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――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(26)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1801回】                      一八・十・初九

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(26)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

■「(三二)家族と世界」

「支那は一國と云はんよりも、寧ろ一世界也」。これに対し「日本は一國と云はんよりも、寧ろ一家族也」。しかも皇室が「開國以來、否な寧ろ開國以前よりの綱紀」であり続いている。だから武家政治が廃れようとも、国の大本は一貫している。だが「試みに支那に向て之を見よ、中央集權の基礎」はもちろん、「中央集權の訓練」すらない。

古来、「地方分權抔」を掲げているが、「其實は全然放任政治」というもの。「支那の政治の亂雜なるも、此が爲め」である。だが、その一方で「其の亂雜ながらも、分裂なくして、兎も角も國土の統一を失はざりしも」、「放任政治」の故であった。つまり「四千年來、支那は國としても、中央集權」であったことはなく、「民としても、中央集權の政治に服したることなし」。だから「直に日本的中央集權の政治を、支那に厲行」しようとしたところで、「其の不成功や、必然の數也、理也、勢也」。

■「(三三)翻譯政治の失敗」

とどのつまり「支那の失敗は、翻譯政治の失敗」であり、自らが備えた諸条件に対する深刻な考察を経ることなく他国の成功例を持ち込んだところで成功する訳がない。「日本の先例は、日本にのみ用ふ可くして、支那に用ふ」ることは不可能だ。

「要するに皇帝を稱するにせよ、大總統と稱するにせよ」、「支那に向て、日本型の中央集權の政治を行はんと」するは、元より無理な相談だ。なぜなら「中央集權の政治は、支那四千年の歷史に背違し、支那の國民性」とは相容れないからだ。

ともかくも「黑龍江邊より、土耳其斯坦の沙漠迄、蒙古の曠原より海南嶋迄、一律に律し盡さんとす」ることそれ自体、無理なのである。

■「(三四)袁世凱の幽靈」

清末以降の政治を振り返るに、その大本の流れは袁世凱が導いたといっていい。袁世凱は死んだが、彼は「支那政治の中樞」に影響を与え続ける。「概觀すれば、支那現在の政局は、死せる袁世凱、活ける支那を攪亂しつゝありと謂ふも、決して誣言」ではない。それというのも、「今日の支那は何れも袁の兒分共が、互ひに鎬を削りつゝ」あるからだ。

子分共の振る舞いをみても、やはり袁世凱は「一身若しくは一家の事」にのみ強い関心を示したが、「一国の事」などに関心を示すことはなかった。その結果、現在では「幾多の小袁世凱」が蠢き合っているだけで、「支那の前途も亦た悲觀」するしかない。

■「(三五)三個の要件」

「日本さへも一氣呵成に、維新の大業を成就」できたのだから、我われにできないわけがないと考えているようだが、「凡そ中央集權を施すには」、「國是の確立」でもある「國民の精神的統一」。中央政府の下で兵力を統一的に管理する「兵權の統一」。「全國財賦の權」を中央政府が一元的に管轄する「財權の統一」――以上の「三箇の要件」が絶対的に必要だ。

「顧みて之を支那の現状に徴」してみるなら、「三箇の要件」のうちのどの1つも見当たらない。辛亥革命は成功したが、そこに結集した勢力は清朝=満州族王朝の破壊という一点で一致してはいたものの、それぞれの勢力が「建設的國是」を持っていたわけではない。多大の犠牲を払いながら幕末維新の混乱期を乗り越え得たわけは、幸いにも日本は「萬世一系の皇統」を保持し、「皇室中心主義」で貫かれていたからだ。

翻って見ると、「支那には之に代はる可き何物」もないし、「不幸にして支那には國論の統一なく、又た之を統一す可き精神的標的」すらない。だから未来は暗澹・・・。《QED》

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