追悼 李登輝  渡辺 利夫(日本李登輝友の会会長)

追悼 李登輝  渡辺 利夫(日本李登輝友の会会長)

【国家基本問題研究所「今週の直言」(第706回・特別版):2020年8月3日】
https://jinf.jp/weekly/archives/31944

*渡辺会長は「国基研理事・拓殖大学学事顧問」として寄稿。

「李登輝、消えゆくの報。
 頭(こうべ)を深く床に伏す。
 ありがとうございました」

 これ以上、私には言葉がない。

●二・二八事件の謝罪

 鮮やかに思い浮かぶひとつの光景がある。1995年2月28日、台北新公園で執り行われた二・二八事件記念碑
落成式に臨んだ台湾総統(中国国民党主席)李登輝が、犠牲者と家族に対し公式の謝罪を表明した時のニュ
ース番組である。

 二・二八事件とは1947年2月28日、かねて台湾に住んでいた住民(本省人)に対し、国共内戦に敗れ逃亡し
てきた軍人・軍属など(外省人)が引き起こした暴力事件である。李登輝の謝罪は、台湾社会の深部を長らく
蝕むしばんできた「省籍矛盾」、すなわち本省人と外省人との間の確執を解消へと向かわせる第一歩となった。

 二・二八事件以降、台湾では実に38年に及ぶ戒厳令が敷かれ、本省人は中国国民党の圧政により無権利状態
のままに置かれた。しかし、戒厳令下にありながらもなお経済発展を続ける台湾には、本省人を含めて多くの
中間層が生まれ、そうしてしかるべき諸権利を得ようという意識が澎湃ほうはいとして沸き起こった。

 この事実をまっとうな政治的感覚をもって受け止めた人物が、蒋介石に代わって最高権力者となっていた子
息の蒋経国である。蒋経国は本省人エリートの李登輝を抜擢した。李登輝は果敢に、そして巧みに権力の懐に
分け入り、民主化への準備を着々進め、民主化への最大の障害「省籍矛盾」を解かんと、総統として、何より
国民党主席として、二・二八事件への公的な謝罪へと向かったのである。その光景をDVDで見るたびに私はか
すかに涙する。

 蒋経国はひそかに、中国国民党は「台湾国民党」に翻身しなければ台湾のこの地で権力を握り続けることは
不可能だとみていたのである。そして本省人エリートとして李登輝に白羽の矢を立てたのだが、ここに現代台
湾政治史の転換点があった。この転換点を確かなものにした人物が李登輝である。

●特殊な国と国の関係

 もうひとつの記憶が蘇る。1999年7月9日、ドイツの公共放送の取材に応じた李登輝は、初めてこう述べた。
「両岸関係の位置づけは国家と国家、少なくとも特殊な国と国の関係となっており、合法政府と反乱団体、中
央政府と地方政府という『一つの中国』における内部関係では決してない」

 中華民国が台湾を含む中国全体の正統政府だという虚構を崩し、そのうえで台湾に民主主義を導入しようと
した鮮明な意図がこの発言にはあった。要するに、中国共産党を「反乱団体」だとする規定を廃止、台湾の主
権の及ぶところを台湾本島、金門、馬祖などの離島に限定し、ここに民主主義を導入しようと李登輝は考えて
いたのである。

 今年初めの総統選では、民進党の蔡英文氏が圧倒的勝利を収め、氏は李登輝の発言,「中華民国在台湾」
(Republic of China in
Taiwan)をさらに進めて「中華民国台湾」(Republic of China
is Taiwan)と言い
切った。中華民国という形容のない「台湾」へと一歩近づいたのである。李登輝の長い政治的人生は確かな結
実をみせていると言っていい。(了)


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