――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(12)内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

【知道中国 1705回】                       一八・三・仲八

――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(12)

内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

いかに中国経済が規模を膨らましたとはいえ、現時点で持ち上がっている一帯一路構想の全体を完成させるほどの財政負担に耐えることは難しい。だが、3割程度なら可能だろう。ユーラシア大陸全体をネットワークするなどと打ち上げているが、最終的に周辺の東南アジア、中東、中央アジア程度を固め、自らの物流ネットワークに組み込んだだけでも“大成功”となるはずだ。なにせ、一帯一路構想を打ち出す以前は何もなかった、つまりゼロの状態だったわけだから。

であれば日・米・豪・印の4カ国は、習近平政権が打ち出す威勢のいい一帯一路ではなく、彼らの真の狙い、いわば腹の底を見据えてピンポイントで潰しにかかるべきだ。

ここで話を中国人が考える史書と国土の関係に戻し、「日本の読者に、一人の中国人研究者がいかに『中国』、『中国史』、『中国文化』を理解しているかを分っていただきたい」。「いかに理性的に中国とその周辺の現実を分析しているかを理解していただきたい」と“懇願”する葛兆光の議論を紹介しておきたい。

彼は『中国再考  その領域・民族・文化』(岩波現代文庫 2014年)で、以下のように主張している。

 ――古来中国人は「『中国』は『四夷』〔周辺民族〕を見下して然るべきであり、中国文明は四辺の戎夷狄蛮に遥か影響を与え、教育すべき立場にある」という「天下観」を自明の理としてきた。だが史実を冷静に判断すれば、この考えは間違いである。古代から周辺の国家や民族の存在を認め往来し、必ずしも自分たちだけが圧倒的に優れた文明を持っていたというわけではない。たとえばインド渡来の仏教は、確実に中国文化の根幹を形成している。「だが残念なことに、どういうわけかこれは古代中国人の根強い『天下観』を真の意味で変化させることはな」く、自省なきままに「中国の歴史は世界の歴史となった」。

中国が抱き続けた「天下像は、中心だけが明確で、四辺はぼんやりとしている」。その「明確」な「中心」に王朝政権という絶対的な政府(政治権力)を置き、「今に到るも一部の人は無自覚に政府を国家とし、歴史的に形成された国家を不変の真理として祖国への忠誠を求める。そのために多くの誤解、敵意、偏見が生まれるのである」。

「『中国台頭』による興奮と高揚感」を背景に、「中国が長期にわたって受けた屈辱と圧迫に対する激しい反抗から」、�「我々は現在より遥かに多くの資源を管理し、経済的に管理、政治的に指導しこの世界を導かねばならない」、�「未来には中国人が政治的に全人類を統一して世界政府を樹立する」、�「現在の『中国』が近代ヨーロッパをモデルとする『民族国家』を超越し、現実的合法性と歴史的合理性があるものだ」といった論議が「時にイデオロギー的支持を得ている」――

葛兆光は現在の中国のイビツな姿、敢えて表現するなら“超巨大夜郎自大帝国路線”を、以上のように描き出している。その典型が一帯一路だろうが、この趨勢が続くなら、いずれは「『天下』観念が激化され、『朝貢』イメージを本当だと思い込み、『天朝』の記憶が発掘され、おそらく中国文化と国家感情は逆に、全世界的文明と地域協力に対抗する民族主義(あるいは国家主義)的感情となり、それこそが本当に『文明の衝突』を誘発することになるであろう」との危惧が、いずれ現実のものとなる可能性は大だ。

葛兆光の主張を敷衍するなら、歴史的にも実態的にも単一民族として存在したことのない中華民族なる妄想の誤りを素直に認め、一切の妄動を即刻中止せよ。そうしてこそ中国は世界の中の中国として生き残れる――となろうか。こういう真っ当な考えが中国全般で受け入れられるはずがない。ましてや習近平政権において。そこが・・・大問題。《QED》


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