――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習186)
江青が生み出した文革の「新生事物(成果)」として、労働者や農民、さらには抗日兵士を正面人物(英雄)に仕立てた「革命様板戯(革命現代模範京劇)」が大いに讃えられた。もっとも四人組が失脚すると、京劇関係者の多くは「京劇革命に江青は関係がないばかりか、むしろ妨げでしかなかった」と、異口同音に、それも憎々しげに綴られている。だが、それも江青が「溝に落ちた犬」となったから。やはり、みんなで叩けば怖くないのである。
次の『新印譜 一・二・三』は、その革命現代京劇の有名な台詞や歌詞の一部を彫った篆刻作品を収録してある。当時の超一流の篆刻家の作品だろうが、それにしても「中朝弟兄(きょうだい)は患難を同(とも)にす」「階級の仇、民族の恨み、共に天を戴かず」「党の指示は我に無窮の力量(ちから)を賦与(あた)えたまう」「勝利のうち、須らく清醒(さめ)た頭脳(あたま)を保持せよ」「偉大なる領袖毛主席に従い、共産党に従う」「土豪(じぬし)を打(ころ)し田地を分かてば、紅旗は招展(はため)く」などと刻まれた作品を目にすると、篆刻家たちのウデの冴えとは余りにも対照的な字句の無粋さに鼻白むばかり。
これぞ、伝統を否定しながら篆刻という伝統を誇る滑稽さ、伝統を武器にして伝統否定に邁進する文革に踊る矛盾、いや絶対矛盾の自家撞着としか形容のしようがないだろうに。
いや、ヒョッとして、そうではないかもしれない。
篆刻家たちが自らのワザだけではなく、文革のバカバカしさをも後世に伝えようと企て、荒唐無稽なまでに勇ましい革命現代京劇の台詞や歌詞を彫り続け、それを印刷物として残した。あるいは林語堂が説くように、中国人の得意ワザであるヒマ潰しの一環として、名だたる篆刻家がセッセと篆刻に励んだ結果が『新印譜 一・二・三』とも考えられる。
それとも古くからの中国人の生き方である「上に政策あれば下に対策あり」の実践を、私かに企てたのだろうか。つまり文革が掲げる「四旧打破」の「政策」を前にして篆刻という旧いモノをどのようにして守るのかとの「対策」を考えた時、ならば文革の象徴である革命現代京劇に的を絞り、その台詞・歌詞を彫り上げることで、篆刻という旧いモノと、その旧いモノでメシを喰らっている自分たちの生活を守ろうと企図するに到ったに違いない。
その後の経緯を振り返れば文革はともあれ、篆刻は結果として生き残り、「中華文明の偉大な復興」の一翼を担っているわけだから、やはり篆刻家たちの「対策」の勝利と考えらともよさそうだ。ならば支配されながら支配する、となるだろう。イヤハヤ、どうにもよく分からない。だが、一筋縄ではいかない方々であることだけは確かだろう。
1973年6月に移るが、27日に新疆上空での水爆実験、それに29日に起こった遼寧省における「白紙答案事件」を記憶しておきたい。これまた文革が生んだ新生事物なのだから。
前者が国際政治における中国の影響力を高めたことは明らかだ。後者は人民公社に下放された張鉄生が労農兵学生向けに特設された大学入試を受験しながら白紙答案を提出し、「思わしい答案が書けなかったのは知識偏重の入試内容が大問題」と告発した事件である。自らの失敗を「知識偏重の入試内容」にスリ変えた辺りは、中々の知恵者と見た。一時は「教育革命の英雄」と持てはやされたが、文革収束後、その欺瞞生を批判されてしまった。
6月の出版で手許にある書籍は、1816年にパリの貧困家庭に生まれ、フランス革命の渦中で構想を練り「インターナショナル」(「国際歌」)を書き上げ、やがて1887年に「不幸にも貧困の中でこの世を去った」「プロレタリア戦士」のウジェーヌ・ポティエの一生を子供向けに描いた連環画『欧仁・鮑狄埃』(上海人民出版社)。全国各地を代表する料理の中から264種を選び出し、その料理法を「集団食堂向けだけではなく、広範な労働者・農民大衆家庭向け」に簡単明瞭に解説した『大衆菜譜』(軽工業出版社)。『毛主席語録』の文言を楷書習字手本とした『正楷活頁字帖(二)』(上海書画出版社)。さらに数冊・・・。《QED》