――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習168)
73年3月の重要な出来事を挙げるなら、やはり周恩来の体調悪化が進み、もはや隠しおおせる段階を超えてしまったようだ。毛沢東は周恩来の病状を知ったうえで万全な治療に臨むことを肯んじなかったと伝えられる。周恩来の「スペアー」として�小平を想定したゆえに、毛沢東は幽閉状態にあった�小平の政権中枢復帰を許可したに違いない。もちろん�小平には、これから四人組との本格的で熾烈な戦いが待ち受けていたわけだが。
3月出版で手持ちは『《学点歴史》叢書 我国古代以弱勝強的戦例』(柯理編写 人民出版社)、『暴風雨前後』(北京画院 人民美術出版社)、『広東歌曲選 2』(広東省文芸制作室編 広東人民出版社)、『漢語?音簡易読本』(上海人民出版社)である。
先ずは『我国古代以弱勝強的戦例』を見ておきたい。
毛沢東は『中国革命戦争的戦略問題』『論持久戦』『抗日游激戦争的戦略問題』を著し、紀元前684年から紀元後の383年までの1000年余りの間に戦われた10回の戦争を、「弱い軍隊が強大な軍隊に勝利できた輝かしい思想を闡明にするための我が国古代の有名な戦例」と位置づけ論じている。
一連の戦いで弱軍を勝利に導いた最大の要因こそが「正確な主観指導」であり、だからこそ毛沢東が「示した正確で透徹した論述を、我われは真剣に会得し学習しなければならない」というのが、この本の狙いだろう。
『我国古代以弱勝強的戦例』では、「戦争の勝敗を決定するのは彼我の政治、軍事、経済など多方面の条件だが、最初に政治条件だ」とする。では政治条件とは何なのか。それこそが戦争が実現を目指す道義・正義であり、人心の動向ということになる。
いいかえるなら道義や正義のない戦争は人心の荒廃と離反を招き、敗北は必至だ。であれば勝利への基礎条件は、戦争を如何に意義づけ、銃後も含め人々の心に正義への信念を植えつけ、人心を必勝の一点に纏めあげることだろう。
かくして「いかなる戦争、あるいは戦闘においても、勝利を可能にするのは主観指導の適不適にある」とし、10例を1つ1つ具体的に論じている。
ここで、どうにもよく判らないのが「主観指導」という考えだが、勝ち戦の10例を通じて浮かんでくるのは、どうやら次の4原則らしい。
第1原則=戦争指導者は先ず自軍戦力の温存に細心・最大の注意を払え。
「戦争の基本原則が自らを保ち、敵を殲滅すること」である以上、弱軍が強軍に真っ向勝負を挑んだところで敗戦は必至。亡国への道を辿ることは当然すぎるほど当然だ。だから弱軍は自己の兵力の温存を第一に考え、その後に敵軍を制し殲滅させる方途を求めるべきである。典型的成功例として、白馬から自軍を退却させ官渡防衛に振り向けた曹操の指揮ぶりを挙げる。
第2原則=敵の錯覚を誘い、時間的・空間的に予想外の方面から不意の攻撃を仕掛けよ。
奇計・奇策を弄し徹底して敵の虚を衝き勝利を呼び込むべし。好例として、韓信による背水の陣、曹操の延津における「声東撃西(東を攻めると公言しながら、西を撃つ)」の戦法、赤壁における黄蓋による曹操軍の軍船焼き討ちなどが挙げられている。
第3原則=「弱軍が強軍に対峙した場合の最も有効的な戦法」である敵を奔命に疲れさせたうえで攻撃を仕掛けよ。
「これこそが弱軍の強軍に対する最も効果的な戦法」であり、「強い敵軍からの攻撃を回避し、自らの戦力を温存し、敵軍の勢力を消耗させ弱体化させることが可能となる。戦力の優劣を逆転させ反転攻勢に転ずる条件」と見なす。第3原則の典型的成功例としては、曹操が陣頭指揮した官渡における堅固な守備が示されている。《QED》