に熊本を
訪問された。翌5日には六士先生の一人で、当時、最年少だった平井数馬(ひらい・かずま)
の墓所にお参りされ、熊本城も見学。夜には熊本市内で講演会された。その会場に白濱校
長も参加していた。
李元総統はそのとき、日本と台湾の100年にわたる交流史について話されたが、白濱校長
はいたく感激したという。生徒たちにぜひ李元総統のお話を聞かせたいと思ったという。
今回の修学旅行では残念ながら李元総統の講演は実現できないようだが、この熊本県の
公立高校として初の台湾修学旅行を実現するまでには様々な難関を突破しなければならな
かったという。
やはり、教科書ではほとんど台湾のことを扱っていないため、生徒たちに台湾に関する
知識がほとんどない。そこで、映画「パッテンライ」を上映するなど、基礎の基礎からや
り始めたそうだ。
生徒はもちろん親御さんたちにも台湾に対する認識を深めてもらおうと、10月には金美
齢さんを招いて講演会を開いている。本誌でも、生徒たちの感想の一端を紹介したが、「日
本に誇りを持ちたい」「台湾のことが大好きになった」など、とても素直な感想が多い(本
誌10月24日発行「熊本県の大津高校が台湾への初修学旅行を前に金美齢さんを招いて講演
会」参照)。
大津高校の台湾修学旅行まで2週間となった。大津高校では現在、台湾出身の先生を招い
て簡単な日常会話の講座を行っていて、生徒たちも興味深く受講しているという。
下記に熊本ロータリークラブにおける卓話をご紹介したい。また、大津高校のホームペ
ージでは、白濱校長が大津高校の紹介とともにこの台湾修学旅行についても説明している
動画を掲載しているので併せてご紹介したい。
◆大津高校・学校概要「白濱校長挨拶」
http://www.higo.ed.jp/sh/oozuhs/gaiyou/index.html
◆熊本県の大津高校が台湾への初修学旅行を前に金美齢さんを招いて講演会[2011/10/24] http://melma.com/backnumber_100557_5320852/
白濱 裕(しらはま・ひろし) 昭和27年、熊本県生まれ。59歳。済々黌(せいせいこう)
高校、熊本大学法学部卒。済々黌高校教頭、小国(おぐに)高校校長を経て現職。熊本県
高等学校教育研究会会長、「NIE(教育に新聞を)ネットワーク熊本」代表、今年7月ま
で熊本県社会教育委員をつとめる。共著に『高等学校「総合的な学習」実践ガイド』(小
学館)、『戦後世代からの発言』など。
先人に学ぶ日台友好の絆─台湾修学旅行を通して
熊本県立大津高等学校校長 白濱 裕
本日は、県下のトップリーダーの皆様の前で、一高校の学校経営の一端を申し述べさせ
て頂く機会を得ましたことを光栄に存じます。
大津高校は、旧制大津中学を前身とし、来年度90周年を迎える1学年320名を数える大規
模校です。学校目標に「文武両道日本一」、「凡事徹底」を掲げ、当たり前のことを当た
り前に努力する、文武に秀でた「サムライ」の育成に努めているところです。
さて、本校では、今年12月7日〜10日に、従来のスキーを中心とした修学旅行を変更し、
県立高校で学年単位では初めての台湾への修学旅行を計画しています。そこで、本日は、
台湾修学旅行を実施するに至った趣旨と旅行の概要について述べさせて頂きます。
最近よく、日本の若者の「内向き志向」が指摘され、企業でも海外赴任を敬遠する風潮
があると聞いています。国際化が進展するこれからのグローバル社会において、日本が生
き延びていくためには、若者が国際感覚を磨き、臆することなく外国人と渡りあう能力を
身につけることが喫緊の課題であるとかねて痛感しています。そこで、校長職を拝命して
以来、すべての生徒にとにかくパスポートを取らせ、税関を一歩出て外国の空気を吸わせ
たいと思ってきました。
「なぜ台湾か?」ということですが、まず、台湾は親日的で治安も良く、また、日本統
治時代に作られた建物や遺跡が大切に保存されており、それらを訪ねることにより戦前か
ら連続した歴史を学習し体験できる。また、バシー海峡や台湾海峡は日本の安全保障上の
死命を制するシーレーンであり、生徒に地政学的な国際認識を持たせる意味でも有益であ
る。その他、12月の台湾は気候も温暖で、旅行費用も県の規定内であり、リーズナブルで
あるという点などを考慮して選んだ次第です。
昨年から何度か訪台し、交流校を探したり見学箇所の実地踏査を重ねてきました。後に
紹介する烏山頭ダムや芝山巌、二二八記念館などは、ほとんど標準的な業者の修学旅行の
コースには入っていない所ですが、ここだけは欠かせないと思い組み込みました。ちなみ
に、旅程の特徴を挙げるとすれば次のような点があげられるかと思います。
今回の旅行で最も重点を置いているのが、学校間交流です。台北県の海山高級中学とい
う本校とほぼ同規模で進学とスポーツ両面に力を入れている学校と、一日を費やしてさま
ざまな交流を予定しています。例えば、本校は目下、女子バスケットボールにおいて、県
下でタイトルを有していますが、先方もここ数年、台湾で全国制覇を続けている強豪校と
いうことで、スポーツを通した交流行事として両チームの親善試合を計画しています。
また、半日は、日本語を学んでいる台湾の生徒を交えて班別の台北市内自主行動を予定
しています。国と国の友好というのは、やはり若者同士の交流から始まるものだと思いま
す。台北市内を両国の生徒同士が交流しながら、様々な施設を見学したり街を散策する。
おそらく、夕方のホテルでの別れ際には涙々の感動的なシーンが現出されるのではないか
と思っています。さらに、台湾の実際の家庭の雰囲気と生活文化を体験させるため、台北
市の大同ロータリークラブのご家庭に一部生徒をホームステイさせることも予定していま
す。
その他、「阿蘇くまもと空港」からのチャーター便の残席を利用して、本校のPTA役
員も同行し、学校視察や先方の学校の保護者との懇談会に参加して頂くことにしています。
日本と台湾のそれぞれの教育課題について率直に意見交換をすることで、子育てのヒント
にしてもらえればと思っています。
さて、台湾はこの度の東日本大震災に際して、「惻隠の情」を発揮し、官民挙げて200億
円を超える断トツの義援金を寄せてくれました。歴史を遡ると、このような台湾の人々の
日本人に対する親日的国民性の背景には、台湾近代化のため尽くし、今日の日台友好の架
け橋となった幾多の日本人の存在があると思います。
例えば、技師として当時としては世界最大級の烏山頭(うざんとう)ダムと1万6千キロ
に及ぶ給排水路を昭和5年(1930年)に造成し、干ばつに悩む嘉南平野を肥沃な水田地帯に
変え、今なお台湾の人々が尊敬してやまない金沢出身の八田與一(はった・よいち)はそ
の代表でしょう。八田與一は、ダムの完成を見届けた後、昭和17年、フィリピンの視察に
向かう途上、米潜水艦に撃沈され非業の最期を遂げますが、烏山頭ダム湖畔にある地元民
が建てた作業着姿の銅像と、3年後、夫の後を追い放水口に身を投げた外代樹(とよき)夫
人と共に眠る墓前では、今なお命日には地元の人々によって慰霊祭が営まれ、献花が絶え
ません。
また、日本は、台湾領有直後に、台湾の統治政策の中で「教育こそ最優先すべき」と台
北市北郊の芝山巌(しざんがん)に学堂を開き、台湾の子弟の教育を始めました。台湾総
督府において、その施策に携わった伊沢修二は、「身に寸鉄を帯びずして、住民の群中に
這いらねば、教育の仕事はできない」との言葉を残していますが、領有直後の混乱した状
況下に悲壮な覚悟で始めた事業でした。しかし、その先駆けとなった「六士(氏)先生」
と呼ばれる6人の教師達は、明治29年元日、総督府へ年賀のために山を降りる途上、匪賊に
襲われ必死の説得も功を奏さず、ついには惨殺されてしまいます。
「六士先生」の一人で、吉田松陰の甥にあたる楫取道明(かとり・みちあき)が残した、
「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」の言葉は、殉職した「六士先生」すべてに共通し
た志であったと思います。中でも特筆すべきは、その中に、最年少、齢弱冠17歳の済々黌
(せいせいこう)出身の平井数馬(ひらい・かずま)もいたことです。平井数馬は非凡な
語学の才能をもって通訳官として勇躍赴任するも、志半ばで非命に倒れたことは残念でな
りません。現在、熊本市黒髪の小峯墓地に眠っていますが、一昨年9月に来熊された李登輝
元総統も忙しい日程を縫って墓参を果たされました。
今回の修学旅行が、これら日台友好の架け橋となった先人ゆかりの場所を訪ねその偉功
を偲ぶことにより、単なる物見遊山ではなく、生徒達が世界に大きく眼を開き、日本人と
しての自覚と国際感覚を身につけるきっかけとなることを願っています。と同時に、これ
を皮切りに今後、本県の高校が陸続として台湾への修学旅行を実施し、ひいては、本県と
台湾間の観光・物産・交通の活性化に繋がればと念願しています。
なお、事前学習の一環として、評論家の金美齢さんの講演会を、10月17日(月)午後2時
より大津高体育館で開催します。一般公開いたしますので、ご都合のつかれる方はご来校
ください。
以上、ご静聴ありがとうございました。
【平成23(2011)年9月16日、熊本ロータリークラブにおける卓話】